虚月と鉄糸
新章やで
ぼんやりと夜空を眺める。そういえば今日は精霊の月だったな。闇夜に潜む精霊や妖精がたった一ヶ月間、宴を催すかのように人前に姿を表すという。
星辰のなかに浮かぶ三つの月。十五年に一度、その三つの月が一つに並ぶという。
目前に広がる星空には見慣れた月がなく、代わりにぽっかりと虚空が開いていた。その虚無に満ちた円形の空間は虚月と称されている。見つめ続けると魂が吸い込まれる、とは過去の文豪もよく表現したものだ。
記憶が正しければ虚月の年は来年のはずだ。そもそも室内で寝たはず、何故外にいるのだろうか。違和感を覚え、微睡もうとする意識をおしのけて上体を起こす。
至る所で黒煙が立ち上り、近くにあったむき出しの黒ずんだ柱から火花が弾ける音が聞こえた。周囲の風景に妙な既視感を抱く。
「視線が低いな」
頭をガシガシと引っ掻いた時に違和感の正体に気づく。短い髪、視線の低さ、そして既視感。
「ここは俺が昔住んでいた屋敷ということは、これは夢か」
立ち上がって自分の体を確認する。体中は煤け、寝衣はもはや焼け焦げた切れ端のようなもので体にぶら下がっていた。服の裾から火竜がチラリと顔を覗かせる。
体の大きさや虚月の周期を鑑みるに6歳の頃の記憶が夢に出ているのだろう。夢がどれ程正確なものなのかは知らないが、まあたまには懐古するのも悪くはないだろう。
焼け落ちた瓦礫を飛び越え、崩れかかった家屋を避けて歩くうちに人の声が聞こえてきた。夢の中だというのにいつもの癖で忍び足で歩く。染み付いた性分は夢にもでるらしい。物陰に隠れながらその人物に近寄った。
「その為に人を殺したのですか?」
女の声が響く。高くなく、かといって低くもない落ち着いた声音、おそらく30歳近くの女性か。
「いずれ消えゆく命、ならば有効に使った方が彼らも喜ぶでしょう」
女の質問に答えるように男の声が響いた。低く、聞き覚えのある声。チラリと物陰から顔を覗かせる。
男は腰まである銀髪を後ろで編み込み、口角を上げて女を見ていた。一族にない外見を持つ父の義理の弟。伯父のクリストファー・ハルディーである。
クリストファーに向かい合うように立っている女は漆黒の髪を無造作に後ろに束ね、アーモンド型の目が特徴だった。聖騎士だけが纏うことを許された蒼の刺繍が施された白い装束を身につけ、銀のレイピアを腰に下げていた。
幼い頃に見たことのある肖像画と瓜二つの外見を持つこの女性、ミユキ・ハルディーに違いない。腰に下げたレイピアは己が母の形見として肌身離さず持ち歩いていたものだ。
「自分の尺度で物事を考える、貴殿のその浅ましさはついぞ人を殺めたか」
ミユキはレイピアを抜き、剣を構えた。クリストファーは動揺を見せることなく両手を広げた。
「ミユキ、貴方も分かっているでしょう。人の理に縛られて何を得ました?結果がご覧の有様でしょう?」
「貴様、その口で私を愚弄する気か」
「化け物が人を真似るとはとんだ喜劇もあったものだ」
ミユキが大きく踏み込み、レイピアでクリストファーの首を切り裂く。回避行動を取らなかった彼を不審に思い、返り血を浴びながら距離を取る。
「何故避けない、クリストファー!」
「死にゆくものに手向けを送るは生きるものの務め、というでしょう?」
何かに気づいたミユキ。彼女が避けるよりもはやくそれは喉を締め上げた。皮膚に食い込んだ後、ブツリと切り裂きながら肉に食い込む。
その様子を眺めていたクリストファーが首の傷を摩り、両手でパチパチと叩き始める。
「見事ですよ、人形師。期待以上の働きでした」
物陰から痩せぎすの男が姿を現した。骨ばった外見と記憶にある姿は一致しているとは言い難いが身体的特徴が似ている。人形師のシャーロット、母の仇と教えられた死霊術師だ。
「良かったんですか、この方を殺しても」
「ああ、私に逆らったからね。外法ではあるが望んだものでもなかった」
ミユキが糸を外そうともがく。シャーロットがその動きに気づき、糸を手繰り寄せるとミユキの足が地面から離れた。虚月を背景にミユキの体が宙づりになる。暴れた拍子に滴る血が飛び散って地面に模様を描く。
「外法の死霊術師、たしか完全なる死者蘇生の体現者……。神へと至る存在、我々の計画に必要なもの」
「偉いですよ、人形師。貴方を拾って育てた甲斐がありました」
ミユキの体を余所に談笑を始めた二人。温厚で慈悲深いことで有名な伯父の逸脱した行為が信じられず、体は硬直して動かなかった。
伯父が母の殺害に加担していたのか。母の話を語って聞かせてくれた伯父が、母を殺したその口で!
「さあ、誰かが来る前にここを立ち去りなさい。暫くはあの隠れ家で過ごすと良いでしょう」
「了解です」
シャーロットが指を動かすと糸がほどけ、ミユキの体が地面に崩れ落ちる。血溜まりに飛沫をあげ、白い装束はたちまち朱に染まった。
クリストファーが近寄り、ミユキの頭を足で小突く。
「あの男を選ぶからこうなったんですよ、ミユキ。私を選んでいれば貴方も神になれたというのに」
「貴様のせい、ゲボッ……っで私はここにッ、召喚を……」
「精々恨み言を吐き捨てながら死になさい」
クリストファーはミユキに背を向け、シャーロットを伴って闇夜に消えた。
二人の気配がないことを確認し、縺れる足でミユキに駆け寄る。
「母さん、母さん!」
呼びかけると彼女はこちらに手を伸ばす。指先が頰に触れた。
「ごめんね……母、さん負け……。わ、たしを忘れ、てしあわ……せに……」
◇◆◇◆
瞼を開ける。起き上がって見渡すと見慣れた部屋の光景があった。アジャ村で貸し与えられた部屋である。荒い呼吸を整え、寝汗で体に張り付いた装束を脱ぐ。魔法で清めたは良いものの腕を通す気になれず、なんとなく貫頭衣を身につけてみた。
ぼんやりと手に持った聖騎士の装束を見つめ、夢の内容を反芻する。
「あれは本当に夢なのか?」
「ん〜、ちゃうでぇ」
向かいのベッドから思わぬ応答があった。動揺のあまり立ち上がって腰に下げていないレイピアの柄に手を伸ばす。
手が空を切ったことと安らかな寝息が聞こえてきたこともあって妙な気恥ずかしさを覚え拳を握る。危うく舌打ちしかけた舌の動きを止め、サヤの眠るベッドに近寄って顔を覗き込む。渾身の力で殴った彼女の右頬は真っ赤に腫れ上がっていた。
そういえば怒っていたのもあって碌に手当をせずベッドに転がし、そのまま自分も寝たな。女性の顔を殴るとは自分も冷静ではなかった。
荷物袋から紙とペンを取り出し、治癒と冷却の複合魔法陣を書き出す。魔力を流して起動し、サヤの腫れた頰に置く。
すっかり治ったサヤの顔を見て達成感を覚えた。傷跡ひとつ残っていない。我ながら完璧な処置だ。ウンウンと頷きながらベッドに腰掛ける。
「んにゃ、めちゃ飛ぶ」
腰掛けた拍子に起こしたのかと思ったが違ったようだ。ただの寝言にあきれ返る。それにしてもよく寝言を言うやつである。魔力欠乏による気絶を経過し、睡眠状態に移行したのだろう。
先ほど殴られたというのに寝顔ですらも口角があがっているとは恐れ入った。筋金入りの馬鹿もここまで来ると敬意を表したくなってくる。
『その子が、外法の死霊術師!異界からの旅人!我々の、悲願!完全なる死者蘇生の体現者なのね!!』
夢を見た影響だろうか、サヤの顔を見ているとふと人形師のシャーロットの最後の言葉を思い出す。
「サヤ、お前は一体何者なんだ?」
「スピピョ」
「うるせぇ」
絶妙なタイミングで挟まれる寝言についに苛立って間抜け面の鼻をつまんだ。
あの発言は新章への伏線だったんですねぇ。え、今頃カインくんのバックストーリー2個目の回収ですか?遅くない?