スコルピィという男2
浮浪児はしばらく教会で過ごすうちに、やがて誰から見ても少年と言われるほどには身綺麗になった。栄養不足で今にも折れそうだった手足はふっくらとし、顔には健康的な赤みとそばかすがある。
少年は男の進めで文字を学んだ。慣れないペンと椅子に最初は戸惑っていたが、本が読めるようになると男が喜んで色々な物を買い与えてくれるので自ら努力するようになった。
少年は特に夕食に出てくる特大キノコステーキが好物だった。男はしきりに肉じゃなくてもいいのかと尋ねたが、少年がキノコを譲らないと見ると困ったように笑いながら一緒にキノコに串を刺し、魔法で起こした火で炙る。
少年はいつしか男に父を重ねていた。最も、記憶もないので道行く家族づれの背中を男に重ねるだけだったが、それでも少年は男に強い憧れと崇拝に似た尊敬の念を抱いていた。
だから少年は男の助けになりたい、その一心でさらに勉強した。
男は教会の神父だけでなく医療にも長けていた。
男は少年に特に医療の知識を教え込んだ。
モンスターとの接触による感染症、血清の作り方、薬草の調合などを教え込み、ありとあらゆる治療器具の使い方を実践も交えて少年に体得させた。
一ヶ月後には才覚は街に周知され、男の代わりに簡易的な医療行為を行うことが増えた。午前の診察も終わり、羊皮紙に患者の病症と投与すべき薬品を書き連ねる。木漏れ日に目を細めながら桶を用意し、手押し井戸のポンプを押す。
「今日で竜神の月だったか」
もうじき夏本番か、1人つぶやきつつ、クライピオンの鳴き声を聞きながら汗を拭う。この辺り一帯に生息するこのモンスターは、弱いが毒性を持つ鱗粉を振りまくことで有名だ。抵抗力のある成人男性ならば不快感程度で済むが、女子供では急激な発熱による脱水症状を引き起こす可能性がある。
去年もその対応でてんてこ舞いだったな。この調子なら今年も対応に追われそうだと辟易しながら水桶を持ち上げる。
教会の裏に位置するこの井戸からは男の演奏するパイプオルガンと聖歌隊の歌が聞こえる。少年は特段宗教を信じている訳ではないが、男の説法を聞くのが好きだった。
男は少年に参加するように何度か説得したが、少年はこの井戸の木陰から盗み聞くのが気に入ったので男の誘いを断っている。
少年は男を尊敬してはいたが、同時に自分のような卑しい人間がそばに居るべきではないとも考えていた。善意のみで少年を助けた男のそばには信心深く、思いやりのある人間がそばにいるべきだ。
自分は影で男を支え、遠い場所から彼の幸せを願うべきだと少年は本気で考えていた。
水を汲み、夕食の支度を進めていたときに来訪者は訪れた。来訪者は焦ったようにドアを叩き、少年がドアを開けるよりも早く来訪者によって勢いよくドアを開けた。
「妹のサテラが!助けて!お願いします」
開口一番叫んだその少女は茶髪が特徴だった。少年と同い年とも見える茶髪の少女がさらに幼い少女を背中に担いでいる。
額から汗が流れているというのに顔は青く、膝は震えている。担がれているサテラは服の色が変わるほど発汗し、力なく垂れ下がった足は痙攣している。半開きの目は瞳孔が開いており、口からは泡を吹いていた。
クライピオンの毒か。それもかなり進行しているようだ。
「はやくベッドに運べ!オレもすぐに向かう」
茶髪の少女が口を開くよりも早く少年は指示を出した。茶髪の少女は頷き、診察室のベッドにすぐさま担いでいたサテラを横たえた。水桶に塩を入れてかき混ぜ、薬箱から注射器と液体の入った瓶を机の上に置く。
サテラの額に張り付いた髪を手で払い、魔力を流す。茶髪の少女は汗を拭うこともせず、両手を胸の前に合わせ神に祈っていた。
「間違いない、クライピオンの毒鱗粉だな」
肺に位置する部分から見知ったモンスターの気配を強く感じ取る。同時に肺から全身へと毒が回っていることにも気づく。
手際よく注射器を使って薬品を吸い取る。サテラの腕を取って注射器を血管に差し込み、薬品を注射する。抜いた注射器の針を外し、ゴミ箱に捨てた。
「《水よ、我が意思に従って彼の者へと沁み渡れ》」
少年は杖を構え、呪文を唱える。茶髪の少女が怯えぬよう常に冷静に努めていた少年だったが、この時ばかりは声が震えた。
茶髪の少女の視線を感じたが、少年は無視した。
水桶から水が意思を持って動く。水はサテラの手を飲み込むとその体積を減らしていく。
「おい、アンタ。あの棚からタオルを取って拭いてやってくれ」
茶髪の少女はハッとした顔でバタバタとタオルを取り出す。ゆっくりとタオルをサテラの額に押し当て、優しげな手つきで汗をぬぐっていく。
徐々にサテラの表情が和らぎ、痙攣も収まった。意識が戻ったとしても今日1日は安静する必要があるだろう。
羊皮紙に少女の病症を書き、1日様子を見る必要があると付け加える。右下に教会の名前を書き、戸棚から中途半端な長さの蝋燭と封筒を取り出す。
「この調子なら今日1日寝ていれば明日には走り回れるだろう。なあ、アンタ。名前はなんていうんだ?」
一連の作業を凝視する茶髪の少女の視線に耐えかねて少年はついに指示以外の会話を始めた。
「リタです。去年、風邪で診てもらった…」
「あぁ、確かクリス様に抱きついて離れなかったヤツか」
「わ、忘れてください!!」
ぷんすこ怒りながらリタは返事した。ようやく緊張が解けたらしく、サイドの髪を弄りながら言い訳とも弁解とも言えない言葉をぶつぶつ呟いている。リタの言葉に耳を傾けることなく、蝋燭に火をつけ封をする。
封筒に再度教会の名前を書いてリタに差し出す。
「これ、はやく親に渡してこい」
ぶっきらぼうにそう伝え、リタの返事を待たずに部屋を出る。
部屋の外では男が面白いものを見たといった表情で椅子に座っていた。
「おやおや、診察室に女の子を連れこむような教育をした覚えはないんだがなぁ…」
うるせーと吐き捨て、帽子を目深にかぶる。男はいよいよ笑いをこらえきれずに腹を抱え、涙を流している。
ふと視線を感じ、診察室に意識を向ける。リタがおずおずとドアの陰からこちらを覗き込んでいた。
「ジロジロ見んな、見せモンじゃねぇ」
少年の睨みにリタは怯え、跳ね上がる。格好こそ街中の少年に見えるが、浮浪児時代に浴びた好奇の視線への苦手意識だけは克服できなかった。
リタの怯えた表情にモヤモヤとした苛立ちを抱えた少年は舌打ちする。更に跳ねたリタの肩を視線の端で捉えながらも、どうすればいいかも分からず、かと言って慰めることもできないでいた。
このままでは拉致があかないと判断した男が助け舟を出す。
「君はたしかリタ、だったね。サテラのことを説明したいから親御さん呼んできてくれるかい?そうだ、キミも行きなさい。」
男は助け舟を出したつもりだろうが、少年にとっては追い討ちだった。ニコニコとした表情を見せてはいるが、逃げる事は許さないといった気迫すら感じる。分かったよ、と少年は本日二度目の根負けを果たした。
無言で石畳で舗装された道を歩く。リタは封筒を落とさないように両手で握りしめ、少年は両手をポケットに突っ込みながら歩いている。先頭を歩いていたリタだが、歩くペースを落として少年の横に並ぶ。
「あのさ、さっきはサテラを助けてくれてありがとう…えっと、あのそういえば初めましてだっけ?」
会話の途中で少年の名前を知らないことを思い出したのだろう、後半は自信のない様子だった。
「あぁ、あん時のアンタは俺なんか眼中になかったからな」
「だ、だからあの時のことは忘れてってば!!…もうっ!それであなたの名前、教えてよ?」
「ス…あ、っと……」
少年は|スカル(頭骸骨)と名乗りかけ、寸前で思いとどまる。男からその名前はなにかと縁起が悪いからやめておけと言われていた。
男からなにかと名付けの提案をされたが、どれも自分のような低俗な存在に付けるには高貴すぎて断ったことが悔やまれる。
ふとクライピオンの名前の由来を思い出した。
|スコーピオン(蠍)の見た目で鳴き声をあげる、だから|クライピオン(泣蠍)なのだ。リタの視線に負け、苦し紛れに名乗った。
「ス、スコル……だ。うん…スコルピィ、のスコル……」
噛みしめるように名乗る。口の中で何度か転がせば思ったより馴染みがよく、前の名前とも似ているから聞き逃すことはないだろう。
「スコルピィって言うのね!ねぇ、私友達になりたいから、あなたのことスコルって呼んでもいい?」
先程の怯えた態度とは打って変わり、天真爛漫な瞳で少年、スコルの顔を覗き込む。
「か、勝手にしろよ……それよりアンタ、前を向いて歩け、転ぶぞ」
「やったー!ありがと、スコル!!」
スコルと呼ぶことを許可しただけでリタは満面の笑みを浮かべた。
あ、と間抜けな声を出したリタは赤い屋根の家に走り寄る。ドアを開け、大声で母親を呼び出した。家に入る訳にもいかず、スコルは門の横で壁にもたれかかった。
よく手入れされた庭の草木は水やりされたのだろう、夕日を反射してキラキラと光っている。換気のために開けられた窓の方から夕食の香りが漂ってくる。そういえば男の渡してきた小説でこんな風景が描写されてたな、と暇な頭で考える。
やがて慌てたような様子で母親らしき人物がリタの手を引きながらドアを開けた。酷く狼狽した様子でエプロンを外すとこを忘れ、スリッパのままだ。
「あなたは神父様のところの…、本当にサテラとリタが世話になりました。直に夫が帰ってきますので、夫が戻り次第教会に伺わせていただきます。サテラを救っていただき、ありがとうございます!」
感謝の言葉を述べ、スコルの手を握ると両手でブンブンと降る。母親の両目には涙が浮かんでいる。スコルは抵抗する間もなく母親のなすがままになっている。
「あ、パパ帰ってきたよ!」
リタの一言で母親は我に返り、スコルの手を離すとリタの父親に駆け寄って事情を説明した。父親は母親の説明を聞く間、少なくとも4回は顔色を変えた。人間ってこんなに顔色変わるんだな、とどうでもいい感想を抱いていたスコルだった。
父親は手で目元を覆い、肩を震わせる。その様子を見たスコルはぎょっとした。
大の男が大粒の涙を流していたのである。溢れ出る涙と食いしばった口。その口からはいよいようめき声ともつかぬ声が溢れ、やがて1つの文になる。
「よかった、助かって本当によかった。
神様、サテラをお救いいただきありがとうございます」
母親は父親の頭を盛大な音で叩いた。
「何言ってんのアナタ、神様だけじゃなくこの子にもお礼を言いなさい!!」
叩かれたことで思考が現実に戻ったのか、母親に背中を押されたスコルを見る。スコルは父親の涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を見て嫌な予感が脳裏によぎった。
「あ゛り゛か゛と゛う゛し゛ょ゛う゛ね゛ん゛」
父親は逃げようとするスコルを捕まえ、たくましい腕で抱きしめながら頬ずりをする。スコルの悲鳴は父親自身の叫び声にかき消され、届くことはない。救いを求めてリタと母親を見れば、二人掛かりで父親を引き剥がしている最中だった。
「「本当に娘を助けていただきありがとうございました!!」」
夫婦は見事に息のあったコンビネーションで男に頭を下げた。リタも母親に頭を掴まれ、頭を下げている。
「いえいえ、サテラを助けたのはその子です。私は教会の中でミサを行なっていました。気づいた時にはもう治療は終わってたんですよ」
男にそうさとされた夫婦は再度スコルに感謝の言葉を述べる。
「べ、べつにこれぐらい誰でも出来るし…だから、感謝されるほどのことでもねぇよ」
再度改まって感謝されたスコルは素直に受け取れず、つい視線を逸らしてしまう。父親はポケットから革の小袋を取り出し、男に渡そうとする。
「すみません、何分急だったもので金の工面が…今日の治療費で足りない分は後日持ってきますので…」
男は小袋を握る父親の手の上から握り、そっと押し戻す。
「ええ、急で予定にない治療、そして私は一切関与していません。つまり、お金を受け取る資格は私にはありません」
パチン★とスコルにウインクする男。面食らった父親は尚も渡そうとするが、男は手を後ろに回す。
「それに、このような幼子から金銭を毟り取ろうなど神の僕としてあるまじき行為でしょう。今回だけ、私は目を瞑ります」
父親は震え、今にも消えそうな声でありがとうございますと呟いた。母親も涙声でありがとう、本当にありがとうと繰り返し呟いている。リタは2人の間でワタワタとハンカチを持って慌てていた。
父親に抱えられたサテラはスコルと男に手を振っている。母親は一度だけ振り返り、会釈した。リタは曲がり角の手前、振り返る。
「スコルー!またねー!」
大きな声で叫び、手をブンブンと振るとスコルの返事も待たず前を向いてしまった。振り返しかけた手を誤魔化すため頭をガシガシと引っ掻く。
「おやおや、ついにスコルくんにも春の予感ですね」
ニコニコとした表情で4人に手を振る男はスコルの顔も見ず、ぼそりとスコルに聞こえる声量で呟く。
「……怒ってんの?オレが勝手に名前を決めたコト」
「いいえ?私はスコルくんの成長に感動しているだけですよ?」
さあ、遅いですが夕食にしましょうかと促され、スコルと男は教会の門をくぐった。これがスコルピィとリタの関係の始まりである。
スコーピオン→スコルピオン→スコルピィって感じのとんでも変換ですね。
スカルとスコルの音の響きにも似てると理由から勝手に名付けました。
この世界では蠍の鳴き声が夏の風物詩です。害悪すぎる。主人公の知らないところで住民のハードモードが始まってます。
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