五話 巨虎死す
その時、急に腹に響くようなおどろおどろしい咆哮のようなものが聞こえてきたためボルマンは驚いた。そしてボルマンの乗っていた装甲車に近くの将校が駆けてきた。
「報告します。川の対岸に兵隊の群衆が集結しています。
先程の声は彼らの時の声であったようです」
ボルマンは焦らず、落ち着き払った表情で聞いた。
「では聞くが――彼らは露助か、それともブルジョワどもか、はたまた米兵なのか」
「いえ、どれとも似つきませんでした。その、なんというか……まるで中世の騎士のような、そんな連中ばかりでした」
ボルマンは双眼鏡を片手に装甲車のハッチの上にあがって、「彼ら」を注意深く観察した。
霧深い中、成程、先程の将校の言っていたような人々が徒党を組んで大隊の方向を向いている。まるで今にも攻撃を仕掛けてきそうだった。
「露助は鎧甲冑を引っ張り出さなければならないほど、物資不足に困窮しているのか」
彼は冗談とも本気ともつかぬ顔でそう言った。
そして即座に命令を下す。
「直ちに戦闘態勢に入れ、奴らが攻めてきたら容赦なく撃って構わん」
言い終わらないうちに、敵は雄たけび声を上げながら、川を渡りはじめている。
ドイツ軍集団は散開すると小銃、機関銃、その他、火砲、戦車砲でもってこれを攻撃し始めた。川の幅は二百メートルほどあり、それを渡り終えないうちに、彼らは撃ち倒され始めた。川の中に火砲による水柱が林立した。それら水柱が出現するたび、周りの人間は爆風によって引き倒された。
彼らのうちの一人がやっと川を渡り終えたとき、地を揺るがすような轟音がボルマンの頭上から降ってきた。
思わず彼は、ハッチから振り落とされた。ドイツ軍兵士たちも恐れおののき、天を仰いだ。
ドイツ軍集団の百メートルほどの上空には、どこから出現したのか、鈍色に光る鎧甲冑をまとった、五十メートルはあろうかという巨大な赤龍が兵隊を見下ろして浮遊、鎮座していた。
「小賢しき野蛮人どもよ。我らはカイテル帝より遣わされた帝国第二軍集団である。貴様らが侵した領土は一ツアーブルも貴様らのものではない。直ちにここを立ち去れ」
龍がそう命じてきた。しかし、まったく口は動かしてはいない。
全く不思議であった。巨龍が出現し、そしてそれが言葉をしゃべるとは。しかもそれは口を動かさずにしゃべった。これはのちに判明したことだが、龍は念波と呼ばれるもので喋っていた。ボルマンは戸惑った。今までも困惑の時を過ごしていたが、これほどのことは初めてである。彼はとりあえず、眼下の兵隊に攻撃続行することを命令した。
巨龍はその命令が兵士にいきわたらないうちに、大きく息を吸い込み、口をかぱと開いて鮮血ような赤黒い炎を吐いた。それはドイツ軍集団を襲ってたちまち数十名を松明さながらに燃やした。戦車や装甲車にも業火は容赦なく襲い、中の人間を蒸し焼きにした。
ボルマンは部隊の散開を命じたが、それはもう必要なかった。兵隊たちは点でばらばらに、散開して逃走を図った。敵前逃亡は銃殺刑に処されるのが常とされるドイツ軍だが、圧倒的な力を前にしてはただ逃げるしかなかった。
しかし、龍は逃げるものにも攻撃の手を緩めることはしなかった。
龍は空から地上に降りたって、二本足で立つと絶えず猛火を放った。
たちまち百名が新たに焼かれ、兵隊たちは武器を捨てて逃げ出し、部隊は戦闘力の過半を失った。しかし、ボルマンは二個中隊と八両の戦車を統率し、隊列を崩さぬまま近くの森林へ転進を図った。
その時、三両の戦車をしんがりとして残した。
いずれもタイガー重戦車であった。
ボルマンは彼らにすべてをかけたのであった。
猛虎たちは彼らの恐るべき牙をもって眼前の敵へと襲い掛かった。
八十八ミリという、並みの戦車であれば間違いなく大破するであろう、巨砲から発せられる巨弾を龍の下っ腹に叩き込んだ。
しかし龍は全く動じなかった。それどころか、虎たちを巨大な手でむんずとつかむと、一思いに握りつぶしてしまった。
こうなればボルマンもなすすべはなかった。ひたすら遁走を続けて、近くの森に逃げおおせたときには、すでに一つの中隊と三両の戦車のみしか残されておらず、後は皆、龍によって破壊、殺害させられたのだった。