13/06/06:マルセ神奈川県本部前~シノ視点
13/06/06 木 17;30
官用車の中で待機中。
助手席には旭ちゃん。
車での作業は、いつもより楽。
外だと人目気にしないとだし、入口から目を切れないし、退屈だし。
こうしてFM横浜でも聞きながら、雑談しつつ待てばいい。
旭ちゃんが話しかけてくる。
「シノさん、ごめんなさい。本当は後輩の私が運転しないといけないのに~」
顔は向けられないけど、きっと心底申し訳なさそうな表情をしてるのだろう。
この子はすぐ顔に出る。
かわいらしいものだ。
「旭ちゃんは免許取ったばかりだもん、仕方ないよ」
「でもシノさんもペーパードライバーなんですよね~……」
「そうだけど一回も運転したことがないわけじゃないから。ただ仕事で運転するのは初めてなんだよね。悪いけど「任せて!」とまでは言えないなあ」
「シノさんなら大丈夫ですよ~」
いったい何を根拠にそんなことを言うのやら。
ただ私のセリフは半分本当で半分ウソ。
私はペーパードライバーなんかじゃない。
それどころか地元だから県内の道はそれなりに頭に入っている。
以前には観音さんをドライブで案内したこともあるし。
観音さんは、それを知ってるから私に運転を頼んだのだ。
よりによって、運転できないことにしている弥生の前で!
あのババ──もとい観音さんは!
私は弥生がかわいそうだった。
嫌がらせで事務所に閉じこめられて、何もできなくて。
せめて外の空気を吸わせてあげたかった。
だから運転できないことにしたのだ。
幸い仕事で運転したことは一回もなかったし。
でも、不安なのも本当。
尾行なんて私にできるのか?
やったこともないのに自信なんて持てるわけがない。
おっと、いけない。
集中しないと。
失尾してしまったら、そもそも尾行するどころじゃない。
それこそ弥生に合わせる顔がない。
──しばし沈黙が流れた後、旭ちゃんが話しかけてくる。
「この写真のインストラクター、吉島さんって可愛くありませんか~? 旭チェックは通過しますよ~?」
あなたは監視中に一体何を見てるのか。
黙ってるのを気まずいと思って話題を探したのだろうけど。
しかも仕事のターゲットに「さん」づけって、どれだけ感覚がずれているのか。
でも、この子は新人。
ここで目くじら立てても仕方ない。
私は別に旭ちゃんの教育係じゃないんだし、いらぬカドも立てたくない。
顔を向けないままで返答する。
「そう? 旭ちゃんの方が全然可愛いじゃない。吉島の笑顔っていかにも作っちゃってて気持ち悪い。中身がまるでなさそう」
旭ちゃんの息をのむ音が聞こえた。
「他人を悪し様に言うなんてシノさんらしくないですね~。もちろんシノさんと比べたら全然ですけど、それはシノさんの容姿が神の域に達してるだけです~」
私らしくない……か。
確かに汚い言葉を口に出すのは嫌いだし私の流儀じゃない。
でも、そのくらいは言いたくなる。
吉島程度に私が女として負けるとは思っていない。
弥生に操を立てるため、いったいどれだけの男を振りまくってきたと思うのか。
吉島が私に勝ってる部分なんて貧乳だけじゃないか。
それなのに……。
弥生、あなたは女を見る目がなさすぎ。
「別に自分の方がこの人より可愛いとは思わないけどさ。吉島って、なんか絵画販売のキャッチセールスの女性っぽくない? 腕組みながらギャラリー連れていくタイプの」
「弥生さんって簡単にひっかかりそうですね~、あれで意外に奥手ですし~」
「こらこら」
奥手……というのとは違うだろう。
あれは聡い庁内男性だとみんなそう。
庁内の女性には意識して壁を作る。
女性問題で出世妨げられるのがイヤだから。
弥生はキャリアだから尚更そうだ。
ただ、それが余りにも極端でそっけなくてわざとらしい。
だから私だって逆に燃え上がる。
その意味じゃ弥生は真の意味で女の扱いを知らない。
その一方で、自分のタイプだとコロリ無防備になるんだよなあ。
観音さんには見てるだけでムカついてくるくらいに心許してしまってるし。
あの筋金入りのお姉様好きに貧乳好きはどうにかならないものか……。
「でも、最近って弥生さん真面目に仕事してますよね~、こないだも一緒に住確回って仕事教えてもらったんですけど見直しちゃいましたよ~」
「弥生はやるべき時はやるしできる人だよ。一研の時からそうだった」
そう、私は一研で初めて見た時から弥生が好きだった。
第一印象で一目惚れとしか言いようがない。
「この人だ」と思ったのだ。
案外と人を好きになる時ってそんなものである。
あえて言えば……弥生には華がある。
私が惹かれたのは多分それ。
彼が有するプライドと自信から来ているのだろう。
それを納得させるだけの能力もある。
観音さんが力づくでぶったぎるナタなら弥生は切れ味鋭いカミソリ。
観音さんの方が優れて見えるのは、能力よりも経験と性格の差だろう。
悔しいのは、二人ともキャリアだからという肩書なんかじゃない。
生来のモノだというのを思い知らされること。
認めたくなくとも話しているだけでもわかる。
でもそれを羨んでも妬んでも仕方ない。
私になければ作るしかない。
だから私は努力を積み重ねて自分を磨く。
顔だけは生まれ持ったことを自覚しているだけに尚更だ。
「顔だけ」という台詞だけは絶対に言われたくない。
「やっぱりあの器小さい課長補佐のせいですかね~」
「観音さんも器小さいけどね。下にいると本当に疲れるよ? 子供だし」
「観音さんの器の小ささは仕事とは関係ない部分で害がないですから~」
「そうね。観音さんって仕事の指示も指導も正確だし、細やかに気も使ってくれる。自分に非があれば認めて部下にだって謝るし、私を信頼して仕事も任せてくれる。仕事に限れば最高の上司と思ってる」
「べた褒めですね~」
これはこれで私の本音。
認めたくはないけど認めざるをえないもの。
そして……
「弥生も同じだから仕事やり始めたんじゃないかな」
私自身もそうなのだから。
「それで弥生さんが仕事の実績上げたら、あの補佐も立つ瀬がないですね~」
「まったくだね。弥生の今回のマルコウ成功してほしいなあ」
もっとも、弥生が見返す前に、あの補佐はいつか私の手で殺す。
誰がお前なんかの隣に座るか。
みんながみんな出世考えて仕事してると思うな。
「そんな弥生さんも大分痩せてきましたよね~。あっ──」
「ううん? そうだ……ね」
ゴールデンウィークの一件を思い出したのだろう。
あのブラコン妹皆実め、よくもあんなところでバラしてくれて。
いったい私に何の怨みがあるのか。
私が姉じゃ不満なのか。
いや、恐らく皆実ちゃんは気づいているのだ。
私が弥生を食べ放題に連れ回した本当の意図を。
そう──私は意図して弥生を「デブらせた」のだ。
弥生が横浜に来た時、彼の心はすっかり折れてしまっていた。
私はチャンスだと思った。
弱っている人の心につけ込むのは籠絡の基本。
それは恋愛もマルコウも変わらないから。
弥生にはとことんまで優しくして甘やかした。
私に頼り、甘えずにはいられなくなるように。
そしてわざと太らせた。
時にはプロテイン混ぜた弁当を渡したりした。
デブなんて普通の女性は相手にしないから。
弥生がかっこいいままじゃ困るのだ。
ああ見えて彼は庁内女子の競争率高いから。
でも私は違う。
どんな姿でも弥生は弥生だ。
私は例え弥生がしわしわのおじいちゃんになって寝たきりになっても、おむつを取り替えてあげる自信がある。
「このまま元に戻ったら私も嬉しいんですけどね~、元々の弥生さんは男性ながらも旭チェック通っちゃいますし」
「じゃあ弥生が元に戻ったら、私は旭ちゃんから相手してもらえなくなっちゃうのかな? 寂しいなあ……旭ちゃんのこと妹みたいに思ってたのに……」
「い、いや、そ…そんなことないです。シノさんと弥生さんじゃ月とすっぽん、警察庁と公安庁です~、シノさんにそんなこと言われたら泣いちゃいます~」
ホント扱いやすい子。
弥生に色目を使われるくらいなら私の胸を揉まれてた方がましだ。
ま、妹みたいで可愛いのは本音だけどね。
しかし観音さんもダイエット強制だなどと要らぬ事をする。
弥生が私の物になる前に元に戻ったらどう責任取るつもりだ。
あれだけガードの堅かった弥生が後一押しで落ちる手応えを感じてたのに。
告白の場所とタイミングさえ間違えなければ……。
ああ、それもこれも全部観音さんのせいだ!
本当に最悪のタイミングで転勤してきて!
キャリアはキャリアらしく、本庁で机に座ってろ!
「観音さんって、もしかして弥生の事好きなのかなあ」
ついボヤいてしまう。
「まっさか~、どう見ても単なるおもちゃでしょ~。部下としては可愛がってると思いますけど、男性としては見下してると思いますよ? ミジンコを見るかのごとく~」
「私もそうだとは思うけどね」
いや、私の目には好きとしか見えない。
好きでもない男にいくら部下だからってあんなに世話を焼くわけない。
女は下心あるからこそ男に優しくするのだから。
でもどうして?
客観的な目で見れば、観音さんが弥生を好きになる理由なんてないと思うけど。
観音さん自身がよりどりみどりというのはあるけど、そこは私も言えない。
それ以前に理由がない。
私がこっそり調べたところ、接点もない。
キャリア同士といっても、ほとんど会ったことなかったみたいだし。
あの観音さんが顔だけで男を好きにはなるまい。
しかし観音さんもムカつく。
あんなにもてる人が「爆発」って単語を繰り返すのが嘘くさくて白ける。
カレシ作ればいいじゃない。
庁内に男達の屍築いておいて言う台詞じゃないよ。
どうしてよりによって弥生なの?
それも弥生の理想がそのまま現世に降臨した様な容姿まで持ち合わせて。
ずるいよ。
こんなこと思っちゃダメ。
わかってはいるけど……止まらない。
自己嫌悪に陥りそうだ。
仕事に集中しよう。
──ん、前方に車が止まった。例のナンバー。
来る!
「旭ちゃん、用意して」
「はい~」
マルタイが来た。乗り込む。
さすがに車の中はよく見えないな……。
「乗り込む写真は撮れました~」
「それじゃ行くよ」
「はい~」
動き出した車を追う。
環一から一号へ。
西に向かっているせいで夕陽が目に入る。眩しくて運転しづらい。
観音さんに連絡入れよう。
「シノです。マルタイ出て例の車に乗りました。現在追尾中です」
〔そうか。顔は見えたか?〕
「残念ながら。車の中はさすがに見えにくいです」
〔仕方ないな、そのまま追尾してくれ〕
「弥生、マルタイのすぐ後ろにつけちゃってるけど、本当にこのままでいいの」
〔いいよ。車の尾行は見られるかどうかじゃない。意識されるかどうかだから。防衛意識高い人はどうやっても気づくし、低い人なら気づかれない。考えるだけ無駄だ。心配しなくても大通りに出れば自然と二~三台間に挟む。信号にだけ気をつけろ〕
「わかった。それじゃまた後で連絡するね」
次いで一二号。
車が割り込んできて、自然に二~三台挟む形になる。
このルートだと……なるほど。
目的地は新横浜か。
ラブホテルいっぱいあるし。
だったら、予想ではそろそろ目的地に到着するはず。
ここらで観音さんにもう一度連絡入れよう。
「現在一二号を北上中、恐らく行き先は新横浜です」
〔ラブホテル街か。どうやら目的は達せられそうだな。マルケイの追尾はどうだ?〕
「ありません、大丈夫です」
マルケイとうちは本当に仲悪い。
同じ様な仕事をやってるのだから当たり前だ。
だから脈のありそうなマルタイは奪うし、ダメなら潰す。
つまりそれだけ税金がムダとなるわけで。
国民の皆様が聞いたら果たしてどう思うことやら。
〔よし。ホテルに入る所を押さえるのは無理だから一旦駐車場に入って待機だな〕
「そうですね。後は一人が外で待機して駐車場から出る所を押さえる、一人が車内待機でロビーから出てくる所を押さえられれば、といったところでしょうか」
〔今回は夜だから光源がなあ。まさかフラッシュは焚けないし。特に外は絶望的だろ〕
そうなんだよねえ。
でも私は弥生のためならなんだってやる。
「それなら私達も中に入りましょう。百合カップルでも装って」
〔ぶっ! あの、えっと、さすがに私もそこまでしろとは言わないぞ〕
「女性同士で性的な問題は起こりようがないですから、不祥事の心配は無用ですよ」
相手は「百合の旭」ちゃん。
そう断言できない気もするけど、まさか本当に百合ってことはないだろう。
〔まあなあ……わかった、シノの判断に任せる。ただし絶対に無理はするな〕
「了解です」
電話を切る。
観音さんもずっと頭脳が大人状態でいられるなら完璧なのになあ。
上司として完璧なのは本音なんだけど。
でもそれだと今みたいに気軽な関係にはなってないだろうな。
演技もあるだろうけど、本人の自覚無しに残念な部分があるのは確か。
だからこそ憎んでも憎みきれずにいるのだ。
弥生のことさえなければ好きだし尊敬してるし。
──マルタイの車がラブホに入った、わずかに時間をずらして続く。
駐車場はそこそこ広く停まっている車も少ない。
平日の夜だしね。
これで満車なら観音さんじゃないけど「爆発しろ」くらいは言いたくなるかも。
マルタイの車は奥に止める模様。
幸いロビー通用口近くが空いているのでそこに停める。
しかし、暗いなあ。
この距離からでもロビーから出る所を押さえるのはきついかな?
「旭ちゃんどう?」
「だめですね~。逆光になっちゃいます」
仕方ない。やるか。
弥生、この貸しは高いよ?
「旭ちゃん行くよ。腕組んで。もっと寄り添って」
「は、はひ~」
喜んで飛びついてくる旭ちゃん。
いつもは閉口する旭ちゃんの悪癖だが今回ばかりは重宝する。
端から見れば誰が見てもお熱い百合カップルだろう。
ロビーに入るとマルタイと吉島がいる。
車の女性と吉島は同一人物で間違いない。
吉島がマルタイの腕にすがり二人で体を寄せ合いつつ部屋を選んでいる。
こんな状況で写真を撮るのは怖いが……腹を括ろう。
弥生のためだ!
「旭ちゃん、せっかくのラブホだし記念撮影しちゃお。ほらもっとくっついて……そそ。頬すり寄せて。んー、つるつるで気持ちいい。本当に可愛いなあ、好き好き大好き♪」
旭ちゃんの頬に軽くキスをしながら、自分達を撮影する振りしてカメラを構える。
もちろん実際のカメラの向きはマルタイと吉島……押す……よし撮れた。
一応連写。
マルタイ達の隣の部屋をとる。
入室してから写真を確認……。
うん、バッチリ。
他もちゃんと撮れてる……って、キスの写真まで。
後で削除しないと。
いけない、早く連絡しよう。
観音さんが電話に出る。
〔どうだった〕
「同一人物です。現場写真も撮れました、現在はマルタイの隣の部屋です」
〔おお!〕
「今から画像を添付してメールしますので確認して下さい、一度電話を切ります」
送信っと。
ふう、疲れた。
緊張しすぎて頭が朦朧とする。
でもこれで弥生の役に立てた。
観音さんの鼻もあかせただろう。
──ビビビ
あれ? スマホが鳴る。
弥生だ!
「はいはい?」
御礼の電話かな?
〔この写真は一体何?〕
「見ての通りマルタイ達が部屋を選んでる写真だよ」
〔得意げに話すところ悪いが見ての通りじゃない。送ったメールを確認してみろ〕
はい?
・
・
・
あああああああああああああああああああああ!
なんてこと!
私が送信したのって、旭ちゃんとのキスシーンじゃないっ!
いくら朦朧としてたからって!
送信し直して、即座にリダイアル。
〔もしも──〕
「違うの、あれは違うの、記念撮影の振りの試し撮りのそれでそれで」
ああ、泣きたい。
もう泣いちゃってるけど……。
〔分かってるから気にするな。観音さんが話したがってるから待って〕
観音さんが出た。
〔シノ、よくやった!〕
「では、あがっていいですか。私と旭ちゃんは休憩して疲れをとってから帰庁します」
「お疲れ。夕食はそこで出前でも取るといい、経費として調活で落とす」
電話を切る。
再びベッドに体を横たえる。
ああ、やってしまった……。
男の人って、ああいう女性同士のキスシーンってどう思うのだろうか……。
あ、いけない。
旭ちゃんを忘れてた。
旭ちゃんは身じろぎもせず、私を見つめていた。
指示を待っていたらしい。
けなげというか、後輩らしいというか。
どことなく、哀れんだ視線でもあるのは気に掛かるけど。
「旭ちゃん、観音さんがあがっていいって。夕食代も出たから、どこか食べにいこ」
「はい~」
何が悲しくてラブホで女性二人食事しないといけないのか。
観音さんの発言に悪気はないだろうけど、とっとと出たい。
ああ、これが弥生と一緒だったらよかったのに。
「疲れちゃったから少しだけ寝かせてもらうね。せっかくだし、旭ちゃんはシャワーでも浴びるといいよ」
「はい~、御言葉に甘えますです~ 行ってきます~」
目を瞑る。
シャワーの音が聞こえてきた。
ざーっと流れる湯の音が、滝音を聞いてるみたいで心地良い。
ああ、もう本当に疲れた。
いらない恥までかいてしまった。
だけどとにかく弥生の役には立てたかな?
さあ寝よう……今からまた運転だしな……zzz……zzz……