4 期待と困惑
翌朝、揺れるカーテンから差し込む朝日と、小鳥の鳴くチュンチュンという声で目を覚ましたアミーリアは、手の中に残る白い花を見るなり、がばりと体を起こしてこう叫んだ。
「私、ついに<運命の人>を見つけたわ……!」
「お嬢様、もう朝ですよ、夢はおしまいですよー。何度起こしたと思ってるんですかー? 候補様にはもう朝食召し上がっていただいちゃってますからねー」
「ったく、いつにも増して寝起きが悪いと思ったらそんな夢見てたのかよ、お姫様は」
全く信じていないエフィとクラムの呆れた視線を受けて、アミーリアはあわてて叫ぶ。
「夢じゃないわ! 昨日の真夜中に、ほんとに<運命の人>が部屋に来たのよ! お伽話の王子様みたいでロマンチックだったわ……!」
昨晩のことを思い出し、うっとりと目を閉じるアミーリアをよそに、クラムとエフィは怪訝そうに顔を見合わせ、首を傾げる。やがてにっこりと笑みを深めたエフィは、アミーリアに視線を戻してこう言った。
「お嬢様、寝言は寝ていうものですよー?」
「起きてるわよ、夢じゃないって言ってるでしょ! 私に恋焦がれて思い余って来てしまったって言って、この花をくれたのよ。これが証拠よ!」
「証拠ったって……なんだこれ、マーガレット?」
掲げるようにして昨夜もらった花を見せると、クラムはしぶしぶといったように白い花を受け取った。なんの変哲もない、シンプルな一重の花をくるくると弄ぶように回し見たクラムはしかし、少しの間のあと、何かに気付いたように空色の目をはっと見開いた。
「この匂い……」
「ああ、そう言えば何だか、甘い、いい匂いがしたわ。頭がちょっとぽーっとするような……あれが恋の香りなのかしら?」
頬を押さえ、うふふと笑うアミーリアをよそに、クラムはにわかに真剣な顔をして部屋を見渡した。風にそよぐカーテンを睨むように見て窓に寄り、何かを探るように、身を乗り出して外を見る。
「……クラム? 何してるの?」
「エフィ、こいつを起こしに来たとき、窓を開けたか?」
「いいえ? そういえば、最初から開いてたわー。夜は、たしかに閉めたと思うけど」
「なるほど。――それじゃ残念ながら、アミーリアの寝言は夢じゃないな」
親指で背後を示すクラムに促され、夜着のままベッドを降りて窓に寄る。
先ほどクラムがしていたように外を覗けば、窓近くに繁った木の枝が一本折れていた。視線を更に下に向けると、折れた枝が木の途中に引っかかっているのが見える。
「この枝を伝って、三階にあるお嬢様の部屋に上ってきたっていうことね? ずいぶん身軽だわー」
アミーリアに続いて外をのぞいたエフィも枝を見つけたらしい。その言葉に頷いたクラムは、今度は窓の鍵を見て肩をすくめた。
「こっちは針金かなんかで開けたんだろうな。何にしろ、何者かがこの部屋に侵入したのは間違いない」
「あらあら、物騒ね、困っちゃうわ。旦那様に報告しなくちゃ駄目かしらー」
頬に片手を当て、首を傾げたエフィが緊迫感のない口調で言った言葉に、アミーリアはあわてて声を上げた。
「……ちょっと待って、泥棒じゃないのよ、<運命の人>よ!? なんで父様に言う必要があるの。そんなの絶対に駄目よ!」
「駄目ったって、お前、実際にここに侵入者が来たんだぞ!?」
語気を荒げるクラムに、アミーリアも更にむきになって言い募る。
「だから侵入者じゃなくて<運命の人>なのよ! その証拠に何も盗られてないし、危害も加えられてないわ。花を一輪くれただけよ。彼はただ、私への思いが募るあまり、会いにきちゃっただけなのよ!」
クラムが摘むようにして持ったままだった花を奪い返し、守るように握り締めて叫ぶ。クラムはますます眉をしかめた。
「なんでそんなことが分かるんだよ」
「だってそう言ってたもの!」
「……お前な……そんなもん何の根拠にも……」
「とにかく!」
げんなりと呟くクラムとエフィを正面から睨みつけ、言い放つ。
「父様に言って、もし『婿選び』が中止になったら、<運命の人>が誰かわからなくなっちゃうもの。<運命の人>は若い男の人だったし求婚者って言ってたから、きっと候補の三人の誰かだわ。その人を探し出してお婿さんにするためにも、父様には言っちゃ駄目、これは命令よ。わかったわね!」
「命令じゃ仕方ありませんねー。でもお嬢様、一体どうやって候補様の誰が<運命の人>かって確かめるんですか?」
「それは……」
問われて、アミーリアは胸を張る。そして白い寝巻きをなびかせて、堂々と答えた。
「<運命の人>なんだから、話せば絶対にわかるはずだわ!」
「…………」
「その根拠のない自信、さすがお嬢様ですねー」
二の句も継げないとばかりに肩を落とすクラムと、無責任に手を叩くエフィに見守られながら、アミーリアはさっそく今日から<運命の人>探しに乗り出す決意を固め、まずは着替えをするために、クラムを部屋から追い出した。
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追い立てられるようにアミーリアの部屋を出たクラムは、扉にずるずると背を預け、先ほどかいだ花の香りを思い返した。
ほとんどは気化してしまったのだろう、匂いは微かに残るだけだったが、粘膜にまとわりつくような甘い香りと、一瞬感じた酩酊感には覚えがあった。自然の花のものではない。あの匂いは、『火と棘』の使う睡眠薬によく似ていた。貴族の館に潜入した際など、立ち回りを演じたくない時によく使われる物だが、匂いが強いため、花や香水におり混ぜて用いることが多い。なるほど、今回のケースにも当てはまる。
(だが……かといって『火と棘』がここに侵入したとは考えにくい。警備は万全だし、館が建ってからこちら、使用人だってただの一人も入れ替えちゃいないんだからな)
この館に勤める使用人は、警備の者から下男の一人に至るまで、エルバートがきっちり素性を改めている。彼の徹底ぶりは大したもので、自分の目の入れられない候補たちの付き人や使用人には、館に入ることすら許さなかった。
(アミーリアが王都へ来て、もう三月だ。万一、使用人の中に賊が紛れていたとしたって、行動を起こすには遅すぎる。三月の間に増えた人間なんて、候補様たちくらいなもんだ)
そこまで考え、ある可能性に思い至ったクラムは扉を離れ、廊下の向かいの出窓へ寄った。
こちらからは中庭が見下ろせる。中庭では、思ったとおり候補の三人が、いつものテラスに座っていた。エフィは先に食事をしてもらっていると言っていたが、どうやら朝餉はまだ始まっていないようだ。律儀にアミーリアを待っているのだろう。
見下ろしているクラムに気付いたらしい。朝の光をはじいて一際明るく見える金茶の髪を揺らし、リオが軽く手を振ってくる。邪気のない笑顔は見覚えがあるようにも、初めて見るもののようにも感じる。いずれにしろ記憶は遠く、探りようもない。
リオの仕草に、他の二人もクラムの存在に気付いたのか、それぞれに軽い挨拶を送ってきた。それに頭を下げて応えたクラムは、掠めた疑問を打ち消した。
(……似たような薬がないわけじゃないだろう。候補様が盗賊なんて、そんなバカなことはあるはずがない)
候補たちの身元は言わずと知れている。当面、思い当たる<侵入者>は候補たちしかないが、だからと言って彼らを盗賊と決め付けるのは無理がある。候補たちを<侵入者>と仮定したところで、動機として思い当たるのは、他の候補者に先んじて自分を売り込みたいとか、あわよくば単純なアミーリアをうまくたぶらかし、既成事実の一つでも作って婿の座におさまりたいとかいう、色恋沙汰に毛が生えた程度のものだ。それだって、エルバートが知れば大騒ぎにはなるだろうが、候補はアミーリアに選ばれなくてはならないという大前提がある以上、彼女の意思を無視した暴挙は働けない。つまりは、アミーリアの言うとおり、放っておいても大した害はないはずだ。――そう頭では思うのに、胸にわだかまる疑惑がどうしても拭えなかった。
(エルバートに伝えるべきか? 『婿選び』が中止になれば、万が一『火と棘』が紛れ込んでいたにしろ、アミーリアに危険は及ばない。あいつの安全を第一に考えるなら、それが最も確実だろう。……だけど、それが正しいのか?)
そうなれば、婿取りを急いでいるエルバートは、アミーリアの婿を、今度こそ強引に決めてしまうだろう。アミーリアの意思を無視しても。
ここ数日のアミーリアはいつも楽しそうに笑っていた。強引に婿取りを進められれば、きっと彼女は怒って泣いて、傷付いて、あんな顔で笑うことはしなくなるだろう。自分以外の男の前で楽しそうに笑うアミーリアを見て腹が立っていたのは事実だが、泣き顔を想像するのはそれ以上に不愉快だった。
六年前、幼いアミーリアは、危険を覚悟で帰りたいかと問うたクラムに、しっかりと頷いた。そしてこう言ったのだ。――危なくてもいい。その代わり、守ってくれと。
思い出して、クラムは心を決めた。クラムはアミーリアの護衛だ。危険があるなら、クラムが守ってやればいい。万に一つの可能性で、恋をしたいというアミーリアのささやかな夢を壊すのは、彼女の望むところではないだろう。
「お待たせっ。ねえクラム、今日のドレスはどう? 大人っぽさを目指したんだけど」
先ほどの言い争いのことなどすでに忘れたようにはしゃいだ様子で、胸にレースの飾りのついたシンプルなラインのドレスを纏ったアミーリアが、跳ねるように扉から現われた。落ち着いた風合いの濃いピンク色のドレスは確かに少し大人びており、それを纏ったアミーリアもまた、もう幼い子供とは呼べない、きれいな少女なのだと思い知らされる。
「……いいんじゃねぇの、かわいいかわいい。リボンはガキっぽいけどな」
「そういうアンバランスさがいいの。おしゃれにはね、崩しも大事なポイントなのよ。知らないの?」
頭に結んだリボンをぽんと叩いて言えば、アミーリアはつんと顎を上げて見せた。態度とは裏腹に顔は笑っている。かわいいと言われて満更でもないのだろう。
「なあ、アミーリア。エルバートには黙っといてやるから、俺も<運命の人>とやらを探すのに同行させろ。いいな」
「あらあら、クラムちゃん、心配しちゃってー。結局は過保護なんだから」
「アミーリアひとりじゃ当てになんねぇだろ。何たって、俺のお姫様は頭が軽いから。なあ?」
笑って言えば、アミーリアは子供のように唇を尖らせる。
「そうやって子供扱いするんだから……。しょうがないわね、その代わり、あの人たちの前ではお姫様って呼ばないでよね?」
「はいはい。了解いたしました、お姫様」
「もう!」
むくれてテラスへ向かうアミーリアの背中を見つめ、まずは確認だ、とクラムは思う。
(誰が<侵入者>かさえわかれば、警戒はできる。害意のない、お坊ちゃんのいたずらだったらそれでいい。そうじゃなかったとしても――アミーリアはちゃんと俺が守ってやる)
それが、この先は隣に立てないクラムがアミーリアにやれる、唯一の餞別だ。
胸中で呟いて、クラムは足早にアミーリアの後を追った。