暗躍
一面白銀の世界。生命の息吹なきその地に白い外套を纏った男が姿を現わす。背中には大剣を背負い、息を吐き出す。外気との温度差で白い煙となって青空に混ざる。男は岩の陰に隠れ、洞窟の様子を伺っている。晴雪を背に洞窟はぽっかりと口を開けていた。穴は広く、手を繋いで五人はゆうに入れるだろう。吹き荒ぶ風以外に音はなく、無人だと判断した男は洞窟に入る。
「ここが件の『祭壇』か……。確かに魔法陣が破壊されているな」
壁に赤色の塗料を使って描かれていた魔法陣は白い塗料でデタラメな線が上書きされている。白い塗料は乾ききっており、男が手袋をはめた指先で撫でるとポロポロと崩れる。塗られてからかなりの時間が経過していると判断し、洞窟の奥に目を凝らす。洞窟はかなり深く、晦冥に包まれた奥はまるで獲物に食らいつかんとする獣の顎門のようだ。
首元からシルバーのロケットを取り出す。そこには一枚の写真が入っていた。つい最近撮影されたそれは一人の女性と男が写っている。その写真を眺め決意を固めた。
「ケティ、この任務が成功するよう祈っていてくれ」
十字を切って神に祈りを捧げ、身の丈ほどある剣を抜き放つ。光を一切反射しないその大剣を片手で持ち、男は洞窟の奥へと慎重に歩き出した。
曲がりくねった洞窟を進み、ランタンに照らされた影が男の視界に入る。壁に隠れ、息を殺す。聞き耳を立てればその影の人物の声が聞こえた。
「ごめんごめんオリバー。今度こそ始末して本を奪うさ。あの本、ボクが貰ってもいいんだろう?」
何者かと会話しているようだ。人数を把握するため耳に全神経を集中させる。呼吸音から一人だと断定する。通信魔法の類で会話しているのか。
「まあいい。それよりもミカゲ、そろそろ准聖騎士のダグラスが到着する頃じゃないのか?」
自分の名前が会話に登場し、男に動揺が走る。聖教会から任務を拝命しここに至るまで3日、恋人に行き先も告げず来た。道中の集落でも名前は名乗っていない。何者かが敵に情報を漏洩している可能性がある。水も凍る気温だというのにダグラスの頰を汗が伝う。
「『大剣使い』のダグラスだっけ?准程度なら配下で充分だよ。じゃあ通信切るね」
帽子にタキシードを纏った影はステッキで地面をコツコツと叩く。フッと影が消える。ダグラスは周囲の気配を探り、上空に剣を振るう。洞窟の天井にいたミカゲが振り下ろしたステッキとぶつかり火花が散る。
「ねえ、准聖騎士のダグラスさん。盗み聞きなんて趣味が悪い」
勘付かれていた。ミカゲに向かって大剣を構える。ミカゲはケラケラと笑い、クルリとその場で回る。
「どうもどうも、ボクは死霊術師のミカゲ。冥土の土産に足りる話だといいんだけど」
ミカゲは帽子を脱ぎ、会釈をする。ダグラスの鳩尾ほどの身長は子供のようであるが、その笑みは邪悪そのもの。ダグラスは両目に魔力を流し、神眼で目の前の魂を見る。水晶にも似た形の魂、その裏から禍々しい黒煙が滲み出している。
「貴様が死霊術師、影法師のミカゲで間違いないな?」
ご名答、と拍手をするミカゲ。対するダグラスの表情には余裕がない。相対した敵に先制攻撃を仕掛ける。横薙ぎをステッキで受け流され距離を取る。
「これは難しい任務、だなッ!!」
剣の勢いを止めることなく回転させ、上空へと切りつける。その攻撃をふざけた様子で回避したミカゲはステッキを脇に抱え上機嫌に両手を叩いた。
「うん、うん!キミは中々良い素材だ。丁度ある術式が完成してね、是非とも実験させて欲しいんだ。村人程度だとテストにすらならなくってね」
その隙を逃さずダグラスが距離を詰めた。避けることもせずミカゲが指をスナップさせる。ミカゲの影が大きく膨らみ、蠢いた。やがて影から白い体毛に覆われた前足が現れ大剣を受け止めた。
「貴様ッ、まさかそいつは!!」
影から這い出した白い塊は息を吸い込み、尋常ならざる声量で咆哮した。
正義の味方が悪に屈する訳がないんだよなぁ