託されたもの
スコルの告白に揺れ動くサヤの気持ち…
思い出すのはスコルの蠱惑的な笑みばかり。
高鳴る胸を押さえつけてサヤの導いた答えとはー
ふと、目を覚ました。
弱々しげなクライピオンの鳴き声が聞こえる。窓から差し込む月光が顔にあたって目が覚めたようだ。眩しいので手で覆い、目を瞑るが一向に寝付けない。
ベッドから起き上がって、喉をさする。焼け付くような乾きはもはや痛みとなってジリジリと喉を蝕んでいる。のそのそとベッドから降りて洗面台に向かった。
蛇口をひねって水を出す。コップに溜めた水面に映る自分と目が合う。今まで見たことのないような酷い顔だ。
一気に飲み干す。口に広がる微かな苦い水の味に隠すこともなく顔を歪める。
『リタを生き返らせるためにはオヌシの力が必要なんじゃ。頼む、協力してくれ』
スコルの言葉を反芻する。亡くした妻を生き返らせるために生贄を必要とする召喚でサヤを呼び寄せたスコル。サヤがそのことに気づくまで黙っているつもりだったのだろう。もしかしたらまだ他にもなにか隠しているのかもしれない。
それでも。
リタとの思い出を語るスコルの顔を思い出す。目尻が下がりきった、寂しげな影のある笑顔。
人の道を外れてでも最愛との再会を願うことは悪いことなのだろうか。恋人の出来たことがないサヤには分からない。
リタを蘇らせるために作り上げたという死者蘇生の魔法陣。その巻物は今サヤの手にある。本と共にスコルに託されたものだ。机の上に広げてみる。見れば見るほど複雑に書き込まれており、余計な手を加えれば却って効果を損なう恐れがある。
「どうしろってんだよ…」
スコルの話の全てがサヤを混乱させた。
何を信じればいいのか、これからどの判断を下すべきかそれすらもぐちゃぐちゃの頭では分からない。
そう、情報が足りないんだ。異世界から来た私は何にも知らない。このまま、何も知らないでいると取り返しのつかない判断を下してしまいそうだった。
だが、どうやって?
『この本はワシが貰い受けたものじゃ。召喚の魔法陣しか解読できなかったが、オヌシが帰る手がかりがあるじゃろう。無理に引き止めはせぬ……』
スコルの言葉を思い出す。そうだ、あの本だ。
どういう意図かは分からないが、あの本になにか手がかりがあるかもしれない。
顔を上げる。
相変わらず酷い顔が鏡に映っていたが、気分は多少マシになった。頰を叩く。落ち込んでも変わらない、なら行動あるのみ。部屋に戻り、発光魔法陣に魔力を流して明かりを灯す。収納袋から取り出し、本を開いた。
相変わらず白い頁をめくる。現状日本に帰る可能性はこの本に記されている。異界から魂を召喚する魔法陣の次の頁を開く。
「なんだこれ、どうなってるんだ?」
初めて見た時より状態は悪化していた。頁は隅から隅まで黒く滴るインクがとめどなく溢れてくる。机の上に垂れたので布の切れ端で擦ったが、布にインクは付着しなかった。修復呪文や洗浄魔法を試したが汚損は一向に改善しなかった。
この汚れ、相当手強い。こうなれば洗うまでだ。
羊皮紙だし、乾かせばなんとかなるだろう。洗面台に水を張り、乱暴に本を手で擦る。じゃぶじゃぶと本を洗う。
結論から言うと無駄骨だった。
諦めて本を乾かす。もうどうしようもないな。諦めることに関して他の追随を許さぬほど決断が早いサヤは本を机の上に放り出す。
「なんだよこの液体、黒いし乾かねぇし無味無臭!おまけに水に混ざらない!」
黒い液体を集めた瓶を振る。ちゃぽちゃぽと水音を立てながら瓶の中で揺れている。不思議なことに特定の頁から滴る液体は布に染み込まず、撥水加工された表面を滑るように転がっていくだけ。
おかげで服や机が汚れずに済んだ。だがこの液体は本の頁にじっとりと染み込んでいる。試しに他の紙の上にも垂らしてみたが、布の時と同じように軽やかに滑っていくだけ。何故紙や布に染み込まず本の頁にだけ染み込んでいるのか。本を閉じると黒い液体は消える。どうやら特定の頁を開けると黒い液体が滲み出る仕組みらしい。
なぜ異界からの魂を召喚ないし送還する魔法陣だけが書かれているのか。もしやスコルの言っていた解読とは白紙の頁をどうにかすることなのか?
結局、スコルに話を聞かなければならないようだ。憂鬱な気持ちになりながら本を閉じる。何気ない気持ちで表紙を眺めた。
見聞録。確かにそう書かれている。
「え、見聞録?」
てっきり召喚に関する『魔法陣の見本』、だとか『召喚を語る』、などと言った召喚術に関する表題が掲げられていると思っていたため、思わず声に出してしまった。何度見ても青漆の表紙に金色の文字で刻印されたそれは変化しない。
見聞録、確か自分の見聞きしたものの記録って意味だったな。うっすらと高校時代に受けた歴史の授業で教師が言ってた話を思い出す。
他に何か情報はないか再度本を開き、表紙の裏、見開きと呼ばれる箇所を再度確認する。
「最も困難な時に支えてくれた我が友、オリバー・コルテサンに捧げる」
著者の親友への追悼を込めた文はあいも変わらず健在だ。うん、他に情報はなさそうだ。
他にも色々とひっくり返したり逆さまに読んでみたり火で炙ったりも試みたが悉く徒労に終わった。
さて、どうスコルに話しかけたものか。かなり気まずい関係になってしまった以上どう切り出していいものか頭を悩ませる。窓の向こうで白み始めた空と独りぼっちになった月を眺めた。
はぁ…
(窓を眺め、頬杖をついてクソデカため息)
スコルさん、どうしてあんなことをしたの…?
私、一体どうしたらいいの…?
やだ、私ったらスコルさんのことばっかり考えてる!!
もう、忘れなきゃいけないのに…
次回、『2人で掴む未来』。
私、やっぱりスコルさんのこと…!!