露見
崩れ落ちるルチアを抱きとめ、地面に横たえる。汗で冷え切った体はぞっとするほどひんやりしていた。
「《魔力よ。塞ぎ、結び、一つと混じれ》」
足裏の出血を止めるために呪文を唱え、怪我を治す。それでもルチアの弱まった呼吸は安定しない。見かねたカインが駆け寄ってルチアの手を取り、魔力を流す。
「自身の魔力で体が崩壊を始めているな」
「どうすれば崩壊を止められるの?」
「……、残念だが止める方法はない」
カインが首を横に振った。
「いや、嘘、嘘だ。ルチアさん、死んじゃダメだ。折角成功したのに、守れたのに!」
滲む視界にルチアの顔が歪む。治癒魔法をかける。1回目、手応えがない。2回目の呪文を唱えているとカインに肩を叩かれた。
「サヤ、もう手遅れだ」
ルチアの胸に視線を落とす。ルチアの胸は上下していなかった。彼女は眠るように瞼を閉じていた。あまりの呆気なさが信じられなくて、呆然とした頭では正常な判断を下せなかった。
意識するよりもはやく収納袋から紫の巻物を取り出す。『死者蘇生の魔法陣』に魔力を流し、ルチアの体の上に置いた。
「サヤ、死んだ人間に治癒魔法は効かない」
優しく、しかし諭すようなカインの声を無視する。やがて諦めたのか大きなため息をついた。
「倒れても知らんぞ、勝手にしろ」
カインに返事もせず、魔法陣を見守った。淡い輝きを放ちながら魔法陣が起動する。
頼む、成功してくれ。神よ、頼むからルチアさんの魂をその腕に抱かないでくれ。彼女は今までずっと自分を犠牲にしてきたんだ、その報いが死だなんてあんまりだろう。
「おい、この魔法陣……」
魔法陣を見つめていたカインが驚いてこっちを向いた。突き刺さるカインの視線に冷や汗が流れる。やはり、勘付かれたか。いや、それよりも今はルチアの方に意識を向けなくては。
魔法陣の起動は終了し、ルチアの体を淡い光が包む。光が収まった頃、ルチアの胸がゆっくりと動いた。上に一回、下に一回。不安定だったその動きは段々と見知ったものになっていった。
呼吸、している。間違いなく呼吸をしている!
ルチアの手を握り、呼びかける。
「ルチアさん、聞こえますか!」
弱々しい力で握り返され、緩慢に瞼が開く。震えた唇から掠れた声が漏れた。
「ゆ、め。夢を、見たの。蝶々のいる花畑で、ホリィと踊る……そ、んな楽しい、夢」
がくり、と脱力したルチアの体に喜びかけた気持ちが引っ込む。恐慌し、ルチアの体をガクガクと揺さぶる。
「死んじゃダメだルチアさんッ!」
「落ち着け、気絶しているだけだ」
カインの一言にハッとしてルチアの様子を眺める。確かに握った手には体温があり、呼吸は続いていた。
「それよりもあの魔法陣、あれは一体どういうことだ?」
「それよりもルチアさんだろ馬鹿ぁ!エンザさん、ローザさん!ルチアさんがぁ!」
ルチアを背負い、部屋の外に通じる扉を開ける。通路ではエンザとローザが驚いた表情で立っていた。数秒呆然とした後、ぐったりとしたルチアに気づきひったくるように奪われる。
「ローザ、お前はすぐに薬湯と魔法陣を用意しろ!」
返事もろくにしなかったローザは既に駆け出していた。ルチアを抱え上げたエンザも後を追う。通路の闇に飲み込まれて見えなくなるまで僅か1秒の出来事だった。
人知を超えた素早い動きに対応出来ず、置いてきぼりを喰らう。
静寂に支配された空間。耳鳴りがするほどにまで静かになった背後からカツリカツリと足音が響く。
いきなり肩に手を回され、顎を掴まれた。カインの低い声が鼓膜を揺さぶる。
「さて、サヤ。楽しい楽しいおしゃべりをしようか」
顔を動かそうにも片手で固定された以上逃げ場はない。
「先程のルチア、確実に死んでいたな。舞踏による圧縮された魔力に体が耐えられない、そういったのはお前だ」
言い訳を考えていると返事を催促された。握られた顎に力がこもったので慌てて肯定する。
「水臭いじゃないか、サヤ。死んだ人間にも効く治癒魔法を隠し持っていたなんて、なあ!?」
カインが片手で鉄の扉を叩いたのだろう。ガンという鈍い音が通路にこだました。
まずいまずい、二人っきりというこの状況で助けは期待できない。いやそもそもカインを止められる存在は実在するのだろうか。
「ご、ごめんなさい……」
震える声で謝罪を紡ぐ。顎を握っていた手が離れたが、代わりに肩を握られる。
「サヤ、勘違いするな。俺は怒ってるわけでも謝罪が欲しいわけでもないんだ。分かるだろ?」
いや声音がブチギレてる時のそれです、カインさん。なんてふざけた事は言えず、視線を左右に彷徨わせる。
どうしよう、どうしよう。過去の自分を恨む。何がバレた時はバレた時、だ。相手は鍛錬堅物ゴリラの聖騎士だぞ!
「な、なんで生き返ったんですかね?」
「それを聞きたいのは俺の方だぞ、サヤ」
視界の端で捉えたカインの顔はとってもにこやかな笑顔を浮かべていたが目は笑っていない。
肩を握る手はミシミシと現在進行形で圧力を強めつつある。
「分かりません。原因不明です」
「そうかそうか。それでどうして今まで黙っていたんだい?」
「こ、殺されるかなって」
「自分の立場をよく分かってるじゃないか、偉いぞサヤ」
片手で乱暴に頭を撫でられる。スゲェ、異性に頭を撫でられるってこんな不快な感じだったんだな。
ボサボサに乱れた髪が目に入る痛みに耐える。
「こ、殺さないでください」
「サヤ、お前は俺に教義を捨てて見逃せと言うのか?」
「あ、いや決してそんなわけではないです。教義を捨てずに私を見逃してください!」
「何言ってんだお前」
冷静なカインのツッコミのおかげで気持ちが少し落ち着いてきた。
「あー、あのもしかしたらまだ生きてたんですよ。いやぁ運が良かったなあ!」
暫しの沈黙。やがてカインが短い舌打ちをすると肩から手が離れた。どうやら上手い反論が思いつかなかったらしい。そういえばアメリアさんに使って失敗した所を目撃されたな。
うん、あれは死者蘇生じゃなくて治癒。治癒魔法ということにしよう。
間一髪命の危機を脱して安堵にしていると強引に体の向きを変えられた。
「オーケイ、分かった。確かにお前の言う通りルチアが生き返った確証がない」
向かい合ったカインの顔が否応なしに視線に入る。明らかに相手の言い分を認めるような顔じゃない。青筋を立てつつ笑顔を浮かべると言う器用なことをこなすカイン。
「だがお前が死者蘇生を行なっていないという確固たる証拠もない。本来なら疑わしい時点で即処刑するというのが決まりだ」
怒り狂った緑眼に睨まれ、骨の髄まで凍える心地というものを味わう。どうあがいても死にそう。ごめん母さん、日本に帰れなかったよ。最後の晩餐は白米が良かったな。
恐怖のあまり目を閉じる。その拍子に涙がこぼれた。
「よって処刑する」
バキィ、という首が無理やり動かされる音と共に頰に痛みが走る。思わず尻餅をついた。
見上げるとカインが右手の拳を振っていた。
口内に広がる鉄の味に顔をしかめる。殴られた頰がジンジンと痛い。
「お前には利用価値がある。よってまだ生かしておいてやる。だが心得ておけ、次に隠し事をしたら確実に殺す」
無理やり手首を握られ、立たされる。握ったまま歩き出した。歩幅に対応出来ず地面に転ぶ。
握られたままの片手を引っ張られるが上手く立ち上がれない。そのうち視界がグラグラとし始めた。
「おい、立て。おい、おい?」
混濁した意識でカインがこちらを覗き込んだ気がした。その内足に力すら入らなくなるといよいよ呼吸するのも辛くなってきた。
「……魔力欠乏か」
舌打ちを合図にするように意識がそこでパッタリと途絶えた。
わあ、これはラブコメ的スキンシップ(白目