騒乱の蝶舞
精霊祭当日。長耳族の数少ない祭りである精霊祭の開催、その報せはアジャ村を熱気で包んだ。村人は酒を飲み、歌を歌って踊り狂う。子供達もはしゃいで踊りを見よう見まねで真似をする。やがて日が沈み、篝火の青い光が洞穴を照らす。
「結局、サヤちゃんは来てくれなかったわね」
ルチアはポツリと呟く。頭を振って寂しさを追い出し、両頬を叩いて気合いを入れる。この祭りだけはなんとしてもしくじるわけにはいかない。
脳内で振り付けと歌を思い出す。複雑な手順を必要とする上に痛みを伴うそれは並大抵の精神力では踊りきることができない。
ルチアが失敗すれば次に踊るのはエンザ。しかしこの村で神聖語に通じるのは彼とローザだけであり、彼を失うことは一族にとっての大きな損失になる。人間族との交易を手放せばいずれ絶滅してしまうだろう。
「ルチア様、そろそろお時間です」
エンザの申告に重々しく頷き、洞穴の奥に歩き出す。最深部に続く通路を塞ぐ蔦をローザが取り除く。ジャラジャラとなる装身具と視界の端を掠める己の衣装のマントに苦笑を漏らす。
「13回目でもやっぱり緊張するわね」
浮かない表情のエンザが口を開く。
「ルチア様、やはり私が……」
「なりません。一族の長たるその身と立場を重んじてください」
言葉を続けようとするエンザを制する。初めて出会った頃は小さい少年だった彼もようやく成人を超えた。彼の変わらない優しさが今はたまらなく怖い。気を抜くと縋ってしまいそうになる。
己の弱さを振り払うために足を少しだけはやめる。エンザも慌てて後をついてきた。これでいい、これでいいんだ。私が犠牲になることで一族を救えるのなら、これに勝る喜びはない。そのために私は転生したんだ。
◇◆◇◆
しばらく通路を歩くと封印の間が見えてきた。その場にあるだけで威圧を与える鉄製の扉に貼り付けられた魔法陣が鈍く輝く。その時複数の足音が耳に飛び込んだ。振り返るとサヤとカインがいた。
「ルチアさん!」
「あら、見送りに来てくれたの?」
一番会いたいけど会いたくなかった人が来た。八の字眉に下がり目尻の優しい子。初めて出会った時に傷を治してくれた、とっても優しい子。
肉体の年齢としては同年代だが、13回の転生を含めるなら彼女の年齢を大きく上回るだろう。若い彼女は首を振る。
「違います、ルチアさん。私、見つけたんです。精霊をぶちのめす方法がッ!」
ああ、優しい彼女はこの時までずっと助けるために探していたのか。出会ってほんの数時間しか共有していないだけの人間のために。
彼女はきっと1人を犠牲にして次につなぐというこのやり方に心を痛めたのだろう。若さと無謀は似ているものがある、とは誰の言葉だったか。
「ローザ、彼らを連れ出ー」
「いいわよ」
呆けていたエンザだったがハッと意識を取り戻す。すぐに村長としての自分の立場を思い出し、ローザに指示を出す。カインがレイピアの柄に手をかけたのでルチアは慌ててそれを遮って許可を出す。
「封印の間に入った者で生還した者はいない。死ぬ覚悟を決めること、私の踊りを邪魔しないこと」
ここで下手に追い返して邪魔されるよりも条件をつけて納得させた方がいい。指を二つ立ててサヤの瞳を見る。どのような方法かは分からないが、正直に言って期待できるような代物ではないだろう。
「この二つを誓えるなら一緒に来てもいいわよ」
「誓います」
間髪いれずの2人の回答に若さを感じつつ、扉を開けるように指示を出す。最初は渋っていたエンザも2度の命令に従った。封印の間の扉をローザとエンザが引っ張る。2人に見送られながら部屋に入った。
手に持った青い炎の灯る松明を高く掲げ、室内を照らす。静寂が支配するこの場所はいつだって厳かで狂気に満ちている。地面に描かれた魔法陣は途切れかけている。効力が切れるのも時間の問題だろう。
松明を部屋の中央にある篝火に放り込む。ゴウッという勢いよく燃え盛る音と共に部屋の全てが照らされた。
「これが、精霊……」
サヤの息を飲む音が聞こえた。サヤの視線の先には巨大な巣があった。多角形の模様を描きながら張り巡らされた糸が光を反射していた。その巣の中央に黒い塊がある。
あかりに反応したその塊がピクリと動き、カサカサと音を立てながら四対の脚を広げた。感情のない八つの目が部屋の侵入者を捉える。息を吸って気持ちを整え、魔法陣の始点となる場所に移動する。
「《蒼炎よ、闇を遍く照らし偉大なる精霊をこの地にとどめん》」
呪文を唱え、手を広げる。膝を折って手を合わせ、数秒目を閉じ、息を深く吸い込む。
「Ike m Sleepra dị ụtọ Ọmarịcha nrọ
Anyanwụ Ọnwa Chukwu Oche」
歌を口ずさみながら立ち上がる。
ダンッ
脚を広げ、腰をひねって踊り出す。精霊を封印するための踊り、13回目のステップを。
「Ihi ụra ruo mgbe ebighị ebi」
地面を指先や踵で擦りながら踊る。軌跡がうっすらと朱で刻まれる。ジャンプした拍子に血が飛び散った。痛みに脂汗が額に滲む。
この封印の間の地面は表面がざらざらした小さく鋭利な凹凸になっている。踊りながら魔法陣を描くため、少しでも長く魔法陣を維持するために。
生命の象徴である血で魔法陣を描くために。
◇◆◇◆
踊り始めたルチアに背を向けてカインに合図する。カインは頷き、レイピアを抜きはなった。
完成させた精霊拿捕の魔法陣を地面に置いて腕輪をつけた手で触れる。魔力を流し、起動をはじめた魔法陣は淡い輝きを放ちながら宙に転写を始めた。
こちらから精霊に攻撃することは出来ないが精霊はこちらに攻撃することができる。精霊拿捕の魔法陣が起動したことに勘付けば行動を起こすに違いない。
「来るぞ」
カインの予告から僅か1秒。精霊が動いた。拡散する糸を出糸突起から噴射する。
「《火球》!」
カインの掌から三つの火球が発射され、糸を焼き払う。あっという間に糸を処理してしまった。
「相変わらずデタラメなやつ……」
魔法陣に魔力を流しつつ、ルチアの様子を伺う。精霊やこちらに構うことなく踊り続けている。歌を聴いている限りはじめの部分だろう。完成するまでにまだ時間はあるが、もたもたしているわけにはいかない。
糸が焼き払われたと気づいた精霊は別の攻撃手段に移った。頭をもたげ、触肢を広げ顎を広げる。
「毒液か、サヤ!」
「了解、《魔力よ、壁となって弾き出せ》」
空いた片方の手から魔力の壁を作る。普段使う魔法の応用だが、効果はあったようだ。魔力の壁を流れ落ちた毒液が地面を溶かす。異臭を放ちながら煙を上げた。当たったらひとたまりもない。
流し込んでいた魔力の感覚が変わる。手を離し、様子を見守った。空中への魔法陣の転写が終わり、回転しながら風を吸い込みはじめた。
「起動したよ!」
「よし、離れろ」
カインの指示に従って魔法陣から距離を取った。精霊の体が魔法陣に引き寄せられる。最初は踏ん張っていた精霊だが脚が一本ずつ巣の糸から離れていく。ついに最後の一本が糸から引き剥がされた。
「やった!」
思わず歓喜の声をあげる。
「ギチチチチィ!」
精霊は下顎を鳴らし、出糸突起から糸を噴射し、地面に貼り付けて吸い込まれるのを耐えた。糸を切ろうと剣を抜いたサヤより早く、カインが呪文を唱える。
「無駄な足掻きを……。《炎よ、不浄を焼き払え》」
地面と精霊を繋ぐ糸が発火し千切れた。最後の頼みの綱を失った精霊は魔法陣に吸い込まれる。地面に脚を突き立てるが大した時間を稼げるわけでもない。爪痕を残しつつ引き摺り込まれていく。
「捕らえた!」
ついに精霊が魔法陣の中心部に吸い込まれた。精霊の形が崩れ、ぼんやりとした輪郭を持つ球体に変化する。腕輪をつけた手で魔法陣に触れ、球体が腕輪に吸い込まれる。腕輪は一瞬鈍く輝く。
暫く見つめていたが特に変化はない。強いて言うなら模様がよりくっきりと浮き出たぐらいだろう。
「成功だ、やったなサヤ!」
「やったぁ!!」
ハイタッチしながらカインと成功を喜ぶ。成功は確信していたもののやはり何事もなく上手くいくと安心する。胸をなでおろしつつルチアに声をかけようと思い、ルチアの方を向く。
舞い踊るルチアの背後に忍び寄る三匹の子蜘蛛。頭を持ち上げ、触肢を広げつつ顎を開けてルチアに狙いをつけていた。ルチアは蜘蛛達に気づく様子はなく踊りを続けていた。
この距離では声をかけても間に合わない。蜘蛛に気づいたカインが舌打ちをした。一匹を剣で斬りはらい、もう一匹に魔法を打ち込む。残る一匹はルチアの真後ろにいる。
書きかけの魔法陣を踏み込めばどんな暴走を起こすか分からない。回り込んでいる間に毒液が発射されるだろう。
「クソッ、間に合わん!」
魔力で壁を作るだけの魔力は残っていない。カインの助けを待っていては間に合わない。駆け出して剣を抜く。
「《魔力よ、我が身を巡り強化せよ》」
呪文を唱え、両足に力を込めて蜘蛛の側部に回る。一度も成功したことはない技だ、それでもルチアを救うにはやるしかない。剣を振り上げて息を深く吸う。
精霊を封じ込めたんだ、やっとルチアさんが助かるところなんだ。ホリィさんに託された願いなんだ!
「《真空斬》!」
剣を持った腕に残ったありったけの魔力を流し込む。振り下ろした剣先が空を切った。切り刻まれた空気が圧縮され、一つの形を生み出す。
三日月型の風の刃が蜘蛛の体を切り裂いた。緑色の体液を撒き散らしながら吹き飛んだ。真っ二つに切断された蜘蛛は四肢をピクピクと痙攣させていたがやがて動きが弱まった。
「成功、した……?」
ガラン、と剣が手から滑り落ちる。魔力を使い込んだ影響でぼうっとする頭を振る。ルチアが呆然とした表情でこちらを見ていた。
「そう、成功したのね……。でも、踊りは完成したわ。結局私は死ぬ運命だったのよ」
ルチアは踊りで書き上げた魔法陣の中心に立っていた。むせ返るような血の匂いを纏った彼女の口から泡だった一筋の朱が零れ落ちる。
「ルチアさんッ!」