ラブレターは愛しの彼に届かない
一目見たとき、恋に落ちてしまった。典型的な一目惚れ。理由なんて、ない。
彼を見ているだけで幸せになれた。彼の笑顔を見たときは息が止まりそうになった。その瞳に私を映してほしいなんて、ましてや恋人になりたいなんておおそれたことは考えていない。それでも、本当に好きで好きでたまらなくて。気持ちが溢れてどうしようもなかった。ただの自己満足でもいい。伝えたい、たったそれだけだったのに。
「お前、何やってるの?」
背後から低い声が聞こえて肩がびくり、と震えた。その瞬間、私の全身から血の気が引き、心臓が嫌な音を立てて鳴り響いた。人に見られてしまった! 後ろを振り向くのが怖い。
「このクラスじゃないよな、お前。こいつの机の前で何してたんだ──谷崎真帆」
追及するその声はびっくりするほど冷たく、私の全身も氷みたいに冷たくなっていった。私はおそるおそる後ろを振り返る。私を鋭い目で見ているたのは、私の想い人である進藤くん、の親友──梶原日向くんだった。
とっくに下校時刻の過ぎた放課後の夕暮れ。学校に残っているのは部活をしている者くらいで、教室になんか残っちゃいない。私は適当に時間をつぶして、人がいなくなるのを待っていた。私の思いを綴った手紙を進藤くんの机の中に入れるために。
私の想いを伝えようとしたとき、考えた。彼と私はクラスは別々で、接点なんてこれっぽっちも無い。進藤くんは私のことなんて絶対知らないだろう。直接告白する勇気はない。定番である下駄箱は、人目につきやすいし不衛生だ。だから却下。残るは彼の机の中。自分とは別の教室に入るのはちょっと気まずいけれど、時間を選べば誰にもわからないだろう。私は一大決心をしたのだが。
(どうしよう)
見つかってしまった。しかも進藤くんの親友に。私は何も言えずに固まっていると、おもむろに梶原くんは近づいてきて私の持っていた手紙を手に取った。
「進藤くんへ……。ふぅん、あいつのこと好きだったんだ?」
梶原くんの声はさらに冷たくなり、端正な顔は無表情だった。身の程知らず、といった風だろうか。私はいたたまれなくなって俯く。スカートを握った指先は白くなっていた。顔を上げられずにいると、ありえない音が教室に響き渡った。
「ちょっと、何してるの!?」
あろうことか、梶原くんはその手にあった私のラブレターをびりびりに引き裂いていた。思わず顔をあげ、叫ぶように声を出した。とっさに彼の腕を掴みやめさせようとしたけれど、時すでに遅し。私の想いが詰まった手紙は無残な姿になっていた。
「ひどい……」
私はバラバラになった手紙を見て、呆然とした。ひどい、ひどい。こんなことって──。顔を上げない私に、梶原君は私の両肩を掴んだ。
「……あいつに告白なんかするな」
ぷちん。
私の中でなにかが切れた。俺はお前のことが、なんて言い募ろうとする彼に私は渾身の力でみぞおちに拳を入れた。
「いってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
今度は彼の叫び声が教室に響き渡った。扉を閉めていたからよく響く。私は思わず舌打ちした。
「なんてことしてくれるのよ!その手紙書くのに何時間かかったと思ってんの!?」
「だからって、んな思いっきり殴らなくてもいいだろ!?」
「乙女の想いを引き裂いた罪は重いっ!やっていいことと悪いことの区別もつかないの!?」
私は完全に頭に血が上っており、思いっきり彼をなじった。どうしてくれよう、こいつ。一発殴っただけじゃ罪は消えない。身ぐるみはいで校庭1周引きずるくらいしないと私の気が済まないわ。キレていた私は、彼が学年1のイケメンで、かすり傷一つつけようなら過激なファンが黙っていないってことなど頭から抜け落ちていた。
「お前のことが好きだったんだよ!他の男に手紙渡そうとしてるところなんか阻止するに決まってるだろ!?」
私は驚きで目を見開いた。どう料理してやろうかと考えを巡らせていたのだが、梶原くんの言葉で私はすべて吹っ飛んでしまった。涙目で叫ぶ彼に、さっきまでのクールさはなかった。
梶原日向──。
切れ長の目に少し癖のある黒髪。性格はクールできつめ。ずばずば物を言うタイプらしく、告白されて泣かした女の子は数知れず。というか、女子にかかわらず他人に対してそもそもがそっけない。それでも彼が絶大な人気を誇っているのは、その整ったルックスの他に親友の進藤くんがいるからだ。
進藤くんに対しての梶原くんの態度は他の人と比べて北極とハワイくらい違う。常に無口・無表情の彼が、進藤くんに対しては表情をくるくると変え、よく笑い、よく話す。全然人になつかない動物がご主人様にだけ甘えてるみたいな?どこの忠犬かよ。そこをどけよ、進藤くんがよく見えないだろ。って私は思っていたんだけど。
そのギャップに大勢の女子が萌えたらしい。まぁ、変に軟派で女の子と付き合われるよりは硬派で男友達と一緒にいるほうがマシだろう。なぜなら、そこには進藤くん以外の他人が入る隙間なんてない。安心して好きでいられ、憧れることができるのだから。
そんな彼が私のことが好き? そんなの絶対ありえない!
「信じられるわけないじゃん! 私と梶原くんって話したこと一度もないよね!?」
「うるせぇ一目惚れだったんだよ!」
「は? ないない」
一般人その他にカテゴライズされる私が一目惚れされる理由がわからない。
「じゃあお前はなんなんだよ! お前だって瑞樹と話したことないんじゃないのか!?」
「一目惚れに決まってんじゃん!」
「お前も人のこと言えないじゃん!」
梶原くんが他人にこんな話してるとこ初めてみた。いつも(進藤くん以外には)クール、かっこいいで通っている彼なのに。というか、
「つくならもっとマシな嘘ついてよ。進藤くんと付き合ってるからお前には渡さねぇって言われたほうがまだ信ぴょう性あるし」
「は!? あいつは男だろ!付き合ってるわけねぇよ、ふざけんな!!」
あ、そうなんだ。あまりにも親密っぷりにそういう噂も流れてたんだけどな。そのことも考慮して直接言う勇気なかったんだけど。ここで本当のこと知っても嬉しくはない。が、その前に。
「私が好きなのは進藤くんだから。はい、これでこの話はおしまい」
「なんであいつなんだよ! 視線感じてたから俺のこと好きだと思ってたのに!」
「自意識過剰乙ー。私のタイプが進藤くんだったの。梶原くんに興味なんてこれっぽっちもないの。私に好きになって欲しかったら骨格から出直してきなよ、今すぐに」
「骨格って骨レベルからか!?」
梶原くんは180センチ以上あるらしく、体格にも恵まれている。対して進藤くんは背が高いとはあまり言えず(私よりは高いけど)、線が細い。全体の雰囲気として消えてしまいそうな儚さがある。2人は180度違うタイプだった。
けっこう暴言吐いたけど、奴は手紙を破り捨てたんだ。これくらい言ってもいいよね? これ以上居ても時間のムダだと思い、彼の横を通り抜けてドアに手をかけた。
「ちょっと待てよ!」
梶原くんに腕を掴まれ、そのままドアに押し付けられた。おや、これはいわゆる壁ドンか?壁じゃなくてドアだけど。先ほどの激情が嘘みたいになくなって、真剣な表情をしていた。
「本気で俺、お前が好きなんだけど」
「…………」
見下ろされる顔は認めるのが悔しいくらいかっこよかった。耳元でささやかれる、掠れたせつない声。大抵の女の子は落ちるだろう。
「ちょっと通行の邪魔なんだけど。殴るよ」
「うっ……言ってる前から殴るなよ!」
だが私は進藤くん一筋だ。相手が悪かったな、梶原くん。どんなイケメンの壁ドンも私の心は揺らがないぜ? 私は再び一発お見舞いすると、さっさと教室を出た。
「俺は絶対にあきらめないからな!!」
廊下に梶原くんの声が大音量で響く。私は思わず振り返った。お腹を押さえて涙目になりながら私を睨みつけている様に、私が好きだという要素は皆無だ。
「私だってあきらめないから!!」
乙女の想いを踏みにじった罪は重い。売られたケンカは基本買う主義だ。よし、買ってやる。私はそう叫ぶと、走ってその場を後にした。
「よし、持ってきてるっと」
翌日。学校に着いたとき、新たに書いてきた手紙を確認した。昨日は邪魔されたけれど、今日決行してしまえばこっちのもんだ。善は急げっていうしね。さて、どうしようか。できるだけ人目につかずに、さらに梶原くんに見つからないようにするには……。
「おはよう、谷崎さん」
後ろからかかってきた声は、遠くからしか聞くことのできなかった彼の声。まさか、どうして。私は振り返った。
「し、ししし進藤くん!?」
「あれ、びっくりさせちゃったかな?急に声かけてごめんね、谷崎さん」
目の前には、私の大好きな進藤くんがいた。小首をかしげ、困ったように笑っている。私は驚きで声が裏返ってしまった。羞恥と彼が目の前にいるという事実で顔が赤くなっていくのがわかった。
「突然で悪いんだけど、今日の昼休みとかって空いてる?」
「えっ」
「一緒にお昼とか食べられたらなぁって思ったんだけど」
「私と?」
進藤くんがにっこり笑った。まだ夢を見ているのかな、私。進藤くんが話しかけてくれて、あまつさえお昼を一緒にと誘ってくれている。こんな幸せな夢、初めてだ。お願い、もう少しだけ覚めないでほしい。
「谷崎さん」
彼が名前を呼んでくれる。ドキドキなりっぱなしの心臓がさらに跳ね上がり、胸がいっぱいになった。どうしよう、私、今だったら死んじゃってもいいくらい。だが、進藤くんの次の一言に、夢見ごごちなサンクチュアリから現実へと一気に引き戻された。
「実はね、日向が谷崎さんのことを気になってるみたいなんだ」
「………………は?」
今私と進藤くんの間に誰もいない。どうしてここで他の人の名前が出てくるのだろう。日向ってまさか梶原くんのこと? なんで、進藤君が……。
「日向はいつも他人に無関心なのに。気になる女の子ができたっていうなら、親友としてひと肌ぬぎたいなって思ってさ。だから俺と日向と一緒に」
無邪気に笑う進藤くんにぽっと見とれてしまう。普段の私だったら鼻血ものだろう。いやいや落ち着けちょっと待って。これってもしかして──梶原くんの差し金か!? あいついつか絶対絞めてやる。梶原くんの思惑通りになるのは面白くない。いやでも、進藤くんが、だけど梶原くんが……。頭は色々な考えでぐるぐる回った。
「僕と日向だけじゃ谷崎さんも気まずいかもしれないから、友達連れてきても大丈夫だよ。ね、お願い」
そんな私に、両手をぱんっと合わせて片目をつむるその姿も魅力的だった。愛しの愛しの進藤くんを前に、私の答えは一つしかない。
登場人物説明
谷崎真帆
手も足も口も出やすいちょっと凶暴な女の子。行動力があるのに変に乙女思考なため、告白ができない。進藤くんが好き。
梶原日向
クールが売りの学年1のイケメン。親友に告白しようとしていた真帆に慌てて自分の想いを告げるが、たちの悪い冗談だと受け取ってくれない。不憫な人ナンバーワン。
進藤瑞樹
梶原の親友。温厚な性格。自分以外に見向きもしなかった梶原の為にひと肌脱ごうと真帆に話しかける。真帆は涙目(色んな意味で)。