小さな大事な約束
「き、来ちゃった……」
来ちゃった……じゃねぇよお前、ここに来ることがどういうことになるのか知らないだろ……?
「ふぅ……」
後ろからため息が聞こえた。呆れを通り越しているのうな、そんなため息が聞こえた。
それもそのはずだ、レオルドとの契約が今破綻したのだから。
俺は冷や汗を流しながらもう一度振り返る。
そこに居たのは冷たい視線を、侵入者である俺の弟子に向けるマッドサイエンティストだった。
残酷なまでに冷たい視線は、俺の出す殺意なんかじゃまるで相手にならない、より現実的な死を生み出していた。
不味い、このままじゃ弟子一号が殺される。
「ま、待て! レオルド! まさか殺しはしないよな?」
「ふ、ふふふ、誰が殺すものか、ただ、黙ってもらうだけじゃ」
それにしては出している殺意が尋常じゃないんだよ!
黙らせるって言うのはおそらく監禁という意味であると俺は判断した。となるとこのままじゃ弟子一号が危ない。何とかしなければ。
「ところでリンデン」
「な、なんだ!?」
考えている最中にいきなり問いかけられ、自分でも驚くぐらいに声が上ずった。それほど焦っているのか、俺は。
「疑問に思ったんじゃが……お前はどうしてこの少女を庇おうとする?」
ぐっ……やっぱりそこ言われるよな。やはり考え無しに何かするとマイナスにしか働かない。
「人間嫌いなお前が? 人をかばうのか?」
確かに、言われてみればそうかもしれない。俺とこいつの関係は弟子と師匠という師弟関係のみ。
守る理由なんて……。
「一つ質問いいか、レオルド」
「手短に」
後ろを見る、既にブランシュが俺の弟子を取り押さえていた。
ばたばたともがいてはいるが全くもって無力。目には涙が浮かんでいた。
「あの少女を、どうやって黙らせるつもりだ?」
「……ふむ、その問に答えれることで何が変わるか分からんが、いいだろう。簡単だ、脳を少しいじって、記憶を飛ばすだけだ。今日の全ての記憶をな」
「なるほど」
確かにそれなら俺も安心だ。弟子を見殺しにするっていうのは流石に気分が悪くなる。
何も失わない、得るものばかりだ。
「……最後の、一言がなければな」
「何?」
レオルドを無視して、俺はブランシュと弟子一号の元に歩み寄る。
「んー! んー!」
「……ブランシュ、少しだけいいか?」
「……いいわよ」
ブランシュは口を塞いでいた手を外す。ようやく会話ができそうだ。
「し、ししょー……」
「……いいか、今からお前は二十四時間前の出来事全ての記憶がなくなる。これはあの後ろにいる爺さんが考えた最高の対応だ。これを拒めば記憶を飛ばすどころかその頭すら飛ぶことになる」
「ひっ……」
今更心底怯えても、もはや遅い、遅すぎる。
来る前に自制さえしていればこんなことにはならないというのに。
「そして何より、来るなと言ったよな」
「ご、ごめ……」
「これは誤って許される問題じゃない」
ビクッと、体がはねた。更に小さい体は恐怖に震え、目からは大粒の涙が零れている。
「ぐすっ……うっ……」
「お前のその勝手な行動は、俺だけならまだしも、お前の人生すら手放す結果になりうる所だったんだ」
「う……うぇ……」
「……ほんと、馬鹿だな。来なければ平和だったのに」
この場所に来てしまった以上、もうこの少女は俺達の世界と無関係とは言えない存在になってしまった。
それは記憶を消したところで消えない経歴。
この少女は一生レオルド達から見張られる運命になった。
「…………」
何も喋らなくなった。
謝罪ができない。
何も言えない。
こういう時人は絶望するのだろうか。
何も出来ない自分に絶望し、後悔する。
だがその後悔は反省へと繋がり、対策を打つことが出来る。
「こうすれば良かった」「こう話せばよかったと」失敗した後だからこそ考えられることがある。
人の思考を活性化させるものも、原動力となるものも、全ては『絶望』。
だからこそ人が一番苦しんで死ぬというのは、絶望しながら何もできずに死んだ時。
……俺はそれを与えることが出来ただろうか。
俺は震える弟子の肩に手を置いた。そして彼女にだけ聞こえるように、耳元で伝える。
「え?」
疑問符を浮かべた弟子をよそに、ブランシュの方に視線を向ける。
本番の始まりだ。
「さて、ブランシュ」
「話は終わったようね、この子はあたしが預かるから貴方はおじいちゃんの話に集中を……ッ!?」
俺はブランシュに俺の魔力で作り上げた剣を喉元に突き立てた。
「リンデンッ……どういうつもり?」
「悪いな、話はとっくに終わっている。両方な」
話を聞く気が失せた、それよりも大切なことが今の俺にはあるから。
「その子を離せブランシュ、離さないと言うのならお前の肘から先と一緒にその子を切り離す」
「……ほんと馬鹿なことするわね……! たった一日の記憶如きに貴方の全てを犠牲にするなんて!」
口ではそう言っても、流石に手を失うのは怖かったのか、あっさりと弟子一号を離してくれた。
「ししょー!」
涙と鼻水でグシャグシャになった少女は解放されると同時に俺に抱きついてきた。
普段なら喜ぶ場面だろうが、如何せん今はそんなことしてる場合でもない。ここは今、俺の行動で敵陣のど真ん中と化したのだから。
「言い訳を聞こうか、リンデンよ」
不満げな顔でレオルドが問い掛けてきた。
「簡単さ。……消されたくない記憶が、こいつの中にあるんだよ」
俺にとって、そして多分弟子一号にとっても。
今日を忘れてしまえば消えてしまう、そんな今日交わした「約束」を、俺は守ると心で言った。
「こんな小さくて可愛い子に、俺はハリセンボンなんて飲ませたくないね!」
ちっぽけで、それでいて大した重みのない理由だというのは分かっている。
それでも、俺に関わってしまった不幸な人間を、更に不幸になんてさせたくない。
だから俺は、後悔させない行動を選びたい。相手にとっても、自分にとっても。
それが相手を傷つけることになっても、未来の相手を思いたい。
この絶望は、いつかきっと何かの糧となり弟子一号は成長するはずだ。師匠として見過ごせない。
ふと、脳裏に二人の女性の姿が浮かんだ。とても見覚えのある不器用な二人が。
「変わったな、今までの槍のようだったお前の思考がここまで甘っちょろいものになっていたとは」
「それについては否定しないし、出来そうにない。でも後悔なんてのもしてない。人と付き合うようになって色んなことがわかったからな」
結局はそういうことなのかもしれない。理由なんてどうでもよかった、ただ俺を慕ってくれたこの少女を助けたいという思いが、こんな馬鹿な行動に導いたんだろう。
人間らしい行動だ。今の俺には、とても誇らしく感じられた。
「……やはり強硬手段しかないようじゃな。お前を沈めて、少女を捕らえる。そしてお前らの記憶を消す。最後にお前を元の世界に戻して、それでハッピーエンドだ」
レオルドのその発言が終わると同時に、後ろにいたはずのブランシュの気配が消えた。どうやら本当に俺を沈めるつもりらしい。
「……上等だやってみろ、記憶は消させない。お前を負かして、無理やり話をさせてやるよ」
震えている弟子一号を背中に隠し、両手に着けた魔力放出用のグローブの上から淡白い光を発し始める。
傍から見れば、俺の両手が謎の光に焼かれているような、そんな状態だ。
……今回の目的は、ブランシュを殺すことでも、レオルドを殺すことでもない。
負けを認めさせることだ、でもそれは今じゃなくていい。今やるべき事はこの後ろで震える少女を守ること。
始まるのは逃亡戦だ。




