三話 不安
空が晴れている。
雲一つなく、澄み渡っている。
だからこそ皮肉に思えた。
こんなにも誰かを心配し、落ち着かない状態であるため天気とは逆だ。
「姫、落ち着きなさいませ」
「この状況で落ち着いていられますか、夫が前線にいるのに」
「あの方が簡単に敗れるとは思いませぬ」
「私も信じています。しかし―」
王弟アルフレッドの妻、エアルフスウィスはひたすらに気を揉んだ。
夫が出陣してからひと月過ぎた。
「はやく、王は、出陣しないのですか」
「賢人会の老人たちが王の出陣を認めません」
「それではわたくしの夫と六万人の兵士の命はどうなるのです。」
「―それは…」
「このまま異教徒の蛮族どもに蹂躙されるのを黙ってみてろということですか」
御付きの衛兵はうつむいてしまった。
「一刻も早く異教徒をこの国から追い払わないと、私がこの国に―あの方に嫁いだ意味がありませんわ」
そう言ってエアルフスウィスは自室から出てってしまった。
「殿下も大変だな、戦術の才があるとはいえ未知の軍隊となるとどのように戦えばいいかわからないだろう」
ドアの前に立っていた衛兵の一人がぼそりと言った。
「まあな、それに」
もう一人の衛兵も頷いた。
「エアルフスウィス様の父であるマーシア王国のブルグレド王も異教徒に攻め立てられて、城と民を捨てて逃げたそうじゃないか」
「援軍欲しさに娘を差し出して、そして当の自分は逃げの一手とは、王がやることとは思えぬ」
「もったいないことだ、セプタキーの時は強国だったマーシアももう終わりだな」
その衛兵の話を階段の下で隠れながらエアルフスウィスは聞いていた。
大きなため息をつき、膝を抱え込むと涙が流れてきた。
父上のこと何も知らないくせに。
マーシアがどう攻められて、民衆がどんな殺され方をされたか知らないくせに。
何も知らないこの城の人間に怒りを覚えた。
すべてあの人に任せっきりで、自分たちはのほほんとして、騎士としての誇りはないのか。
「エアルフスウィス様、これを」
一人の若い男がエアルフスウィスに布を差し出した。
「ありがとうオリアン」
「―申し訳ございませぬ」
オリアンは膝をつき、首を垂れた。
「何回謝るのですか、おまえは悪くない、生き残ってくれて私はうれしい」
「リッチフィールドの城が陥落するのを、防ぐことができませんでした。」
リッチフィールドはマーシア王国の首都である。
オリアンはマーシア王直属の諜報部隊、通称「獅子の目」の一人であった。
リッチフィールド陥落の織り、ブルグレド王からの使者としてウェセックスに来た。
エゼルレッド王に報告した直後、ブルグレド王の行方が分からなくなった。
―脆弱な王が、泣きついてきたか。
―屈強たるマーシアも堕ちるところまで堕ちたな。
城内でマーシア出身というだけで後ろ指をさされた。
「こちらに軍をよこさなかった貴公らが悪いじゃないか、いくら我々が属国とはいえしょせんは噛ませ犬の使い捨てか」
オリアンは自分の無力さと城内の人間への恨みが交差していた。
五十年前の七王国時代、ウェセックス王、エクバードはマーシア王国を破り、支配下に置いた。マーシアの王族はそのまま存続となり、そのままリッチフィールド一帯を治めることとなった。
しかし、北方から侵入してきた異民族により存亡の危機に直面し、ブルグレド王はウェセックス王国に援軍を要求した。すると先帝エゼウルフ王は、援軍を送る見返りとして、ブルグレド王の娘を息子のアルフレッドに嫁がせるよう要求した。
ブルグレド王は承諾し、娘をウェセックスへ送ることとなった。
この娘がエアルフスウィスである。
「すべてあの異民族が悪い」
エアルフスウィスは涙を拭った。
「アルフレッド殿下はご無事でしょうか」
「殿下なら無事でしょう…マエルもついている…でも…」
「でも?」
「あの人、自信がない人だから、出陣前もそうだった」
出陣前、アルフレッドは力なく、うなだれていた。
「私には、司令官としての器量があるだろうか?」
アルフレッドは、自分の鎧を準備している際にそう呟いていた。
「なんと弱気な」
エアルフスウィスは後ろから諭した。
「弱気にもなるさ」
「一年前に西方で起きた反乱の賊徒をたった三日で鎮めたではないですか」
「軍の規模も、兵の練度も前の賊とは比べものにならないぐらい強いよ。先の異民族との戦でマエルの父、アル二ウスも討ち死にした。あやつ私に、用兵術や戦術を授けてくれた」
アルフレッドは振り向いた。
「まだ、私の戦術には―柔軟性がないのだよ。要は臨機応変に、変化する戦場に対応できないのさ。それでは司令官失格だと私は考えている」
二二歳の青年の冷静な自己分析にエアルフスウィスは言い返すことはできなかった。
「―微力ながらご武運お祈りしております」
「ありがとう、この国は必ず守るよ」
アルフレッドは力なく笑った。
それから一か月が経った。
「もういい、私が王と賢人会に直接言う!」
エアルフスウィスは階段を下りようとした。
「お待ちを!我々マーシア出身の進言を彼らが聞くと思いません」
オリアンが首を振った。
「それでも!夫が討ち死にしたら王が異教徒に立ち向かわなければこの国は滅びてイングランド全土が暗黒の時代になるのは誰もがわかってる!」
「それは…私も承知しています…」
オリアンは視線を落とした。
「いまからエゼルレッド王のところにいって直訴してきます!」
「エアルフスウィス様!お待ちを。私も参ります」
「お前はいかなくてもいい」
「私はエゼルレッド王よりもさきに貴方様に忠誠を誓った騎士でございます。護衛としてついてまいります」
二人は王の間へ向かった。
王の間に着くと、門番に止められた。
「今は会議中でございます。お引き取りを」
「通しなさい…!このままではこの国が滅びます」
「あなたの国のようには滅びませぬ」
衛兵が馬鹿にしたように笑った。
「おのれ貴様!殿下の正室に失礼だぞ」
オリアンは激昂した。
「落ち着きなさい」
さっとオリアンを一瞥した後に、エアルフスウィスは衛兵をまっすぐ見て言った。
「私の夫は強い。もしかしたら異民族の長の首をここに持ってくるかもしれない。そうしたら、あなた方王直属の部下たちの立場がないのでは?」
「ふん、亡国の王の小娘が知ったような口をおききなさるな」
衛兵はさげすんだ目でエアルフスウィスを見た。
「無礼者!この場で斬ってやる!」
オリアンが剣の柄に手をかけた。
「オリアン、やめなさい!」
「亡国の騎士よ、生きているだけ幸運に思うんだな」
「…貴様…!」
あわや鞘から剣を抜こうとしたその時だった。
「私の弟の妻を悪く言うのはやめてくれないか」
落ち着いた声だった。
「も、申し訳ございませぬ!」
衛兵が跪いた。
「あ、あなたは…!」
「やぁ、待たせたね」
振り返ると、アルフレッドと同じ目をした人物―ウェセックス王、エゼルレッドが立っていた。
「あの、援軍を…」
エアルフスウィスは早口に言うとエゼルレッドはにっこりと笑った。
「もう心配しなくていいよ。すべてうまくいくから。手は既に打ってある」
そう言って王は力強く王の間のドアを開けた。