消えゆく意識で
確かに握っていた本の感触を思い出しながら来た道を戻る。大方、返還の魔法陣のアレンジだろう。仕組みはおおよその検討はついている。登録した魔力から離れると発動するとみた。寒気のする腕を摩り、少し駆け足になる。そろそろ時間的にもまずい。短時間で終わると思って予備を持ってきていないんだ。
角を曲がり、住宅地の裏道へ。行き止まりの方を見る。まだいた。地面で蹲った体勢のまま動かない。腕の隙間から青漆の表紙が覗いている。
「うーん、魔法陣を見逃すとか俺ってばまずまずやばいかんじかな?かな?」
蹴り飛ばす時間も惜しんで屈んで本に手を伸ばす。服を掴まれる感覚と背中への衝撃。
「あ、れ?」
地面が回転した。消えかかった星を背にサヤが馬乗りになっている。一つは建物の陰に隠れてもう一つか傾いて真上にお月様。最後は地平に消えちゃった。
「なんで、動けてるかな?おかし、いな?」
瞬きすら忘れてサヤの顔を見つめる。影になって顔が見えない。全然可愛くない、母さんにサッパリ似てないじゃないか。そんなことを言ったのは誰だ?
それに服の裾に書かれた魔法陣も変だ。なんだこの術式、めちゃくちゃだ。肺を止めていた魔法陣に似ているけど違う。これは体を無理やり動かす効果だ。魔力でバネを引っ張るみたいに無理やりだ。初めて見た術式だこれ。
「…………」
なんで、何も言わないんだ?その片手に持っているのはなんなんだ?
風をきって振り下ろされる。鈍い音の後にゆっくりくる鋭い鈍痛。頭がガンガンと揺れる。
殴られたのか、手に持った酒瓶で。酒瓶で殴ったんだ、お父さんみたいに。
お父さん?
「……ん…さ……」
喉がひきつる。おかしいな、さっきは普通に喋れたのに。下にいるべきは俺じゃなくてお前のはずなのに。
再度振り上がる手に握られる緑色のガラスに見とれる。チカチカ光ってお星様みたい鈍い音に混じって鋭い音。2度目の鈍痛は鋭い熱さを伴ってじわじわ広がる。
熱にやられたのか、視界は滲んで、揺れて、
赤くて、
紅くて
「ごめ…な…さい……」
視界で消えたはずの星がくるくる踊ってる。
『あなたがいるからお父さんと一緒にいるのよ』
やめて、そんな目で見ないで。
『僕が悪いです!ごめんなさい、もう2度としません!だからぶたないでッ!ごめんなさい!ごめんなさい!!』
喉が裂けるぐらい叫んでもやめてもらえなくって
『お前のせいだ!この屑がッ!とっととしねッ、今すく死ね!誰の金で生きていけると思ってんだッ、言ってみろ!!』
お酒飲まなければいい人だったのにって母さんが言ってたんだ。言ってもやめないなら躾けないと。
『もうやめて、ラントーザ!お父さんが死んじゃう……』
いつも見ているだけの癖に、なんで止めるの?なんでそいつを庇うの?なんでいつも僕じゃなくてお父さんなの?僕は生まれて来なければよかったの?だったらなんで産んだの?
ずっと要らないのは僕だったの?
首を絞めた。母の首は細くて、皮と骨しかないんじゃないかってぐらい細くて。パクパク口を動かしてる。母から引き剥がされ床に突き飛ばされる。
『な、何をしてるんだお前!離れろ、おい。目を覚ませ、覚ませったら!!』
背中を向けたお父さんの頭に茶色のキラキラを投げる。ぱりーん、ばらばら、がしゃん。スリッパで踏むとじゃりじゃりする。ギザギザがかっこいいので手に取ってみる。軽くて持ちやすい。
『う…っ、何をするんだラントーザ。ヒッ、来るな!来るんじゃない!!』
どうして俺は殴られてるんだっけ?確か、たしかー
『貴方生き返らせたい人がいるのね。私の手助けしてくれないかしら?』
シャーロット、あいつだ。あいつのせいで
『最近隈がひどいわ。良かったらこれ、飲んでみて』
体の末端が震えている。薬が切れたな。畜生、畜生。頭から流れる血が目に入る。こんなことなら予備を持ってくるんだった。くそったれ、何がすぐ片付くだ。コケにしやがって。
薬の切れた体はラントーザの意思に従わずブルブルと震えるだけ。
このままじゃ死ぬ。確実に殺される。
人を殺したんだ、俺は悪いやつなんだ。
死にたくない、死にたくない。
死んだら地獄に行くんだろ?
きっと、死んだら父さんと同じところにいって叩かれてしまう、母さんが泣いてしまう。嫌だ、会いたくない。死にたくない。会いたくない。死にたくない。
「……あ、い…た……、……っ……」