雷の子ども
学生時代に書いていたものを加筆修正
どおおん、どおん、ごろん、がろろん、ろろん。
窓の向こうから聞こえてきた雷の音は、からっぽのダンボールが階段から落ちていく様を彷彿させた。そんな状況に遭遇したこともないというのに、私は確信を持って頭の中にしっかりと、転げ落ちる段ボールを思い浮かべることができた。段ボールはきっとこうやって落ちてゆく。誰にも触れられることも無く、一番階下の踊り場にたどり着くまで虚しい悲鳴をあげながら。
雷鳴につきまとう動物の尾を思わせるような長いながい余韻が、いつまでも未練を携えて耳の奥にこびりついていた。心地よく耳に響くこの感じを私はよく知っている。冷たい空気に満ちた朝の体育館、ひとりぼっちでバスケットボールをついたときのあの音だ。たあん、たあんと床に弾かれるボールの音。いつまでもさびしく耳に残る余韻の音だった。雷の音は鼓膜をぬけ、続いてむせかえるような匂いを呼びおこす。
「習字の匂いがする」
私がぽつりとつぶやいたのを耳聡く聞きつけた二つ下の弟が、顔をしかめて言う。
「違う、スタディルームの匂いだ」
スタディルームは私たちの通っていた小学校の、低学年生用の自習室の名前だった。彼は今、高校二年になる。雷の匂いをスタディルームのようだと言い出したのは彼が中学三年生になった頃だった。よくもまあそんな匂いを記憶していたものだと思う。それが顔に出ていたのか弟は、習字の匂いだって大概変だ、とへそを曲げた。
むせかえるような墨の匂い(もしくはスタディルームの匂い)に、私と弟はそろって鼻を鳴らす。私たち姉弟の間で作られた遊びは、忘れたころにふと顔を出すのだ。
「生活音に別の知覚を与えましょう」。
中学生の頃、こんな題目で国語の授業が行われた。先生がこのルールをクラスに打ち出したことで、クラス中が一時間頭を悩ませることになる。グループワークで机を突き合せて、生徒たちは話し合いをするふりをしておしゃべりをしていた。黒板には、先生が書いた例「足音は甘い匂い」だけが白く佇んでいる。候補は増えないまま授業は終了し、結局、ワークショップは持ち越しとなる。宿題として各自の家庭に持ち込まれていった。
何でもいい、自由な発想を働かせて。先生はそう言うが、生活音に別の知覚を与えた事などない。そんなもの神様の役目ではないか。ぶちぶちとそう漏らしてみせると、夕食の支度をしていた母と祖母は苦笑いを浮かべて私を宥めた。そこにいた弟だけが真剣な顔をして、私の宿題プリントを覗き込んで言った。
「ビニール袋を破くと焦げ臭い匂いがするし、ボールペンカチカチすると酸っぱい匂いがするよ。こういうことでいいの?」
次の朝集められたプリントたちには、さんざん悩んだにしては差しさわりのない無難な言葉が選ばれた「新しい知覚」を持つ生活音が並んでいた。先生の期待をよい意味で裏切る新しい生活音はなかったようで、次の国語の授業からはもう、この話題がのぼってくることはなかった。生徒たちはほっと胸をなでおろし、速やかに記憶から自分の作った生活音を消去した。
我が家で、新しい生活音というものが生きながらえることができたのは弟の情熱に負うところが大きい。弟は熱心に彼の世界を語ってくれた。普段耳にする生活音に、なぜだか匂いがついて回るというのだ。紙を破る音を聞くとエタノールのような匂いがし、鈴の音は線香の匂いがするのだそう。家族の中で彼だけが「特別」だった。彼が特別であったことを今まで誰一人気が付きはしなかった。先生にこのことを言っていいかと訊けば、弟は少し考えてからだめだと言った。友達に言うのもだめかと問うても、彼はただ首を横に振るだけだった。弟はきっと、その素敵な才能を独り占めしたいのだ。私は少し恨めしくなった。
「神様にいいものもらったねえ」
祖母はそう言って笑った。弟も少し困ったように笑っていた。
「才能のない」私はそれを真似し始めた。実際に音を聞いても、弟のように匂うわけじゃない。だから私は音を聞いて、その音に性別をつけることにした。風船の割れる音には三十代女性、新聞をめくる音には六十代男性、という風に。雷には、「八十代男性」の性を与えた。音を擬人化させることで、頭の中に具体的な音のイメージを作り上げた。その性別、年齢にふさわしい匂いを連想すれば、生活音に新たな知覚を感じることができる「つもり」になれる。幼稚な印象付けだった。ただ単に、弟が羨ましかっただけだ。それでも繰り返しているうちにパブロフの犬よろしく、今では雷の音を聞くだけで墨の匂いを鮮明に思い出すことができるようになった。ご飯を食べた後は歯を磨かなければならない、と、無意識に思うのと同じだ。習慣とはこうやってつくられてゆくのだ。
ただ、私と弟との知覚のメカニズムが全く違うものだったために、弟が無意識に感じている「匂い」とはずいぶん違うものになった。しばらく弟は私の「遊び」におおむね肯定的だったが、あまりにもオリジナリティ溢れる私の創作知覚にいらだちを覚えたのか、今では遠慮なく文句を言うようになり、いちいち訂正までしたがった。彼の中でいろんな匂いが混線するそうなのだ。私は訂正に従わなかった。
彼は中でもとりわけ雷の音の匂いを好んだ。中学三年になるまで、それが何の匂いなのかわからず、雨が降るたびにうんうん唸る、ということを彼は日課にしていた。あーだの、うーだのと雷が光るたびに頭を抱えて唸るのだ。その姿はまるで、生まれたての雷の子が親に偏頭痛を訴えているように見えた。
読んでいた雑誌へとすぐに視線を戻した私とは対照的に、ちぎった広告紙の上で爪を切っていた弟は、背中を丸めて静かに窓の景色を眺めていた。彼の視線の先をたどると、大きな真っ黒い雷雲がこちらに歩を進めているのが見えた。雷雲を支配しているのはもしかしたら弟なのかもしれない。
雷は雨雲を連れてやってきた。しばらくすると、静かに雨が窓を叩き始める。それを聞いて弟はまた鼻を鳴らし、ようやく爪を切る作業を再開した。雷は止まない。爪を切りながら、弟が小さくえずいた。
神様の咆哮、怒り。雷はそういうものによく例えられている。そして、雨は神様の涙なのだと。なんとも詩的で美しいたとえだとは思ったけれど、神様が人間のように怒ったり、ましてや泣いたりするだろうか。私にはそれがうまく想像できなかった。神様もだれかを思って泣いたりするのだろうか。もしかすると定期的に人類の未来を憂いて涙をこぼすのかもしれないし、違うのかもしれない。真実はすべて雲の上であり、雨は雲の底から降ってくる。
八十代男性の雷の音というのは、いつも私の中で紺の袴をはいた白髪の武人の姿をしていた。もしかすると彼こそが雷神なのかもしれない。彼はいつもなにやら達筆な文字を半紙にしたためていた。猛烈な勢いで大きな筆を振るい、白衣を遠慮なしに黒い飛沫で汚した。半紙には「今年の抱負」を書いているのかもしれないし、今年一年を象徴する「今年の漢字」を書いているのかもしれなかった。
「何をしているのか、雷神よ」
「あぁ風神よ、新年の抱負を書いているのだ。どうかね、きみもひとつ」
あくまでイメージである。私に神様に関する詳しい知識はない。雷神と風神の仲が良いなんてことは私にはわからない。口調もこんな風でないかもしれない。そう、あくまでもこれはイメージだった。屏風などによく見る、目玉をぎょろつかせた雷神のようなおどろおどろしい姿ではなかった。あの雷神も、まぎれもない「雷神」の一人だったが、私の中の雷神はもっと人間らしい姿をしていた。独断と偏見によってつくられた頭の中の神様たちはなぜだか老人にもかかわらず私の同級生の男の子と弟の顔をしていたし、彼らがいる場所はなぜか町の公民館の多目的室だった。公民館には長い階段があった。雷の音に合わせて階段を転がる段ボールの中に、体育座りで納まる袴姿の弟がいた。彼の「才能」をうらやむたび、段ボールは転がった。洗濯機の中でもみくちゃにされるTシャツの気持ちを、彼なら親身になって理解することができるだろう。段ボールから這い出て脳内を逃げ回る雷神は、こちらを見て顔をしかめた。彼の持つ半紙には「ほっといてくれ」とあった。
「ねえ、やっぱり墨のほうが雷っぽいもの。かっこいいでしょ」
「そういうことじゃないんだって」
弟はまた、爪を切りながらえずいた。もしかすると、爪を切る音は不快な匂いがするのかもしれなかったが、あえて無視をした。
彼が鮮魚のように跳ね上がり「スタディルーム!」と叫んだ日を私は忘れない。長年悩まされ続けた「偏頭痛」から解放された雷の子は、どんな偉大な政治家よりも確信をもって叫んだ。一度目を聞き取ることができなかったが、英語で何か叫んだことだけはわかった。アメリカ、ニューヨークの街角で壁にスプレーでメッセージを描きつけながら自由を訴える人々のように。実際、弟が口にしたのは英語だった。弟は再び「スタディルームなんだよ!」と叫ぶ。ほぼ和製英語だったが、彼はそれらしく発音してみせた。雷がそれに呼応するように轟いていたのを覚えている。私の弟はすくすくと雷の神様として成長していた。
教室の床を磨くワックス、舞い上がるチョークの粉、散乱する背の低い机と椅子、ロッカーに放り込まれた算数セットの箱、ランドセルがひとつ。スタディルームの景色をうまくここまでは思い出せる。小学生の頃は弟がよく放課後ここで本を読んでいたからだ。他には誰もいなかった。なんでも、悪さをした生徒が叱られる部屋として使われるのがこのスタディルームで、その印象が強いのか他の生徒はあまりそこにいたがらないのだ。いわゆるお説教部屋である。弟は叱られることがめったになかったので、そのジンクスを気にしたりはしなかった。この部屋はまさしく彼のためにあったようなものだ。「悪さをしない」弟のことを、スタディルームは健気に守ってくれていた。弟はほかの生徒に悪さをされることの方がずっと多かった。膝にはかわいらしいアニメのキャラクターの絆創膏が貼り付けてあった。その理由を、弟は口にしたがらなかった。迎えに行くと大抵一人でそこに待っていた。
「弟が学校にお菓子を持ってきている」。弟は一度だけ先生に叱られたことがあった。甘い匂いがするねと、なにげなく友達に話したことが原因だったそうだ。結局お菓子は見つからなかった。彼が小学生だった際、お説教部屋に「つれていかれた」のは後にも先にもそれ一度だけだった。彼は「よい生徒」だったが、たびたび絆創膏を膝に張り付けていた。弟はスタディルームで、他の生徒が教師に雷を落とされる瞬間を、きっと誰よりも多く見守っていたに違いない。
「ねえ、音ってもしかして印象付けでも匂いがついたりする?」
突然、大地を裂くような雷鳴がとどろき、屋根や床や空気までもがびりびりと揺れた。雷鳴と雷光はほぼ同時だった。ほんの一瞬、部屋の明かりがろうそくの火のように揺らめいた。揺れていないのは私たちだけだった。落ちたな、と野次馬気分で窓に駆け寄る私の後ろで、外を気にするでもなく弟はのんきに爪を磨いていた。明かりにかざした彼の右手の指先が、雷に負けじとぴかぴか輝いていた。
「やっぱりスタディルームだ」
弟はにやりと笑った。屏風の雷神のように、目だけがぎろりと光っていた。スタディルームはどんな匂いだっただろう。記憶を巡る私の鼻孔を、雷の匂いが邪魔をした。