第一話
ペンデルチア連邦共和国──。
居場所を失った者達を寄り集め、飲み込み、大きくなって来た国。
他国の落胤が身を寄せていたり、亡命してきた王族が居たりと言った一方、殺人・詐欺その他重犯罪で祖国を追放された者のも居る。
街角を見渡せば、行き過ぎた研究をする錬金術師、弾圧を逃れた芸術家、一発逆転を狙う職人など、様々な人間がいる。
最初は、帝国によって作られた、小さな対異教徒遠征基地だった。
騎士団を断続的に送り出す為に、広い草原に宿が出来、それを当て込んで商人が来た。
騎士たちの不安と余剰を取り除くために、申し訳程度の教会と娼館が出来た。
今でこそ、荒くれ者の吹き溜まりのようになっているこの国だったが、当時は、とてもこじんまりとした野営地に過ぎなかった。
それが今では、独立帝国都市として、5つの小都市を束ねる領邦国家となっている。石畳の地面に響くのは、鉄の足音だ。
この国は今、騎士団や傭兵を方々の国へ派遣し金を稼いでいた。
横行するのは、派遣先での人攫い──。
ペンデルチアは"狂乱の坩堝"、と良く言われる。
ギラギラとした熱が渦巻き、金属がドロドロと溶け合う坩堝だ、と。
誤解しないで頂きたいのは、
この国が、ただの野蛮人の集まりでは無いと言うことだ。
異教徒に対する峻厳なる鞭であり、万民を受け入れる海である。
貧者には救済を。異教徒には鉄槌を。
貴婦人には、恭しくかしづくこと。
それが、この国の国是だった。
◆
「(……っんで、なんでだよ!)」
少年は走っていた。
吐瀉物と酒、酔っ払いが転がっている石畳の道を、全速力で駆ける。
「止まれ!」
後ろから声がかかる。
少年は走るスピードを更に早めた。
「クソっ、あのガキ……!」
撃鉄を下ろす音がする。
「やめろ! 商品に傷を付けるな! 隊長殿に殺されるぞッ!」
「クソがッ」
少年は、追われていた。
「(なにがはじかれ者は誰でも受け入れる、騎士道精神に厚い国だ……!)」
林立する酒場の角を、土煙を蹴立てながら曲がり、市壁に近い外町へと向かう。
後ろの二人は急カーブを曲がりきれず、酒場の中に突っ込んだ。
少年は、両手両足で地面を駆ける。地を掻くその手の甲には、レンネブールズ騎士団の焼き印が押されていた。言うならば、奴隷だ。
少年が生け捕りにされようとしている理由。それは──
街娘が、さっと飛びすさる。
「ひっ、獣ッ……!?」
少年が、異形の姿だったからだ。
買い物籠を取り落とした街娘には脇目もふれず、少年は四つ足で駆けていく。耳はふさふさと揺れており、八重歯は鋭い。
臀部には、そのまま襟巻きにでも出来ようかという尻尾がたなびいていた。
しかし、四肢は人のそれだ。顔もあどけなさが残る少年のもの。
もっとも、土で汚れ、しこたま擦り傷をこさえたその顔は、とてもあどけないと表現出来るものではなかったが。
ボロボロの服をはためかせながら、行く。
◆
「(やった……!)」
少年は、市壁に近づいていた。視界には、もう出口が見えていた。幸いこの都市、レンネブールズの検問は緩い。
そこまで腕利きの番兵も居ないだろうから、通るのは容易いだろう。
市壁も木の柵という、非常に簡素なものだ。
「(……僕は、この都市を出るんだ……! そして……!)」
「まぁ、ちょっと待てよ」
声がする。
少年が行く30メートルほど先、申し訳程度に存在する市門の前に、男が立っていた。体躯のがっしりとした長身の男だ。
黒い眼帯をしており、延びるがままに延ばされた髪は、うねっている。
無精髭と、薄汚れながらもしっかりした厚手の服の間からは、鉄の籠手や胸当てが見えていた。傭兵だ。
男は、肩に担いでいた槍を振り降ろすと言う。
「俺が、そこらの姉ちゃん捕まえて酒でも呑みに行こうと思ってたらよォ。突っ込んでくる無粋なヤローが居るわけだ」
少年は、対応を迫られていた。
陽は暮れかかっており、人通りは極めて少ない。
突然現れた男は、明らかに少年に話しかけていた。
「で、俺は考えたわけ。なにしてやがんだ、クソヤローってよ」
無視して脇を通り抜けるわけには、いかなそうだ。
外町の方に来てから、道の両脇には側溝が通っており、道はそれほど広くない。前日の雨の影響で、ゴウゴウと水が流れていた。
男の方はだらしなく、よく言えばゆったり構えてはいるが、まるで隙が無い。
少年は、確かに敵意と悪意を、男から感じていた。
耳を後方に寝かせ、尻尾を逆毛立て、歯をむき出しにし、男を威嚇する少年。刻一刻と、二人の距離は近づいていた。
「そしたら、わかっちまったわけ。しくじりやがったなクソヤロー! ってな。
『追ってるガキが、どうもすばしっこくて……、その、ほんとにすいません! ほんと! 命だけは勘弁してください、お願いします隊長……!』
って言うんだぜ?きっと」
地を蹴り、少年は、男に飛びかかる。
「だから、使えねェクソ部下の代わりに」
「──がッ」
「俺が捕まえなきゃいけないわけ。あ~~~、かったりィ」
ドサッと、ぼろ布の塊が地に落ちる。
槍の柄頭が、正確に少年の鳩尾を打ち抜き、撃ち落とした音だ。
言葉とは裏腹に、その男の挙動は手抜かりの無いものだった。
脂汚れで輝いている髪をガシガシと掻き、男は言う。
「おい、犬っころ。オマエは珍しいから売れる、
高く売れるからなるべく傷つけるな。そう命令は出して居るがな?」
起き上がろうとした少年の手を、思い切り踏みつける男。
「傷痕が残らなければ、どうにだって傷付けてやれるんだぜェ!?」
そのまま、踏み潰すように踵をねじり込む。
「……ッ」
少年は、歯を食いしばり、男を睨み上げる。
「おめえ、喋れよ。喋れねぇのかよ。つまんねぇ。
まあ、良いわ。大人しく戻んな。お前らの出荷はまだ……」
男が足を上げた、その瞬間だった。
「――ゥウゥ!」
男のすねに、少年が深々と牙を突き立てていた。
「ッた、この野郎……!!」
男は痛みに顔をしかめ足を振りくるが、少年は離れない。
「やめろこのクソ犬! 離せ!」
槍の柄頭で頭や身体を思いっきり打ち据えるが、それでも決して離れない。最早、足を食いちぎるまで離さないと言った様相だ。
「やめろつってんだろクソがァ!」
「ぎっ」
フルスイングの槍の柄が、少年の腹部を捉えた。牙が男の足を離れ、少年の身体が宙に浮かぶ。その身体は二度と地面に落ちることなく、しぶきを上げて、側溝の水の中へ落ちた。
ゴウゴウと流れる濁流が、瞬く間に少年の身体を運んでいく。
「やっちまった……」
男は頭を抱えた。
◆
腐った臭いと、糞尿の臭い、水辺の湿った臭いが混ざり合う中で、少年は目が覚めた。水滴が等間隔で落ちる音が反響する。どうやら閉鎖された空間のようだ。
目覚めて見えてくるのは、石のアーチと足場。ゴウゴウと流れる水流だった。いつの間にか水の中から脱したのか、少年は、壁にもたれ掛かるようにして座っていた。
「(ここは、なんだ……僕はいったい……)」
身体中が痛む中、少年はぼんやり考えた。しかし、思考が纏まらない。ずぶ濡れの衣服が、少年の体温を奪っていく。
「(あの人さえ、あの人さえここに居れば……どうにかなるのに……)」
また意識が落ち掛けたその時、少年は、響き渡る足音を聞いた。
「(誰だ!?)」
少年は、総毛立った。痛む身体をおして臨戦態勢を取る。
徐々に足音は大きくなり、そしてその足音の主が、通路の角からひょっこり顔を覗かせた。
「おー、目が覚めたかー」
女性だった。服装からして、先ほどの傭兵やらその部下ではないようだが、そもそもこんな陰気で湿った場所に人が居る方がおかしい。
少年は四足で姿勢を低くし、体中の毛を逆だてた。
「…………ゥゥウッ!」
しかし、女性はそんな少年にお構いなしだ。
「これ、食べる?」
女性は、どこからか生きているネズミを取り出し、首根っこを掴んで少年に差し出した。
手で払う少年。
哀れネズミは水路の中に落ちた。ちゅー、と鳴き声を上げながら流れていく。
「ちょっと、困るんだよねー取って来て貰うよ?」
そういうと女性は、背嚢に刺さっていた虫網のようなもので激流を掬い始める。その腰には鳥籠が下がっており、ネズミが所狭しと詰まっていた。
うげ、と少年は顔をしかめる。
「あ、君猫じゃないんだねー」
ちらりと横目で少年を見ると、また激流をさらい始める女性。
相当な筋力が必要だろうに、女性は汗一つ足らさない。そして、その腕力のわりに、とても華奢だった。
服を着ているから隠れているのかもしれないが、線はどちらかというと細く、顔立ちも高貴だ。
髪はこんな所に立ち入るためか、まとめ髪にしていた。
服装は冒険者のそれだが、クローゼットばりの巨大な背嚢を背負っているのが異様さを際立たせている。
「お、まえ、だれだ……!」
「あ、喋った。かわいい~」
少年のたどたどしい発声に、女性の顔がほころぶ。
「しつ、もん、こたえて……!」
「ええー? 私ー?」
今にも飛びかかって来そうな少年に対し、どこまでも女性はのんびりとしていた。
カンテラに照らされた女性は、にっこりと微笑んで言った。
「私はね――、ふふふ、なんでも屋さんだよ!」