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私はあなたのお姫様!  作者:
4章
25/29

9 彼への気持ち

 分岐を増やした暗い道を、クラムは迷う気配も無く、確かな足取りで走った。

 お互いに無言のまま、どれくらい走っただろう。息があがり胸が痛くなり、もう耐えきれないと思った頃になって、ようやくクラムは足を止めた。繋がっていた指がゆっくりと離れる。乾いた血が剥がれる、ぱり、という微かな音が、どうしてか耳に残った。

 まだ道は奥へ続いているのに、と思うアミーリアの疑問に答えるように、クラムは離した指で壁を探ると、トン、と地面を蹴りあげた。壁のでっぱりを踏み台にして身軽に飛んで、天井に向けた手で何かを掴む。すると、着地したクラムと共に、縄梯子が降りてきた。

 先に上ったクラムが天井付近でしばらく何かを探るような音をさせた後、ギギ、と鈍い音を立てて、天井に穴が開いた。久しぶりに、風が頬にあたる。扉があったようだ。

「登れるか」

「……ええ」

 上から尋ねるクラムに短く返し、ぎしぎしと揺れる梯子を注意深く上る。先に外に出たクラムは、アミーリアが穴から這い上がるのをじっと待ってから、錆の浮いた金属の扉を再び閉じて、足で周囲の小石と砂をかけた。塗料か何かで細工してあるらしい扉は、すぐに周囲の色と馴染み、存在を消した。

 外はもうほとんど夜だった。赤く染まった太陽が、微かにだけ空の端に残っている他は、青みがかった薄闇に満ちている。辺りを見渡せば、ここは川辺のようだった。そう高くない堤防の上は芝が茂っており、川に沿うように木も植えてある。街道に出たのだ。

「きゃっ……」

 無言のままに街道へ歩き出したクラムの背を追って足を踏みだしたアミーリアは、足元の石につまづいた。はっとしたように振り返ったクラムはしかし、そのまま倒れるアミーリアを見守った。打ち付けた膝を払いながら立ち上がると、クラムはまた前を向き、ゆるやかな堤防を登り始めた。

 やがて、クラムは街道沿いに植えられた木の一本に繋がれていた馬に歩み寄った。

 顔を寄せてくる馬を構いながら、顔を向けずに言う。

「ここから北へ少し走ると、小さい森がある。そこにエルバートの私兵が待機してる。お前はこいつに乗ってそいつらと合流して、屋敷へ戻れ」

「……あなたは、どうするの?」

「リオを回収する。怪我もしてるし、放っておくとやばいだろう」

 淡々と告げられる言葉に、アミーリアはでも、と言い淀む。

「だって、あの人が……盗賊が、まだ――」

「俺だって盗賊だった。簡単にやられやしねぇよ」

 木から手綱を解いたクラムは、そこでやっとアミーリアを振り向いた。

 言葉に反して、彼の空色の瞳は穏やかだった。返す言葉を思いつかず、じっと奇妙な静けさをたたえた目を見返すことしかできないアミーリアに手綱を渡したクラムは、顎で馬の鞍を示した。乗れ、と言っているのだ。

「…………」

 促されるまま、手綱と鞍を掴んで、体を持ちあげる。一歩後ろに下がったクラムは馬上に上がるアミーリアを、やはり無言で見つめていた。アミーリアが鞍にまたがるのを確認すると、「行け」と短く言って馬の尻を叩く。

「クラム……っ!」

 走り出した馬が、クラムの横を通り過ぎる時、思わずアミーリアは叫んだ。何を言えばいいのか分からなかった。けれど、何かを伝えたかった。

「……悪かったな」

 こちらを見上げたクラムは少しだけ笑ってそう言うと、遠ざかるアミーリアに背を向けた。



 馬の脚は早かった。

 頬に髪に、強い風を感じながら、流れる景色の中でアミーリアは手綱を握った指に目を落とした。クラムに掴まれていた右手は赤く染まっていた。乾いた血が擦れ、爪にも入り込んで、ひどい有様だった。全て、クラムの血だ。

(あのナイフは、私に投げられたものだった)

 手綱から右手だけを離す。そっと持ち上げて、おそるおそる唇で触れる。鉄のような血の味がした。ぎり、と唇を噛むと、血の味はますます濃くなる。クラムは何度ひとりで、この味のする唇を噛みしめたのだろう。

 不意に、視界が滲んだ。鼻の奥につんとした痛みを感じる。

(クラムは私を庇ってくれた。私を助けて、守ってくれた。出会った時から、ずっと)

 アミーリアはクラムの過去を知らない。帰る場所も待つ人もいないということしか知らない。知っているのは、六年前、初めて会ったあの日からのことだけだ。けれど、それからのことならば、知っている。クラムがアミーリアの傍に居たように、アミーリアだって、クラムの傍に居たのだから。六年間、ずっと。

(昔のことなんか、どうでもいいじゃない。言いたくなかったってことは、思い出したくないってことじゃない。なのに、何で私はクラムの手を振り払ったの)

 地下道で走りながら、クラムは、我慢しろ、と言った。

 転んでも、馬に乗る時も、アミーリアに触らなかった。

 手を振りほどいたアミーリアに、傷ついた顔すら見せなかったのだ。

 気付いて、アミーリアはきっと顔を上げた。手綱を強く握り直し、思い切り引いて、上体を反らす。高く鳴き声を上げて、馬は脚を止めた。

 目じりに浮いた涙を頭を振って払いのけ、馬を反転させる。覚悟を決めるように、視線を落として深呼吸する。

 ――その時、膝で結わいたドレスの結び目から、ちらり、とオレンジ色の何かが見えた。

「……そういえば、持ってきてたわね……」

 結び目をほどいて抜き出すと、それは地下室から持ってきていたニンジンだった。すっかり忘れていたが、ずっとここに刺さっていたらしい。

(……つまり、クラムに再会したときも、襲われたときも逃げてるときも、ずっと私、これをドレスにつけてたってことよね……?)

 その絵面を想像し、アミーリアはがっくりと肩を落とした。バカみたいだった。盗賊だったとか、騙されてたとか、そういう一切合切がまとめて全部なんだかもう、どうでもよくなるほどに。

 好物の匂いを嗅ぎあてたのか、馬がぶる、と鼻を鳴らしてアミーリアを振り返ってくる。ふとひらめいて、アミーリアは笑った。これで、早く戻れるだろう。

「このままじゃ、クラムは拗ねて戻ってこないかもしれないものね。そんなの許さないわ。あなたは私の護衛で――私はあなたにまだ、言ってないことがあるんだもの!」

 自分を鼓舞するように大声で言ってから、アミーリアは手にしたニンジンに細工をほどこし、馬の鼻先にぶら下げた。

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