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彷徨う蝶

 日が暮れ落ち、素振り100回を超えたあたりでカインからの許しが出た。もう腕は肩から上にあげることすら困難である。


 ルチアとの約束もあるため夕食を手短に済ませ、さささっと着替える。麻のシャツに茶色のサルエルパンツとブーツ。財布の紐をカインに握られている以上、オシャレをしたいとは言い出せない。専ら彼が買ってくるのを着用している身分なのだ。


 ルチアの部屋の前に立ち、声をかける。中に入るよう促されたので一声かけて布を通り抜けた。部屋の中は荘厳な調度品の数々が飾られていた。


「サヤちゃん、良かったら座って」

「ありがとうございます……」


 なんだかものすごくふかふかなクッションが使われている椅子に座る。すごい、借りてるベッドよりふかふか。


 ことり、と紅茶が目の前のテーブルに置かれる。テーブルを挟んで向こう側の椅子にルチアが座った。淹れてもらった紅茶を恐縮しながら一口飲む。独特な甘い香りがふわりと広がった。少しくどさもある甘い香りと一昨日嗅いだカレンデュラの香りが鼻腔を擽ぐる。


「うふふ、同年代の女の子とお喋りできるなんてラッキーだわ。ここの人たちみんな堅苦しいのよ」

「ルチアさん、敬われてますからね」

「困っちゃうわ、ただ踊るだけなのに」


 ルチアは片手を頰にあて、頰を膨らませる。村人に敬われていた時、辟易しつつも苦笑いしていた。本当に堅苦しいのが苦手なのだろう。


「何か特別な踊りなんですか?」


 村長でさえルチアに対して恭しく接するのだから踊り手の少ない踊りなのか、それとも長耳族エルフにとって宗教的意味合いの強い祭りなのだろう。


「ええ、精霊を鎮める踊りよ。千代に八千代に永遠に繁栄を願い、緩やかな衰退が遍く世に満ちさせる。そんなお祭りね」

「なんだかとっても神秘的ですね」


 ルチアは立ち上がって天井から垂れ下がる布を手で退ける。そこには1着のドレスが飾られていた。裾は膝ほどの長さであり、布地は純白の絹がふんだんに使われている。あしらわれた刺繍は全体的に蝶を彷彿とさせる。肩から背中にかけて翅を模した外套が特徴的だ。


「そう、とっても神秘的なお祭りなのよ。この衣装もその時にしか着れない特別なものなの」


 おお、とサヤがキラキラした瞳でドレスを見つめる。村長のエンザやホリィさんも装飾の施された衣服を身に纏っていたが、このドレスはそれらと一線を画すほど意匠が凝らされている。恐らくこの部屋にある他のどんなものよりも高価なものだろう。


「これを着て踊るんですね。すっごいキレイ、ステキ……」


 うっとりとした気持ちでため息をつく。このドレスを着たルチアはさぞ美しいだろう。身のこなしも美しい彼女の踊る様を想像するとそれだけで気分が高揚した。


「すっごくステキでしょう?なんでもクレヴァーツという蝶型のモンスターからしか取れない糸や翅を使っているらしいわ」


 翅を模した外套だと思っていたものは本物の翅だったらしい。昆虫類独特の透き通る翅に黒い模様が描かれている。ガラスのように透き通る翅はまるで宝石のようだった。


「あ、そうだ。ちょっと待ってね」


 ルチアはガサゴソとクローゼットを漁る。やがて目当てのものを見つけたのか何かを手に取った。黒色と灰色で構成された木目状の模様が特徴的な腕輪だ。


「この腕輪、不思議な模様でしょ?とってもステキなものらしいの」

「模様が、ですか?確かに特徴的ですね」


 金属特有の鈍い輝きを放つ黒色の腕輪を眺める。サヤの回答にルチアはクスクスと笑った。


「この腕輪に使われている金属、ウーツ鋼というんですって。その金属を使って作った剣は決して錆びず、切れ味も落ちない。不変を表すものとして長耳族エルフに重宝されているの」


 ルチアはサヤの手首に腕輪をはめる。ヒヤリとした感覚が皮膚に伝わった。


「え、あのそんな大事なもの、困ります……」


 腕輪を外そうとした手も掴まれた。驚いてルチアの顔を見る。微笑を浮かべながらもその瞳の奥は水底のように冷え切っていた。


「そして、人間には死霊術師の象徴としても伝わっているの」

「……そう、なんですか」


 平静を装って返答する。

 大丈夫だ、ルチアさんは死霊術師じゃない。もし『見聞録』を狙っていたならディーン村の時に襲っていたはずだ。勿論、聖騎士や教会の人間でもない。そうならばカインになんらかのアクションを起こしていたはずだ。ここで動揺する方が怪しまれる。


「ねえ、貴女が会ったというホリィのことを聞きたいわ」

「ホリィさん、ですか?」


 早鐘を打つ心臓を抑えつけ、聞き返す。何故ルチアがホリィのことを聞くのだろうか。訝しんでいるとルチアが一つの調度品を持ってきた。布を被せられたそれを丁寧に机の上に置く。布を取り除くと、その調度品の全貌が明らかになった。


 大きな四角い瓶、その中央には赤い大ぶりの花が浮いている。植物を長期的に保存するための観察標本、所謂ハーバリウムというやつだ。


 そのハーバリウムに飾られている花は見覚えがある。ホリィが髪に飾っていたものだ。


「太古、まだ神が降臨する前の時代。精霊を鎮めるために舞った最初の踊り子がいたわ。その踊り子が好んで着けていた赤い大きな花。タチアオイと呼ばれるキレイな花よ」

「どういうことですか?」


 話が飲み込めず、混乱した頭で質問する。


「その踊り子の名はホリィ。祈るために踊った子。踊って、踊って、踊り続けて命を燃やした哀れな子」

「つまり、もうこの世にはいないと。そういうことがいいたいんですね」


 ルチアはええ、と頷いた。ハーバリウムの瓶を撫でる。タチアオイを眺める瞳は憂いを帯びていたもので、あまりにも寂しそうだった。


「ねえ、ホリィは泣いていたかしら?」

「いいえ、笑っていました」


 ルチアはサヤの回答に目を丸くし、タチアオイを見つめる。


「そう、そうなの。笑って、いたのね」


 ルチアがハーバリウムを持ち上げ、抱き抱えた。その場にしゃがみ込む。


「ホリィ、ホリィ。どうして、どうして貴女はそうも強いの」


 サヤはしゃくりあげるルチアの背中をなでた。髪色と似た橙色の瞳から大粒の涙をさめざめと流す。震える声でホリィの名を呼ぶ姿はどこか、孤独に打ちひしがれる人を彷彿とさせた。


「ルチアさん、ホリィさんを知っているんですね?」


 確信を持って問うとルチアが弱々しげに頷いた。


「私のたった1人の妹よ」

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