スコルピィという男3
ようやくスコルピィの回想終わります…
お待たせして申し訳ない
浮浪児から少年、やがて青年へと成長したスコルは医療魔術の使い手として周囲の町からも患者が訪れるようになっていた。男の元を去り、小さな病院を経営している。不本意ながら院長となってしまったスコルは患者のカルテを整理しつつ、紅茶を啜る。
「スコルー!干してあったシーツ取り込んどいたわ!包帯はいつ頃届くんだったかしら?」
リタは血のついた白いシーツをベッドから剥がし、洗濯したシーツでベッドメイクをしている。
リタは病院を建てると決めた時、手伝いをすると言って譲らなかった。
リタ程の器量であれば家業の継承も出来たであろうに、妹に家督を譲りスコルの病院で働いている。
出会った頃と違い、今では軽口を叩けるほどにまで仲は進展した。
友人として進展していく一方でスコルはリタに対して想いを募らせていた。
「ああ、助かるぜ。アンタも休憩しなよ」
「アンタじゃなくて、リタ!まったくもう昔から言ってるのになんで変えてくれないのかしら」
名前で呼ぶのが恥ずかしいからだよ、と心の中で返事する。
一向に要求に応じないスコルであっても律儀に名前で呼ぶことを要求するリタとの応酬は街の名物だった。
自分たちが夫婦喧嘩は犬も食わないと噂されていることもスコルは知っている。
それでも名前で呼ばないと少し不機嫌になるリタを見るのが堪らなく好きだった。
緩む頰がバレぬよう、背を向けて紅茶のセットを用意する。
角砂糖1つ、紅茶は半分より少し多め。
茶葉はリタの実家で出されているものと同じ銘柄。
長年の調査により判明したリタの好みである。
「うーん、美味しい!やっぱりスコルの淹れる紅茶は最高ね!」
「アンタは淹れるのヘタだからな」
そうかそうか、好きなだけ飲んでくれ。
アンタの為に練習したんだ。
リタの笑顔が見たいから。
「だからアンタじゃなくてリタ!ほら、繰り返してごらんなさい!」
「アンタ」
もぉー!と腕を組み、眉を釣り上げるリタ。
涼しい顔をしながらも心中は穏やかではなかった。
そんなにも俺に名前で呼んでほしいのか。
俺なんかにアンタの名前を呼ぶ資格はないのに。
俺よりアンタに相応しい男は沢山いるんだ。
知ってるか、アンタ街では可愛いって有名なんだぜ。
勘違いする前に頼む。
傷つける前に頼む。
笑わないでくれ、アンタの笑顔を見ていると抱きしめたくなるんだ。
「そんなことよりもだ。オレの見立てだと今日の夜に破水するだろう。仮眠は今のうちにしておけ」
リタは真剣な表情になり、入院している妊婦の状態を報告する。
やはり、今日の夜に陣痛がはじまるだろう。
手紙を届けに来た郵便職員に銀貨を渡し、妊婦の夫へ言伝を頼む。
職員は喜色を浮かべながら快諾した。
職員の背中を見守り、ソファに横たわる。
今はとにかく、夜に備えて体力を温存しなければならない。
目を閉じ、意識を手放した。
「おめでとうございます、元気な女の子ですよ」
毛布で包まれた赤子がベッドに横たわる女性に渡される。
夕暮れの中、女性は涙を流し、腕に抱いた我が子の頰を撫でた。
「あぁ、無事に産まれてくれて良かった。神様、どうかこの子が幸福に包まれた人生を送れますように。私、この子を産んで本当によかったわ」
女性の宣言を聞きながら、スコルはふと自分の母親に思いを馳せた。
オレの母はオレが産まれた時、どんな気持ちだったのだろうか。
恨んだのだろうか、それともこの女性のように喜んだのだろうか。
病室のドアを強引に開け、女性の夫が転がり込む。
「子供は無事か!あぁ、無事に産まれたんだな。2人ともよく頑張ったな。ありがとう、本当にありがとう……」
夫も涙を流し、そっと女性の額の髪の毛を退けると唇を落とす。
ふと隣を見れば、リタがハンカチを取り出して目元を押さえている。
大方貰い泣きをしたのだろう。
「ふ゛し゛に゛う゛ま゛れ゛て゛よ゛か゛っ゛た゛よ゛ぉ゛」
そっと夫婦に背を向け、病室を出る。
リタも夫婦の感動に水を差す程馬鹿ではないので、素直にスコルの後についていく。
「初めての出産補助で難産は大変だったわ。本当に無事に産まれて良かったぁ」
ようやく落ち着いたリタがソファの上でだらけながら話しかけてくる。
「あぁ、そうだな」
疲労の蓄積した頭で思い出す。
破水後、陣痛が訪れない妊婦のために魔力で補助を行ったスコルの体力の消耗は激しい。
加えて、生まれてきた赤子が一向に泣かず、リタのとっさの機転で肺の羊水を排出させたという出来事があった。
「あの時、動いてくれて感謝してるぜ。ありがとな、リタ」
「どーいたしまして」
とうに冷めた紅茶を啜る。
リタがソファで伸びをし、欠伸をする。
「…ん?今名前で呼んだ?」
「名前なんていつも呼んで、あ……」
慌てて口を覆うも時はすでに遅い。
リタの驚いた表情からじわじわと満面の笑みに変化する。
熱が顔に集まるのを自覚した頃にはリタは既に隣に座っていた。
「へぇ、いつも呼んでるんだ。私の名前、あんなに強請っても呼んでくれないのに」
「ち、違う、今のは間違いだ。そうだ、オレたち疲れてるんだ。よし、寝よう!!」
「図星突かれた時、貴方服の裾握る癖があるのよ?知ってたかしら」
服の裾を掴んでいた右手を撫でられる。
疲労とパニックで頭が働かない。
嫌われるだろうか、心の中で名前で呼んでいると知ったら軽蔑されるだろうか。
好きだと伝えて嫌われたらどうしよう。
嫌われたくない。
リタに嫌われたら、きっとオレはショックで死んでしまう。
自分の心臓と呼吸の音がさらにスコルを追い詰める。
碌な言い訳も現状を打開できる策も思いつかず、一瞬とも永遠とも分からない時間だけが過ぎる。
「スコル、呼んで。私の名前、もっと呼んで欲しいの」
横にいるリタの顔も見れず、震える口で呼ぶ。
右手は真っ白になるほど力が入り、目は今にも涙が溢れそうだ。
「なぁに、スコル?」
「リ、タ…リタ……」
「ふふ、スコル」
「リタ、好きだ」
一度名前を呼んで仕舞えば止まらなかった。
「好きなんだ。リタ、オレ、リタの事が好きなんだ。どうしようもないんだ…いつもリタの笑顔が脳裏に浮かんで…でもオレ、浮浪児で」
リタが勢いよく立ち上がった事でスコルは驚いて言葉をつぐむ。
リタの顔を見ることもできず、太ももに置いた手を凝視する。
ようやくリタに手を引っ張られ、立つように促されたことでスコルはぎこちなく立ち上がった。
リタの顔を盗み見れば、いつもと変わらない笑顔があった。
「関係ないわ」
呼吸が止まる。
「私も貴方が好きなの、スコル。だからずっと名前で呼んでほしかったの。名前で呼んでくれてありがとう」
「リタ…好きだ……」
「は、恥ずかしいよ。もぅ」
震える腕で弱々しくリタを抱きしめる。
リタは強い力で抱擁を返してきた。
幸せとはこんなものなのか、こんなにも涙が止まらないのか。
生まれて初めて神という存在に感謝した。
運命の巡り合わせや導きなど眉唾物だと馬鹿にしていた過去を恥じる。
こんな自分を好きだと言ってくれたリタに好きという気持ちが溢れて止まらない。
好きで好きでたまらない、頭がおかしくなりそうだった。
もしかして片思いの時よりやばいんじゃないか、とどこか他人事のようにも考えていた。
もぞもぞと腕の中で動くリタに名残惜しさを感じつつも開放する。
ふと扉の方に視線を向ければ、赤面した表情で妊婦の夫が口を押さえていた。
スコルの顔から血の気がひく。
「お水貰いまーす」
そそくさと水差しからコップに水を入れる。
お邪魔しました、と囁きながら扉を閉めた。
リタはクスクスと笑っているが、スコルは微動だにしない。
不審に思ったリタが顔を覗き込む。
「あらま、立ったまま気絶してるわ……」
「きゃー!なんてロマンチックなの!」
サヤは顔を両手で抑え、体を悶える。
スコルは満更でもなさそうにふぉっふぉっと笑っている。
「思い出すと心臓がきゅんきゅんするわい」
ふと何気無くスコルの名前の由来を訪ねたサヤだったが、思わぬラブロマンスに興奮冷めやらぬ様子で思いを馳せている。
「リタとはよく夜空を眺めたもんじゃ。特に星座を見るのが好きでのぅ」
よく星の話をしてやったもんじゃ、と喋るスコルはどこか寂しそうだった。
サヤの視線を感じ、スコルは微笑む。
「なに、もうじき会えるじゃろうて。リタには話したい事がいっぱいあるからのぅ。ワシのちょーカッコいい武勇伝、新種のモンスター、それにサヤ。オヌシの事を知ったらきっとリタのやつ、墓から蘇ってきそうじゃの」
なにせオヌシはリタにそっくりじゃからの、としみじみと喋りながら顎髭を撫でる。
「本当にリタさんのこと、愛してたんですね」
「今も、愛してる。アイツは優しい奴じゃったからなぁ。早く会いたいわい」
スコルは顎髭を撫でるのをやめ、夜空を見上げる。
塔の最上階、屋根のないこの場所ではよくみえる。
目を閉じても顔も声も思い出せない。
だが、不思議なことに会話の内容は鮮明に覚えている。
『なぁ、リタ。もし永遠に生きられるとしたら、リタはどうする?』
『そうねぇ、きっとスコルと一緒に病院を経営してるわ』
『オレと?』
『ええ、だって私この生活が気に入ってるもの』
『楽じゃないだろ。好きなものも指輪も買ってやれない、旅行にだって』
『私の幸せはそういうものじゃないわ。スコル、あなたと一緒に生きることが幸せなの。そして、ささやかでもいい。誰も知らなくてもいい。誰かの助けになれるのなら、これほど幸福なことはきっとないわ。貴方はどうかしら?』
『ああ、オレも思うよ。叶うのなら、どの子供も親に愛されてほしい。オレのような思いをするのはオレだけで充分だ』
『ふふ、スコルはやっぱり優しいわ』
『なんだいきなり』
『初めて会った時から貴方の優しさに惹かれていたのよ』
顔も声も匂いも思い出さないというのに、記憶のなかにしか存在しないリタに胸が締め付けられる。
ツンとくる鼻の痛みから目を背け、スコルはサヤに話しかける。
「サヤ、もし永遠に生きられるとしたらオヌシはどうする?」
藪から棒に何ですか、と文句を言いながらも真剣に考える。
サヤの生真面目な所もスコルは大いに気に入っていた。
「そうですねぇ、多分特になにもしないと思います」
思わぬ回答に目を丸くするスコル。
「べつに大した目的があるわけでもないですし、旅好きでもないのでぼーっと過ごしてそうです」
「そうなのかの?」
「あ、でも働いているかもしれませんね」
「永遠に生きられるのに働くのも変な話じゃのう」
「少しでも人の役に立てたら嬉しいなって」
はにかむサヤを見てスコルはリタを思い出す。ああ、人の幸福を願う優しさを持っている。その優しさが仇にならないことを願うばかりだ。
「うぅ、やっぱり夏でもここは寒いですね。そろそろ中に戻りましょうか」
「そうじゃの」
鉄製の扉の軋む音がスコルの脳を揺らす。
暗い下り階段はまるでスコルのこれからを表しているようだった。
想像以上に長くなりました。
ひえっなんだこの回想の分量は…
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