8 真実
「…………」
「…………」
小さなランプに細く灯るろうそくの火で注意深く足元を照らすリオの後を、火かき棒を握ったアミーリアが歩く。道は今のところ一本道だが、かれこれ数十分は歩いているというのに、どこへ着く気配もない。喋ると声が響くため、いつしか二人は黙ったまま歩みを進めるようになっていた。
(本当に、この道を行っていいのかしら。歩いて行っても行き止まりだったり……もしかしたら、もっと怖い盗賊がたくさんいる場所に着いちゃったりとか……)
前を歩くリオの足音を追い、機械的に足を動かしながらも、アミーリアの不安は募る。
(それでなくても、一本道だもの。もし誰かが来たら逃げられないわ。リオは戦えそうにないもの……だったら、私がやらないと……!)
決意を刻むように、手にした鉄製の棒を強く握りしめる。その時、不意にリオが足を止めた。近い距離で止まった背中に、アミーリアは顔をぶつけ、思わず短い悲鳴を上げた。
「きゃっ!」
「……しっ。……誰か、来ます」
「……え……!?」
後ろ手にランプを手渡してきたリオは、アミーリアを庇うように一歩、前へ出た。
息をつめて、二人でじっと、目の前の暗闇を見つめる。心臓が、ドクドクと激しく脈を打つ。棒を持つ手に、じわりと汗が滲む。
(ど、どうしよう……私が、私がしっかりしなきゃ……!)
足音はしない。ごく小さな衣擦れの音だけが、それでも少しずつ近づいてくるのがわかる。
やがて、隠そうとしても漏れる光が、前から来る誰かの姿をわずかに照らした。
「……おまえ――」
「――えいっ!」
「うわ!?」
リオの横をすり抜けるようにして、アミーリアは人影に向けて火かき棒を振り下ろした。先手必勝。いつもクラムが言っていたことだ。
ガン、と鈍い感触が手に届いた。次に、棒ごと体を引っ張られる。
「……きゃっ……!」
ずるり、と、汗で棒がすべる。前に傾いだ体を支える前に、足がもつれて視界が揺れた。
(――倒れる……!)
ぎゅっと目をつむって衝撃に耐えたアミーリアの体は予想とは裏腹に、正面の人影が伸ばした腕に抱き留められた。ガラン、と鉄の棒が地面に落ちる、鈍い音が通路に響く。
背中の布越しに感じる、骨っぽい、けれどしなやかで強い腕の感触はどうしてか覚えのあるものだった。それに気付いたアミーリアがはっと目を開いた瞬間、いつの間にか地面に転がっていたランプに照らされた、見慣れた空色の瞳が視界に広がった。
ドクン、と鼓動が跳ねる。それと同時に安心もして、引き寄せられた胸の中で、アミーリアは微笑んだ。そして、彼の名前を呼ぶ。
「クラ――」
「いきなり何すんだこのバカ! 女がこんなもん振り回すな、あぶねぇだろ!」
「バっ……!?」
アミーリアの甘やかな気持ちは、降ってきた罵声に瞬時にかき消された。
この期に及んでのバカ呼ばわりに、頭にかっと血が上る。もはや条件反射のように、アミーリアはクラムの服を掴んで叫んだ。
「な、ななな、何よ、何でいきなりバカなのよ!? もっと他に言うことがあるでしょ!?」
「バカじゃなけりゃ大バカだ! 人がどんだけ心配したと――……!」
つられたように怒鳴ったクラムは、そこで唐突に言葉を止めて、腕の中で怒りに顔を赤くしたアミーリアをじっと見下ろした。そして目を伏せ、細く長く、息を吐く。
「クラム……?」
「――ごめんな。守れなかった。……バカは俺だな」
懺悔のように呟いて、クラムは強くアミーリアを抱きしめた。縋るような腕の強さは、そのままクラムの後悔の表われな気がして、アミーリアはクラムが心底、自分を案じていたことを知る。ぎゅう、と無事を知らせるように強くクラムを抱き返しながらも、少しずつ早まる胸の音を、アミーリアは自覚していた。
(クラムは来てくれた。会えて本当に嬉しい。――私はやっぱりこの人が、好きなんだわ)
改めて確信し、こんな状況にも関わらず、アミーリアは幸福な気持ちになった。『ごっこ』なんかじゃない。これが確かに、アミーリアの恋だ。
「……ねえ、クラム。私――……私、あなたが……――」
込み上げる感情のまま、想いを口にしようとしたアミーリアの肩はしかし、突然ぐい、と暖かい胸から引き離された。
ぽかんとするアミーリアから焦ったように顔を背けたクラムは、唐突にゲホゲホと激しく咳き込み始める。
「ク、クラム……?」
「お前、ものすげー、なんか、灰? っぽいものが……やべ、気管に入っ……ゲホっ!」
「…………灰……ね……」
そういえば、暖炉をくぐったアミーリアの全身は、灰やら煤やらでひどく汚れていた。
生まれて初めての告白をよりによって灰に邪魔されたアミーリアはがっくりと肩を落としかけたが、すぐに思い直し、自分に言い聞かせるようにぼそぼそと呟く。
「いえ、そうよね……こんな恰好で大事なことを言うなんて、やっぱり駄目よ、そういうことよね……? ちゃんと綺麗なドレスで綺麗にお化粧した完璧な私で言わないとね……?」
「……っ、はあ、死ぬかと思った。――何ぶつぶつ言ってんだ、アミーリア?」
「なっ、何でもないわよ、放っておいて!」
「なに怒って――……と、そっちの坊ちゃんが本物の……リオ、か」
目線を後ろにやったクラムに倣い、振り向くと、そこには突然の再会劇にきょとんと目を丸くしているリオが居た。
「うちのお姫様が世話になったな」
「……っ、いえ。お世話になったのは、僕の方で。アミーリアさんは勇敢ですね」
軽くかけられた声に、ぴくりと驚いたように肩を跳ねさせたリオは、それでもすぐに元のように、おっとりと笑って言った。
「ビビリのくせに、変なところで度胸がいいから困るんだ」
「ちょっとクラム、何よ、その言い方!」
「――お前は大丈夫だったか? リオ」
怒るアミーリアを片手であしらいながら、クラムはついでのようにぽつりと言った。視線も向けずに言われた言葉に、リオはどうしてか、はっとしたように顔を上げる。
「……は、はい! あの、クラムさん。僕はもしかして、あなたとどこかで――……っ!?」
迷ったように言い淀んだ後、クラムをまっすぐに見つめたリオは、そこで唐突に息を詰まらせた。優しげな目を大きく見開き、やがて苦しげに表情を歪ませた彼は、がくりと地面に膝を着き、重い音を立てて倒れ伏した。
「リ……オ……?」
何が起こったのかわからず、呆然と倒れたリオを見つめる。地面に転がるランプの細い明かりを受けて、リオの背中に生えた小さなナイフが、薄闇に不吉な光を放った。
「リオ――!」
ナイフに塞がれた傷口から、じわりと血が染み出すのが見えた。
叫び、とっさに駆け寄ろうとしたアミーリアを、前に差し出されたクラムの腕が止める。どうしてと仰ぎ見たクラムは歯を食いしばり、きつく眉を寄せて暗闇の向こうを睨んでいた。
「……はい、合流お疲れ様。ばたばたと騒がしいと思ったら、ここを見つけちゃったのか」
レイルは足音を立てず、静かに闇から現れた。
その指には、リオの背に刺さったものとまったく同じナイフが数本握られている。
「大人しくしてれば痛い目見ずにすんだのに。ばかだねぇ、リオ君」
警戒し、身を固くするこちらをよそに、レイルは軽い足取りでリオの元まで歩む。倒れたリオをつまらなそうに見やり、足先でトン、とつつくように傷口の近くを蹴った。リオは眉を寄せ微かに呻いたが、閉じた目は開かなかった。
「……てめえ……っ」
腰を落とし、腰に刺していた短剣を抜いたクラムに、レイルは捕えた獲物をいたぶるように、猫のような瞳を三日月形にすうっと細めた。
「それで、何で君がここに居るのかな、クラム君。……おかしいよね? 何で君が『火と棘』しか知らないはずの、この地下道に入れたのかな? しかもこんな短時間に、幾つもあるアジトの中から、きっちりここを見つけ出せるなんてさ。……変、だよねぇ? ねえ、お嬢様?」
「――え……?」
嘲るように語尾を伸ばして言ったレイルはくつくつと笑っている。
――そういえば、と、アミーリアはようやく、レイルの語る疑問に思い至った。
(私が攫われてから、多分まだ、半日も経ってないわ。『火と棘』は、アジトも脱出路もわからないって、だから捕まえられないんだって言ってたのは、クラムじゃない。なのに、どうしてこんなにすぐに、私を助けにこられたの……?)
じわじわと胸に広がる不気味な予感に抵抗するように、アミーリアは目の前の背中を見つめる。決してたくましいわけではないが、それでもアミーリアの目にはいつも広く、大きく見えていた、頼もしい背中だ。
(違うって、言って。早く言って、クラム)
見慣れた背に、懇願するように思う。不安を堪えるように握り合わせた両手が、冷たい汗で濡れる。
けれど、それに答えたのは、諦観にも似た響きを宿した、淡々とした声だった。
「言いたきゃさっさと言ったらどうだ、団員さん。どうせそれで正解だ」
「何、開きなおってんの? 知られたくないくせにさぁ。そこには君の大事なお嬢様もいるんだよ?」
「もったいぶるなよ、てめえが言いたくないみたいだぜ? ほら、言えばいいじゃねぇか。――俺がてめえらの仲間だった、って」
「――――っ!」
クラム自身の口から紡がれた事実に、アミーリアは無意識に口を押え、よろりと一歩後ずさった。じり、と土を踏む乾いた音が、妙に大きく、薄暗い通路に響く。
「……あーあ、言っちゃった。自暴自棄ってやつ? ほら、お嬢様が怖がっちゃってるよ、かわいそうに――ずっと騙されていたんだもんね?」
「だま……されて……?」
告げられた言葉を、アミーリアは呆然と繰り返した。
(私は……騙されてたの? あのとき私を助けてくれたクラムは、攫われたわけじゃなかったの? クラムは、私を――)
「騙してたの……?」
振り向かない背中に、ぽつりと尋ねる。クラムは答えなかった。答えずに、足元に落ちていたランプをレイルに向かって蹴り上げた。ガン、と鈍い音がして、細い光が消える。
「っ、なにを――」
ガラン、と固いものが落ちる音がした。レイルが飛んできたランプを叩き落としたのだろう。その隙をついて、クラムは踵を返した。立ちすくむアミーリアに、感情の読めない声で短く言う。
「行くぞ、アミーリア」
「――やっ……!」
暗闇で腕を掴んだクラムの指を、アミーリアは払った。ぱし、と冷たい音がする。
「質問に、答えてないわ……! あなたは――あなたは私を、騙してたの……!?」
近い距離にいるはずなのに、暗くてクラムの顔が見えない。
どこにあるかわからない、けれど確かに傍にあるはずの空色の目を睨み据えて、アミーリアは叫ぶように尋ねた。
「そうだよ。俺はお前を騙してた。初めて会った時から、ずっとな」
「――どうして……っ、きゃあ!」
当然のように返ってきた、いっそ軽い声で告げられた答えに、アミーリアは更に問いを重ねようとした。だが、言葉の途中で再び強く腕を引かれる。ドッ、という鈍い音が、庇うように差し出された肩の後ろから聞こえた。え、と思った直後、近い距離でクラムが息を詰める気配がする。
「どうしてって、そんなの、黙ってた方が都合がいいからに決まってるよねえ、クラム君。盗賊だったなんてばれたら、お嬢様に取り入ることもできないもんね?」
顔は見えない。足音もしない。けれど、確かに笑っているとわかる声で、レイルは言った。きっと手には、弄ぶように小さなナイフを持っている。それを今、投げたのだ。
「……そうだな。その通りだ」
反対の腕で、肩に刺さったナイフを引き抜いたクラムは、そのまま肩ごしに、抜いたナイフを背後の闇へ投げ返した。レイルの反応を待たず、掴んだままのアミーリアの腕を引きずるように、闇の奥へと走り出す。
「何……何で、どうしてなのよ! 離して! 離して、クラム!」
「今は我慢しろ!」
掴まれた腕を解こうと、走りながら身をよじる。けれど、クラムの細長い指はますます強くアミーリアの腕を掴んだ。その指は、よく知っているものだ。いつもアミーリアを守り、差し出してくれる、あの手のひらだ。――それでも、彼はアミーリアの恐れる、盗賊なのだ。
(なのに、どうしてなの……!?)
ナイフに刺された肩から流れたものだろう。握られた腕に、ぬるく湿る感触が加わる。
騙していたと言った。取り入るためと言った。それなのに、血で滑り、離れそうになったアミーリアの腕をもう一度たぐる、クラムの指は必死だった。必死に、アミーリアを助けようとしていた。
ずるりともう一度手が滑り、ついには指同士が絡み合う。
わけがわからなかった。突き付けられた事実に混乱していた。
けれど、その指を離したいとは、もうとても思えなかった。




