九話 倒錯の戦場
「いったいどういう事なのだ」
大きな体をぶるりと振るわせて彼は自問した。先程から思念波にのせた同胞の苦痛の悲鳴が、彼の耳朶を刺激している。
「奴らはいったい何者なのだ」
東方の蛮族が急に勢力を伸ばしたと聞いていたが、今までの蛮族とやつらはまるで違うようだった。現に味方の二匹がやられている。
普通の蛮族ならば、弓と剣で抵抗し、よくても攻城兵器を引っ張り出してくるのがやっとのはずである。なのに、今は東方の地に頑強な建物を築きあげ、火焔魔法のようなものを使いこなし、火を噴く、魔界の獣のようなものを手懐けるに至っている。
しかし、このような異質な状況であっても予断は許されない。
既に大ゾルビン帝国連邦の皇帝である、カイテル三世の命令によって東方の脅威を排除すべしとの旨の皇帝命令が出されている。これに反するならば、いかに龍族と言えども極刑に処されるに違いなかった。
「ならば、私は敵をせん滅するしかない」
彼は、肉食獣特有の鋭い双眸をギラリと輝かせると、大きな翼を
ぶわんと広げて、数度扇いだ。すると体が浮き上がり、ベルリンの空へと飛翔し始めた。
「総統閣下!お戻りください」
ゲーリングは叫んだ。
ヒトラーは黒の外套を着こんで総統地下壕から外出している。ゲーリングは彼を地下壕前の道路で取り押さえた。
「何をするゲーリング。私はいかねばならない。多くの将兵が私を待っている。しかし、私は彼らに乞われていくのではない。総統は常に大衆を導くのだ。彼らの平和と幸福のために。私は行かねばならぬ。それは一人の老人のためであり、一人の子供のためであり、一人の労働者のためであり、一人の男性のためであり、一人の女性のためである。そしてまた――(ヒトラーはここで、押し黙って両手の指をちょっと動かして、ゲーリングの目に視線を据えた)一介の兵士のためでもある。総統は全てのものの支援者なのだ」
ヒトラーがそういい終えたとき、はるか空からは形容しがたいほど肉食獣の咆哮が聞こえてきた。目をやると、巨竜が一匹空に浮いている。
「撃て!総統閣下をお守りするのだ!」
立派な真白のカイゼル髭を備えた老砲術指揮官が、叫んだ。とうの昔に兵役から退いたであろう彼の声は、昔に大層な上官に絞り上げられたのか、その衰えた容姿からは想像できないものだった。大量のつばとともに発せられたその命令は、砲兵たちの闘争心を高めるのに、十分なものであるらしかった。
砲兵たちは嬉々として装填を済ませ、的に対し照準を定めた。
アハトアハトは直ちに火を噴いた。ゲーリングは身を挺してヒトラーを爆風からかばう。
一方、龍はその体躯には似合わない軽やかな動きでひらりと旋回し、砲弾をかわした。
「撃て!彼奴にベルリンを荒らさせてはならぬ!」
ヒトラーは、ゲーリングの巨体の下敷きになりながら言った。
どうやら彼は自分が狙われているかもしれないということを全く念頭に置いていないようであった。彼はそのまま立ち上がると、ゲーリングが呼び止めるのもかまわず地下壕にも戻らないで砲陣地に駆け寄り、その眼を少年のように光らせ、息が上がったまま胸を上下させて叫んだ。
「さあ諸君!今こそ義務を果たすべき時だ。諸君の両肩にわがゲルマン民族の未来がかかっておる」
総統の自殺行為ともいえるこの行動に、ゲーリングは唖然とするしかなかった。それは、老砲術指揮長も同じことだった。
奇しくも、このとき彼らの頭に浮かんだのは全く同一のものであった。それは自身が崇める国家元首に対してのありとあらゆる罵詈雑言である。