邂逅
『拝啓、日本にいるお母さんへ。
こちらは葉桜が目に鮮やかな季節となりましたが、お元気でお過ごしでしょうか。行き先も告げずに行方を眩ました親不孝の娘、サヤは今日も元気に剣を振っています。そちらでもきっと満開のソメイヨシノをお楽しみいただける季節だと思います。季節の変わり目は体調を崩しやすいというので気をつけてください。
追伸、行方不明届はもう提出しましたか?
サヤより』
ボケーっとそんなことを考えながら剣を振る。鉄の塊とも言える剣はかなり重く、両腕は昨日の今日で早速筋肉痛を訴えていた。
「《真空斬》!」
ちょっとカッコつけて剣を振ってみるがやはり風を切るだけに終わる。目にしみる汗を拭って手元の剣を見つめる。腕を組み訝しげにこちらを見つめるカインの視線に屈しそう。
「ねえ、カイン。技を放つ時って呪文とか魔法陣とかと違う魔力の動かし方をしてるの?」
カインは呆れ返った顔をしつつも律儀に答えてくれた。
「ああ、呪文の時はグイっと。魔法陣の時はバシンと流し込むのがコツだ」
すごい、何を言っているのかさっぱり分からないのに分かりそう。このモヤモヤとした感じすごく不愉快。
「風を捕らえる……祈るから奇跡は起きる、やっべなんも分からん。魔力を練るってどういうこと?」
ブツブツと呟きながらも剣を構える。昨日のカインの実演通りに構え、息を深く吸い込む。魔力を流すのではなく圧縮するように練ってー
「あ、無理だこれ」
振る前に失敗することが分かる。ビュオン、と先ほどよりは強めに風を切る程度だった。そもそも剣で空気を切断して風の刃で攻撃する、なんて超人技を私が出来るわけない。私はごく一般的な現代日本に住んでいた女子大学生なんだぞ。無理に決まっている。
剣を鞘にしまい、地面へ四肢を投げ出す。わかんねー、と叫んでいるとカインに怒られた。呆れを通り越して侮蔑に変わる視線に負けて上体を起こす。
「うーん、魔力を練るっていうのが分からないんだよなぁ。ここはホリィさんに聞きに行くか」
「昨日会ったというやつか、あまり遅くなるなよ」
まだ素振り900回があるからな、という恐ろしい宣告は聞かなかったことにする。立ち上がって服についた土を落とし、カインにすぐ戻ると告げて洞穴に戻った。
◇◆◇◆
「いないなぁ、洞穴の外かな?」
洞穴を彷徨い、ホリィさんを探すが見当たらなかった。村人に聞いてみようと思い、話しかけたが気まずそうな顔をされた為そうそうに諦めた。名前を知っているローザさんもうつらうつらと椅子の上で船を漕いでいた。疲れているのかもしれないので起こすのも憚られた。
閉鎖的社会に生きる長耳族にとって、余所者かつ別の種族であるサヤは歓迎されていない。都会暮らしの長いサヤには新鮮な体験だった。現実はRPGのようにペラペラと個人情報を喋ってくれないのである。洞穴の外に出てどうしたものかと頭を抱える。
いくら考えども打開策はなく、諦めて晴天の青空を背景に舞い踊る蝶を眺めた。小さな白い蝶々、たしかモンシロチョウといったか。それはピタリと空中に止まる。木々の隙間を縫って渦巻き状に張り巡らされた蜘蛛の巣に捕らえられたらしい。ジタバタと動くうちに更に糸が張り付き、ついには身動きが取れなくなってしまった。
中央で待ち構えていた蜘蛛がのそのそと動き出す。銀色の腹部に飴色の脚を持つ小さな蜘蛛は憐れな獲物に毒液を注射し、中央に運ぶ。このまま蝶は蜘蛛の糧となるだろう。弱肉強食が世の理だというのは異世界でも日本でも一緒なのだろう。初めて見る蜘蛛を興味深げに眺めていると背後から声をかけられた。
振り向くとそこに長耳族の少年が立っていた。背中ほどの髪に編み込まれた6枚に分かれた黄色い花びらと琥珀色の瞳が特徴的だった。
「何か困ってるんでしょ?僕、手伝おうか?」
「え、あぁ。ありがとう、助かるよ」
今までとは違う対応に驚きつつも考えを改める。どうやら長耳族の中でも年齢層によって人間への毛嫌い度が変わるらしい。この前の朝顔の少年やホリィさんは人間に対して好意的なのもそれらが理由だろう。
「ホリィさんを探してるんだ。頭に赤い大きな花で蒼い瞳の人なんだけど、どこにいるか知ってるかい?」
少年はうんと元気に頷き、洞穴の中に入って手を振る。どうやら案内してくれるようだ。少年の後についていく。右に曲がった時、少年が話しかけてきた。
「お姉さん、人間だよね。どうしてこの村に?」
「ちょっと旅行にね」
ふーん、と答えた少年。余所者が珍しいのだろう。矢継ぎ早の質問を答えつつ、時にははぐらかしたりしつつ喋る。左に曲がった時、気になったのでこちらも質問してみた。
「どうして人間を毛嫌いしてるんだい?短命だから?」
「違うよ。僕はお姉さんのこと嫌いじゃないよ。人間全部じゃなくて教会の人間だけ。アイツら、昔村長の友達を殺したんだって」
そうか、と答えながら階段を降りる。村長がカインを睨みつけていたのもそういうのが理由だろう。私も一緒に行動していたから教会の人間だと間違われたんだな。嫌われる理由を知ることができたことで少し胸の蟠りが解けたような気がする。
周囲を見渡す。人の気配もなく、明かりもない洞穴の通路だ。明かりの魔法を唱え、足元を照らす。歩いた拍子に舞い上がった埃が光を反射していた。少し咳き込みつつも少年の後をついていく。
ホリィさんは随分と奥まった場所にいるんだな。これならどれだけ探しても見つからない筈だ。通路の一番奥、行き止まりの重厚な鉄の扉の前で少年が立ち止まる。
「この部屋の中にいるよ」
扉に貼り付けられていた魔法陣の紙は一角を除いて剥がれている。数センチの隙間からでも部屋の中は暗闇に覆われていた。扉を押しあけようとした手を止める。チラリと少年の顔を見た。
少年は部屋の前から動かない。両手を後ろに回し、こちらをニコニコと見ている。
「鍵、開いてるでしょ。中に入っても大丈夫だよ」
「本当にこの部屋にいるの?明かりもつけずに何をしているのか知ってるかい?」
首を横に振り、知らないと少年は答える。
「この部屋に向かったのを見たから間違いないよ」
「それはいつの話かな?」
足元の埃を見る。足跡は一つ。サヤの足元でパッタリと途切れている。扉から後ずさる。
「本当にこの部屋の中にいるんだって。お姉さん、信じてよ。僕嘘なんて言ってないよ!」
少年がサヤの手を取る。グイグイと扉の方に引っ張り始めた。驚いて思わず振り払う。少年は体勢を崩し、尻餅をついた。
「ねえお姉さん、ずっとここにいてよ。僕、寂しいんだ。もう、一人は嫌なんだ」
ゆらりと立ち上がる。その拍子に髪に編まれた花がぼとりと落ちた。髪が解け、耳が露わになる。サヤと同じ丸く短い、人間の耳。
洞穴の奥だというのに風が吹く。少年の気配が変わった。肌が粟立つような気色の悪い感覚が背筋を撫でる。
「おい、人間。ゆっくりだ、ゆっくりこっちに歩いてこい」
見知った声と気配を感じて振り返る。弓を番えたローザさんが立っていた。真剣な表情で少年を睨む。ただならぬ様子にサヤは素直に従った。空を切って矢が一直線に飛ぶ。その風切り音を合図にサヤは走り出した。風を感じたわけではない、何かが触れたわけでも音がしたわけでもない。けれども確かに得体の知れない何かが先ほどまでサヤの立っていた場所を掠めた。
ローザがサヤの手首を掴み、走り幅跳びのようにジャンプする。引っ張られたサヤの両足は地面から離れ、ローザに抱え上げられた。長い、長い通路と階段を僅か3歩で駆け抜けた。
「《古の契約に従いて我らを守護せし生命の蔓よ、今堅牢なる障壁となりたまえ》」
植物が勢いよく伸びるシュルシュルという音をサヤの耳が捉えた。その音の隙間から少年のすすり泣くような声が鼓膜を震わせた。
「ローザさん、何が起きてるんですか!」
「話は後だッ!」
角を左に曲がり、右に曲がる。何十歩もかけて歩いたその道筋を5回地面や床を蹴るだけで移動した。勢いよく地面に投げ出され、咳き込みながらも周囲を見渡す。見覚えのある豪華なタペストリーや壁掛けが視界に入った。
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