スオーン町
吹き付ける潮風を真正面から浴び、思い切り伸びをする。太陽は夏の終わりとはいえ眩しく、光を反射した波がキラキラと輝いている。真っ青な空、白い雲、青い海、白い砂浜。青と白のサンドイッチが美しいね。息を吸い込む。うーん、なんて潮くさい!!
情緒もへったくれもない感想を抱きながらカインの後を追いかける。活気のあるスオーン町の景色を楽しむ様子はなく、大股で歩いていくので見失いそうだ。
「待って、はやい。はやいよカイン!もうちょいゆっくり歩きましょ。あ、はやいってば」
チラリとこっちを見て速度を上げた辺り確信犯である。貴方の一歩は私の三歩。そのことを肝に命じていただきたいが文句を言っているうちにいよいよ距離が離れていく。ラッタットもちゅうと抗議の声を上げているというのにペースを落とさないこの男、鬼である。角を曲がったので小走りで追いかける。突然白ケープに視界が覆われ、カインの背中に顔面を強打した。
「イテ、急に立ち止まらないでよ。なにかあったの?」
カインの背中から顔をひょいと覗かせる。いかにも古民家といった木製の建物だ。その建物の前にお淑やかそうな女性が立っている。カインの知り合いだろうか?
「迅速な対応に感謝する。少ないだろうが前金として受け取っておいてくれ」
カインは皮の小袋を女性に手渡した。女性はありがとうございます、と低姿勢で皮の小袋を受け取り代わりに鍵をカインに渡す。小銭の音が聞こえたから多分お金が入っている。話が見えず呆気にとられて二人を交互に見る。
「なにかありましたらあちらまでお尋ねください」
女性は隣の民家を指差し、一礼する。それでは失礼します、と言い残して民家の扉を潜った。カインはさっさと古民家の庭にラッタットの手綱を結んでいる。
「暫くはここで寝泊まりする。必要なものがあったら俺に言え」
鍵を開け、中に入るように促す。外に立っているわけにもいかないのでお言葉に甘えて中に入る。
さすが異世界とでも言うべきか、靴を収納するシューラックはあるものの日本家屋にあるような一段変化が設けられた玄関とは様相が異なっている。木目で変化が設けられているものの段差はない。ドアを開けた視線の先にシンクがあり、簡素なテーブルと4組の椅子が寂しげに置いてある。左に視線を向ければベッドが1つ、その奥におそらく浴室らしき扉が見える。
とりあえず椅子に座り、荷ほどきを始めたカインに話しかける。
「さっきの女性は知り合いかなにか?」
「面識はない。民宿をやっていたから借りただけだ。たしか、アメリアという名前だったはずだ」
待ち合わせしていたから急いでいたんだな。時間に厳しい性格なんだろう。他人を待つのも待たされるのも嫌なんだろうな。
何もしないというのは居心地が悪いので収納袋から『見聞録』と題された本を取り出す。チラリとこっちをカインが見たが無視する。
表紙に異常なし、見開きはいつも通りオリバーへの一文。頁を捲り、はじめにと書かれた文があることを確認する。既に読んだ所は省き、次の頁に手をかける。
「なあ、本当に何か書かれているのか?俺から見たら白紙なんだが」
カインが身を乗り出して話しかけてきた。以前からは考えられないフレンドリーな行為である。指で文字をたどりながら読み上げ、カインの顔を見る。
「本当に見えているんだな。俺とお前、同じ本を見ているようで別のものを見ているようだ」
今まで信じていなかったとは心外である。正直に話してはいないが嘘は言ってないというのに酷い男だ。顎に手を置いて考え始めたカインを放っておいて次の頁を開く。記憶が正しければここから先は白紙のはずだ。目をこすってみたが到底白紙とは言えない。文章がそこにあった。
「なにか書いてあるのか?俺には見えないんだ、読み上げてくれ」
いつの間に背後に回ったのか、肩に手を回し本を覗き込んでいる。馴れ馴れしいなこいつ、と思いながらも声に出して読み上げる。
「『死霊術師の瞳は昏く、死者のそれである。その瞳は死を映す。その瞳を見たものは死に魅入られる。いかなるものも死から逃れることはできない』」
頁に描かれた挿絵は目をデフォルメに描いたものであり、虹彩は黒色に塗りつぶされている。更なる情報を得るために頁を捲ったが白紙が続くだけだ。肩を落とし、本を机の上に放り投げる。
「他には書いてないのか?」
書いてなーいと返事するとそうか、と落胆した声でカインが返答した。
いやぶっちゃけ死霊術師の情報は要らないんだよなぁ。頼むから日本に帰るための『送還の魔法陣』を解読させてください、と本の頁をひらく。やはり変わらず黒い液体がひたひたと滴っているので慌てて閉じる。
まあ特に情報を得られないだろうがカインにもこの本の事を聞いてみるか。
「そういえばカインはこの本知ってるの?」
荷物から道中買った食料を取り出し、パンをこちらに放り投げる。慌ててキャッチし頬張る。うん、日本と違ってパサパサ。口内砂漠化加速するね。収納袋から水筒を取り出し中身を飲み干す。
「その本に関しては何も知らない」
やっぱり何も知らなかった。頭の後ろで手を組み、うめき声をあげる。
「なんでこの本が狙われるのかなぁ。大した事書いてないと思うんだけど」
「さあな、死霊術師にとって重要なものなんだろう」
使えるものは異世界から魂を呼び寄せるという召喚の魔法陣ぐらいだがどうなのだろうか。残り少ないパンをもしゃもしゃ齧って頭を動かす。そのために襲撃するほどの魔法陣なのか。うーん、分からない。
沈黙が気まずいのでなんとなくカインを質問ぜめにしてみよう。折角会話が成立する関係性になったんだし、丁度いい。
「そういえば、初めて会った時魂の穢れとかなんとか言ってたよね?」
椅子に座り紙に何か書いているカインに尋ねてみる。文字を綴る手を止める事なく返答した。器用だなこいつ。
「聖騎士は神の祝福を目に宿す。その目で見たものの魂を見ることができる」
いきなり厨二病みたいな事を言い出しましたねこの堅物。初めて会った時からヤバイのかなって思っていたがまさかここまでとは。面白いので話を合わせてみる。
「で、その魂が穢れた人はボコボコにするんだ?」
「あぁ、呪法で転生した死霊術師の証でもあるからな。発見次第即処刑だ」
おっと想像以上に血生臭いワードですよ。サーチアンドパニッシュとは法治国家で生まれ育った私には馴染みがないですね。それにしても呪法で転生したとはこれまた呪術的な表現だな。
「教義に反するから?」
「そうだ。死んだ者は神の腕に抱かれる。その理は絶対だ。転生や蘇生など言語道断」
へぇ、と相槌を打つ。この場に生き返った奴がいます!なんて叫ぶと思ったか。すまないな、私もまだ自分の命は惜しいんだ。
パタパタと羽音を立てながら鳥が窓から部屋に入ってきた。白い羽に赤い嘴、文鳥だろう。異世界にもいるんだな、文鳥。カインは紙を丸め、鳥の足にくくりつけられた筒にいれて蓋をした。鳥はちゅんと短く鳴くと窓から外に飛び立つ。
「伝書鳩、じゃなくて伝書鳥?」
「団長の指示があるまでは待機だ。奴らの目的はその本だ。外出するときは俺を呼べ」
狙われているのは本とはいえ殺されかけたのも事実である。本がサヤから離れない限り敵もサヤを連れ去るか殺すかの二択を選ぶだろう。シャーロットとラントーザのことを思い出し、鳥肌の立つ二の腕をこする。あのような思いは御免被りたい。うん、最強フラグ建築士カインが護衛というのも心許ないがいないよりはマシである。素直に従っておこう。
会話が途切れたのを察知したのか、唐突にシャツを脱ぎ捨て腕立て伏せを始めた。なんだこいつ?正気か?普通この流れで筋トレ始めるのか?あ、異世界だから普通が通じないや。まあ、室内筋トレは今日始まったことじゃないし。
筋トレ中に話しかけるのも憚られるので大人しく予備の魔法陣を量産する。本当は紙にペンで書くよりも布に刺繍した方が雨水への耐性があるのだが時間と金がない。紙に書いた魔法陣は水に触れると線が滲んで不発に終わりやすいのだ。火薬に湿気、蔵書に黴のように紙の魔法陣の天敵は水なのだ。
量産する魔法陣は勿論カイン直伝炎檻である。名前を聞いた時は危うく吹き出しかけ、寸前で頬の内側を噛むことで笑いを堪えたという語るも涙聞くも涙のエピソードがあるが、ここでは割愛しよう。
更に改良を加え、前後左右だけでなく上空も炎で抱えるように変更した。カイン曰く上空に飛び上がったところを狙い撃つという外道な戦法を使っていたらしい。さすが聖騎士、目的のためなら手段を選ばない。正々堂々なんて道の端に捨ててきたに違いない。
私は非戦闘員なんで敵の無力化が出来れば充分です。人を殴るなんて文明的じゃない。もう二度と地面に横たわって動かない人間を眺めるのは勘弁だ。
腕立て伏せを終え、腹筋を始めたカインを頬杖をついて眺める。よくやるよなぁ、ほんと。あんなに早く腹筋できないわ。シャーロットに切り刻まれていた首は傷1つ残っていない。対して自分の掌や首には細い線がいくつも残っている。近くで目を凝らさない限りは見えないだろうが、やはり気持ちのいいものではない。
傷跡消すのって保険の範囲内だっけ?いくらかかるかな、バイトで稼げる範囲だといいんだけど。そんなことを思いながら魔法陣を量産してその日は終わった。
忘れられそうですがサヤは現代日本での女子大学生という設定なんです。はやく日本に帰ってご家族を安心させてあげないと!年頃の男女が1つ屋根の下で寝ているなんて知ったらご両親卒倒しちゃう!!