第五話
レイチェルは逃げていた。
青く、流麗な、美術品のような長剣を抱えて。
追手は二人から三人、四人、五人とその数を増やし、十人を超えるほどになるとレイチェルは数えるのを止めた。
路地裏の分かれ道。
右。
左、……敵三人!
回り込まれていると感じ、すぐさま右を選択。
どうする!
どうする!?
どうすれば!?
剣を捨てるという選択もできた。
しかしレイチェルはそれをしなかった。有無を言わさず押し付けられた形だが、命を懸けた預かりものだ。そう簡単に捨てることはできなかった。
それに。
レイチェルは思う。
もしかしたら、役に立つかもしれない、と。
後ろはもう振り返らない。
さらに三人増えたことで、二十人以上にはなっていることは想像に難くないゆえ、振り返る意味がないからだ。
「ちくしょう!」
前方。
行き止まりだ。
何かないか、……何か!?
「終わりだな!」
「さあ、その剣をこちらによこせ!」
「そうすれば命だけは助けてやるかもしれんぞ」
嘘だ!
振り返り、にらみつける。
奴らはニヤついていた。
剣を構え、じりじりと追い詰めてくる。
敵の増援は続いていく。
くそッ!
切り抜ける手立てはないのか!?
瞬間、剣が、レイチェルを誘うかのように淡く光った。
剣が俺を呼んでる……?
レイチェルの記憶がよみがえる。
見慣れた扉を開けた後に見た、見慣れない光景。
見慣れた二人の死に顔。
まだ温かい血液。
ちぃッ!
やってみるさッ!
そしてレイチェルは剣を引き抜いた。
青く、流麗で。
気高く、誇り高く。
妖しく艶めかしい刀身だった
「どうせ死ぬんだ! 一人や二人!」
途端、レイチェルの脳を巨大な情報が駆け抜けた。
長剣を持つ右手。そこから直接神経を無遠慮に引き千切られたかのような激痛が走ってくる。強烈な刺激を受けて反射的に肉体は手を放そうと反応するも、剣がそれをさせてくれない。剣から伸びる青い甲殻で右手を閉じ込められているのだ。
レイチェルを狂わせる、熱く、迸るシナプス。
膨大な電気信号が脳へと達し、さらに右腕へと往復を始めた。
腕が、頭が、熱いッ!!!
「ああああああああああ!」
「まずい! 暴走に気を付けろ!」
脳が焼き切れるほどの情報量。あまりの出来事に処理が追い付かず、オーバーヒートしていく。
右腕を切り離したくなる衝動。
めちゃくちゃに剣を振り回して激痛から逃れようとするも、青い甲殻はレイチェルを逃さない。それどころかさらにレイチェルを支配しようと、右手のみならず、右腕すらも覆い始めた。
ちくしょう!
熱い!
死!
死ぬ!
滅茶苦茶に剣を振り回す。
敵の姿など最早レイチェルには見えていなかった。
対するは自分自身の激痛。
それを及ぼしている右手の剣だ。
くそッ!
クソッ!
くっ、ああああああ!
神経痛というには生温い強烈な刺激。
絶え間なく続く侵略行為にレイチェルの意識が吹き飛びそうになる。
意味が分からない!
どうしてだよ!
なんでだよ!
なんでこんなことにッ!
(それはあなたが私を引き抜いたからです)
が、耐える。
レイチェルは前に進む選択をしたのだ。
歯を食いしばり、現状を認識しようとした。
なんだ!?
くそ!
頭に響くッ!
剣の、声だとッ!?
(はい。私があなたに伝達しています)
ふざけているのか!?
こんな状況で!!
(いたって真面目です。あなたは試練に合格しました。さらにあなたを青い外殻で覆うことに成功したのがその証拠の一つです。戦闘をセミオートで開始します)
何を言って――。
そして、光が爆発した。
「うわあああああああああ!」
強烈な、光源がレイチェルを包む。
真っ白な視界。
瞬間、神経を刺激していた激痛が、何事もなかったかのように収まっていく。
息切れ。
激痛から解放され、急に粘っこい汗が全身からどっと流れていく。
くっ……、なんだ?
何が起こっているんだ!?
ちくしょう!
俺は死んで……?
(生きています)
息が……、くっ。
苦しく……、ない?
(セミオートの効果の一つです。戦闘可能なため、戦闘を開始してください)
「全身の青い鎧に兜……、覚醒しただと!?」
「まさか適応者が!?」
「気を付けろ! 奴は剣に適応した化け物だ!」
「問題ない! まだレベル1のはずだ! 一気に行くぞ!」
「ちぃっ! 考える暇もないってのかよ!」
敵の軍勢。
問答無用で斬りかかってくる。
レイチェルは大地を踏みしめた。
が、困惑した。
感触が違う!?
何かよくわからないものを履いている!?
(外殻です。鎧のようなものだと考えてください。こちらで様々な補助をするのであなたは思い描くように剣を振るってください)
「くそっ! わけがわからないが、やってやる!」
意を決して大地を蹴る。
意図せず弾丸のように飛んでいくレイチェル。
大きく違う感覚に、剣を振り下ろすこともできずに敵と衝突してしまう。四、五人を弾き飛ばし、さらには後続をも巻き込んだ。ドミノ倒しのように倒れるグロウズ軍。
ッ!?
速すぎる!
なんだこれは!?
レイチェルは驚いたが、しかしながらそれが当たり前のように感じている自身にも大いに驚いた。どうやら頭ではこれだけの力があると理解しているらしい。一瞬で気を引き締め、倒れなかった敵に向けて剣を無造作に横なぎに振るった。胴体から真っ二つに割れる敵。青い外殻で赤い血潮を受けつつ、レイチェルは戦慄した。
「隊長! 敵、完全に適応しております!」
「どうしましょう!?」
「こ……、攻撃だ! 相手は一人だ! 対するこちらは三十人!」
レイチェルは斬る。一人。二人。横なぎに振るえば上半身と下半身の二つになり、縦に振り下ろせば敵は左右に分離する。斬った感触も何もない。肉の繊維をぶちぶちと千切る震動が剣から伝わるどころか、まるで豆腐でも相手しているかのように滑らかに剣が動いた。
「隊長ぉぉッ!?」
「ひ、怯むなぁ! 圧倒的有利なことに変わりはない!」
「しかし隊ちょ――、ぎゃああああ!」
レイチェルはさらに斬る。怯えながらも攻撃してきた敵もいた。恐怖のためか逃げ出そうとした敵もいた。時には剣諸共スパリと斬り裂き、時には背中目掛けて斬り裂いた。そこには金属の感触も骨の感触も何もなかった。柔らかく滑らかなみずみずしい何か。それも、赤い液体の詰まった何かであった。
「なんてことだ! 報告にはこんな!? ひぃッ!」
戦闘とも呼べない一方的な蹂躙。
熱にうなされるように敵を殲滅していくレイチェル。
やがて路地裏は、血液と肉のスープへと化した。
追手との戦闘が終了したこともわからぬまま自身の息遣いだけが耳を支配する。
呼吸は、自身のものとは思えないほどに荒れていた。
「これは……、暴走? いや、まさか」
レイチェルの脳を新たに刺激したのは、人間の男の声だった。