そして彼女との勘違いが始まる
「すみませんすみません、色々わからなくなってしまいまして」
リンデンをぶん殴った彼女は、必死こいて誤っていた。
「なんなんだよマジであんた、初対面の奴を殴り飛ばすなんて人間の屑だな」
率直な感想であった。ただ深層心理だから仕方がない。
「なっ、そんなこと言ったらあなたもですよ! あなたもわた、わわた、私の顔、顔を……じ、ジロジロ見てっ!」
なるほど、人間の女性というのは顔をジロジロ見たら殴ってくるものなのか、とリンデンは解釈した。
「うん、否定はしないが逆に聞きたい、どうしてみられることが嫌なんだ? 俺のように正体を隠すわけでもあるまいし」
「へ? 正体?」
(あ、やべ)
リンデンから冷や汗が一気に吹き出した。先程までの偉そうな態度とは打って変わって、何かポンコツじみて来たような気がしなくもない。
原因はおそらく、この女性にあるのだろう。
(人間……なのか本当にこいつは)
不可抗力の事故で先程彼女を押し倒してしまった時に、整った顔立ち、少し小さめの肉体、美しさよりも、どこかあどけなさやあざとさを感じる見た目に、一瞬だけであったがリンデンは目を奪われてしまった。
人を狂わせるのに、一瞬あれば十分。
歯車が1つずれるだけで言動も行動も大きくずれて行ってしまう。いわゆる負の連鎖というところだろうか。
まぁ、今回はただのミスだとは思うが。
「あっ! もしかしてあなた転校生さんかなんかですね! 通りで見たことがない人だと思いましたよ!」
(転校生、か。いずれはそうなる予定だし、適当なこと言っておくかな)
リンデンはそう考えると、うん。と1つ頷き、肯定を示す。
「今日は見学に来てくださったんですか……あれ? じゃあ待ってください、どうしてあなたはこの部室にいるんですか?」
どばぁ、とまたもや汗が噴き出す。
(くそっ、妙に勘のいい女だな……)
しかしリンデンは慌てない、所詮はこの場を取り繕えればいいのだから。
言い訳をすることには慣れているようで、そこまで時間をかけずに言葉をはひねり出した。
良いわけないのだが。
「実は前の学校でも、こういうのやってたんだよねー、だから部活動見学に来たときにーちょっとやって見たらー、君が来たんですよー」
「それにしては喋り方とか最悪ですね」
(一々煽るつもりかこいつ)
積もる怒りを抑えながら、会話を続けていく。
「じゃあ、この部活に入るんですね!」
「お、おう。そうなるな」
(ま、まぁいいさ、部活動をするぐらいの時間なら後々どうにでもなる)
「も、もし、あなたが入部したら、わ、私も入部してもいいですか!?」
「はぁ?」
部活動の入部方法って、人から許可もらう必要ないだろと、勝手にしろと思うリンデン。どうも彼女の気持ちがわからず、理解出来ず困っている。
「別にいいんじゃねーの、俺が決めることじゃねーでしょ」
そう冷たくあしらうと、彼女はあははと、少し引きつったから笑いをして。
「そ、そういうんじゃないんだけど……まぁいいや! 見た感じそこまで年変わらなさそうだし! 今度あったらよろしくね!」
リンデンは最高でも2つしか歳が変わらないだろう、というツッコミを抑えるこの女性の国語の危うさを垣間見たような気がしてならない。
彼女は立ち上がってまたねと手を振って、そのまま扉に向かって歩き出した。
「おう、じゃあな」
彼女に聞こえるかどうかの音量でふっと笑いながら手を振り返す。その時のリンデンの顔はとても安らいでいた、その表情はとても人間ではないとは思えないもので、ましてや人間を滅ぼそうと考えている者の顔では決してないと感じられるものであった。
ただ、それがプロというのもあるかもしれない。恐ろしい男である。
「あっ! そうだ!」
扉に向かって歩き出した彼女は、何かを思い出したのか歩みを止めてリンデンの方に振り返る。
「なに、早く帰ってくんない、俺が帰れない……」
「そ、そんなこと言わないでよ〜。ほら、名前知ってたほうが会いやすいじゃない!あなたは絶対教えなさそうだから、私が言うわ。しっかりメモを取ってね、準備はいいですか?」
「お前、俺のことをなんだと思ってやがる?そこまで頭が悪そうに見えんのか?たかが人1人の名前、覚えられないわけないだろ」
「善意で言ったんですけどね…ま、いいです。私の名前は『森谷朱里』です! 覚えててくださいね。私もあなたのことは忘れませんから!」
そう言って、彼女、森谷朱里は教室から廊下へと消えていった。
そして教室にはリンデンとロッカーで気絶している女性だけが残された。
× × ×
「助かったな……」
リンデンがはぁ、と一息をつく。
まさかいきなりこんなに面倒なことになるなんて思ってもいなかったからだ。
しかし不思議な気持ちになっていた、滅ぼすべき人間を助けたというのに、そこまで嫌な気分ではない、むしろ清々しく思えていたのだ。
(それでも、俺は人間は嫌いだ)
その思いはぶれることなく、リンデンも追って教室を出る。
転校は1週間後、それまでは取り敢えず事件とか起こさないように、自分の世界に戻ろう。
そう考えながら、リンデンは廊下をブラブラと歩く。まだ廊下にはたくさんの人がいた。長いと思われていた朱里との会話も、そこまで長いものではなかったのだろう、帰宅するもの、部活へ行くもの、ぺちゃくちゃと人間同士で、喋りまくっているもの。騒がしい廊下が続いていた。
「これが、学校か」
おそらくこの学校の生徒は、一番長く生きながらえるか、一番早く死ぬか、どちらかだろう。どちらにしてもリンデンは人間を滅ぼす。そのために来たのだから。
そしてリンデンは昇降口にたどり着いた。ここにいる人間は、誰もが想像していないだろう、いや、しようとも思っていてもきっとできない、人類滅亡へ導く男が今、彼らのすぐそばにいることを。
リンデンはククク、と笑い、握りこぶしを固め、怒りを顕にする。そして、誰にも聞こえない、自分に言い聞かせるような声で、こう言った。
「覚悟しろ人間、かつて我らが受けた絶望を、今度はお前達に与えてやる……!」
瞬間、リンデンの姿が無くなった、フッといなくなった。
昇降口では誰もリンデンを気にしていなかったせいか、騒ぎもなく、この学校のいつも通りの昇降口が、続いていた。
それはある日の、何の変哲もない放課後のことであった。
ここでプロローグはおしまいです。一章目の前にリンデンの住む世界のお話を書こうと思います