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私はあなたのお姫様!  作者:
4章
22/29

6 兄

 ガタン、と天井の扉が重い音を立てて閉まると同時に、アミーリアは詰めていた息を吐いた。毛布を掴んだ手に、知らず力がこもる。くやしかった。クラムへの恋心は『ごっこ』なんかじゃない、本物だ。それはわかっているのに、それでも何の反論もできなかったことが、アミーリアの心に暗い影を落としていた。

「……お茶、飲みませんか? 盗品みたいですけど、もう淹れちゃいましたし、いいですよね。飲みながら、少しお話しましょう。ね、アミーリアさん」

 にっこりと、少女じみた繊細な面差しに優しい笑みを浮かべたリオは、ポットを軽く持ち上げてアミーリアを誘った。

 はげますような笑顔に促され、ベッドを降りたアミーリアを引いた椅子に座らせたリオは、慣れた手つきで新しいカップに紅茶をそそぐ。

 ふわりと立ち上るあたたかな湯気を顔に受け、アミーリアはほっと息をついた。それを見て目を細めたリオは、自身も向かいの椅子に腰かけて、のんびりした声で話しかけてきた。

「あなたがアディルセンのお嬢さんだったんですね。僕がうっかり攫われてしまったせいで、あなたにもとんだご迷惑をおかけしてしまいました。ごめんなさい」

 ぺこり、と子供のような素直さで頭を下げるリオに、アミーリアは首を横に振る。

「あなたも被害者じゃない。あなたが謝る必要はないわ。うっかりに攫われちゃったのは、私も同じだし」

「そういえばそうですね、おそろいだ。そう思うと、なんだか親しみがわきますね」

「……そ、そう、かしら……?」

 アミーリアの胸に湧き上がるのは親しみよりも危機感だったが、嬉しそうににこにこと笑うリオには言いづらく、結局あいまいに首を傾げた。本物のリオ・クルサードは、どうやらキャロルと張れる天然のようである。

 のんびりとしたリオの物言いにふとキャロルを思い出したアミーリアは、あたたかい紅茶に口をつけながら、彼女の恋の話をもう一度ふりかえる。

(キャロル……キャロルは、あの人が言ったみたいなことに、自分で気が付いたのね。気が付いて、そして、何も告げないことを選んだんだわ。自分の――いえ、ジェラルドのために、そうした方がいいと思って)

 優しく笑う、おっとりとした顔のうしろで、そう決めた彼女はどんな気持ちだったのだろう。時間をかけてゆっくりと育んだ恋を、自分の気持ち以外の理由で諦めると決めた、彼女の本当の心は。

 ――キャロルお嬢様は大人だな。そう言ったクラムを思い出す。その時に、彼はたしか、アミーリアを子供とも言った。

(それは、こういうことだったんだわ……)

 あの時のアミーリアは、まだ、キャロルの言う『恋』を知らなかった。障害のある彼女の恋を、現実に、自分の身に起こる出来事として考えることはできなかった。けれど、知ってしまった今になって、柔和な印象のキャロルの、隠された強さを悟る。

「……クラムさん、というのはどういう方なんですか?」

「え……?」

 唐突に聞こえたクラムの名前に、思考に浸っていたアミーリアははっと顔を上げた。

「『婿選び』の候補ではない方のようですが……候補の中に、お気に召す相手はいませんでしたか? 僕が言うのもなんですが、なかなかの家の子息が揃っていたと思いましたが」

 単純に疑問なのだろう。リオの言葉には悪意も嫌味も感じられず、だからアミーリアも素直に答えることができた。

「いいえ。演技をしていた『リオ』も含めて、みんな素敵だったわよ。でも――なんだか誰も、私を好きじゃなかったのよね。みんな、私以外の大事ななにかを持ってたの。……『リオ』も含めてね」

「そうでしたか……お気の毒に。でも、気を落とさないでください、アミーリアさん。あなたはとてもきれいだし、素敵な女の子です。きっとこれからいいことありますよ!」

「……あ、ありがとう……」

 一片の皮肉も交えず、力づけるように拳まで握って告げられた励ましの言葉に、かえって徒労に終わった『婿選び』に対するなんとも言えない空しさを思い出したが、とりあえず礼を告げる。

 いえいえ、と微笑んだリオはしかし、少しの間のあと、ふと気が付いたように首を傾げた。

「あれ、でも、クラムさんは……?」

「クラムへの気持ちに気が付いたのは、本当についさっきよ。偽物の『リオ』にプロポーズされて、それでやっとわかったの。ずっと傍に居て、だからかえってわからなかったけど――私がこの先ずっと一緒に居たいのは、クラムなんだ、って」

 そこで、アミーリアはようやく気が付いた。他の候補者に、アミーリア以外の大切な何かがあったように、アミーリアにもそれはあった。だから、『婿選び』がうまくいかなかったのはきっと、ユージンやジェラルドや、レイルのせいだけじゃない。

「――クラムさん、というのは素敵な方なんですね。あなたみたいな女の子に、そんな風に想われるんですから」

「素敵っていうか……基本的にはいじわるよ? 口は悪いし、態度も悪いし、すぐに私をからかうしバカにするし、言うこともあんまり聞いてくれないし、子供扱いばっかりするし、何度注意してもお姫様って呼ぶし」

 素直に言われて、どうしてか恥ずかしくなり、慌てて言い募る。

 正面に座るリオはそんなアミーリアをにこにこと見つめていた。邪気のない笑顔はアミーリアの内心を見透かしているようだ。意地をはるのも馬鹿らしく思え、アミーリアは諦めて、ふっと息を吐いた。

「でも――でもね。クラムは最初に会った時からずっと、私のことを守ってくれたの。怖いことも、痛いこともあったと思うのに、そういうのは全然見せないで、笑うの。そうやって、いつも私の傍に居てくれたのよ」

「やっぱり、素敵な人じゃないですか。それに、僕の知ってる人にも少し似てるな」

 言って、リオはどこか遠くを見るような、懐かしそうな目をした後、寂しそうに笑った。

「知ってる人……?」

 リオが初めて浮かべたしんみりとした表情が気になって、アミーリアはぽつりと呟いた。

疑問符に込められた言外の問いに気が付いたのか、リオはふと、我に返ったようにアミーリアを見つめた。寂しげな笑みはそのままに、瞼を伏せてゆっくりと言う。

「ええ。僕の二番目の兄です。彼も口や態度が乱暴で、でも我慢強くって、結局は優しい人でした。血は半分しか繋がってないし、一緒に暮らしたのもほんの数か月ですけどね。――父は、事故なのだから兄のことは忘れろと言ったけど……やっぱり、忘れられないな」

 きょとんと瞬くアミーリアに気付いたらしい。

 そこまで語ったリオは、はっとしたように伏せていた目を上げると、困ったように笑った。

「すみません、わけがわかりませんよね。もう十年以上前になりますが、兄は、死んだんです。川に落ちた僕を助けて……自分はそのまま流されて」

「……!」

 予想外の言葉に、アミーリアは目を見開いた。アミーリアの驚きに静かな微笑みで答えたリオは、再び遠くを見るような目をして、続きをこう語り始めた。



 リオの母親は、そもそもはクルサード卿の愛人だった。

 正妻であった前クルサード夫人は隣国リグリアの王族とも縁続きの家系だった。クルサード家より格上の家から妻を娶った手前、クルサード卿は、夫人が病気で亡くなるまで、愛人の存在を誰にも伏せていた。だからこそ、夫人の死後に間を置かず身分の低い愛人と再婚した時の、周囲の反発は大きかった。親族はもちろん、使用人までもが、新たな夫人とその息子であるリオを疎むような気配を漂わせており、幼いリオは今までの家とは比べものにならないほど広大なクルサードの屋敷で、居場所のない思いをしていた。

 前クルサード夫人の遺した息子は二人いた。当時、すでに成人していた長兄は王都の大学に在籍しており、新たな母と弟にもさほどの抵抗は見せなかった。時折会えば頭を撫で、土産をくれるような、おおらかな人だった。

 それに比べ、まだ幼かった二番目の兄は、わかりやすい反発を見せた。ただ、彼の反発はリオや、リオの母ではなく、前夫人をずっと欺いていた、実の父に向けられたものだった。

「父は、自分に反発し続ける兄に戸惑い、持て余しているようでした。後ろめたい思いがあったからこそ、それを自分に突き付けてくる兄が、次第に疎ましくもなったのでしょう。わざととは、思いたくありません。――けれど、流された兄の捜索は、幼かった僕の目から見てもずさんなものでした」

 兄が行方知れずになってから数日後、早々に葬儀は行われた。自分を庇った兄の死を認めたくなかったリオは、捜索の続行を父に泣いて頼んだが、父は頑として聞き入れなかった。

 そうして、遺体のない葬儀は終えられ、クルサード家の次男はこの世から消えた。

「兄は、僕と母を咎めることは一度もなかったけれど、内心では憎く思ったこともあったのだろうと思います。それをぶつけないように、僕らのことは避けていた。でも、僕は、どうしてか彼のことが好きでした。兄が屋敷を抜け出す後をつけて、彼の隠れ場所へよく、勝手について行きました。最初は帰れって言われましたけど、そのうちに、危ないだろバカとかチビのくせにとか転んだくらいで泣くなとか、世話を焼いてくれるようになって……そして、僕のために死んでしまった」

「……なんだか、ほんとにクラムに似てるわね。私も昔、同じようなことを言われたわ」

「そうですか。会ってみたいな、クラムさんに」

「そうね……」

 微笑むリオにつられて笑ったアミーリアはしかし、現在の状況に思い当たって瞼を伏せる。今の自分たちは囚われ人だ。ここを抜け出すか、もしくは『火の棘』が自分たちを使い終え、解放するまでは、リオをクラムに会わせることはできない。そしてそれは、アミーリアにも当てはまるのだ。

 現実に気付き、アミーリアは今さらながら、ぞくりと背を震わせた。こわい。どうすればいいのかわからない。心細くて、泣きそうになる。――けれど。

「――私、昔にも『火と棘』に誘拐されたことがあるの。その時に助けてくれたのが、クラムなのよ」

 怯える自分を鼓舞するように、ぽつりと呟いた。唐突な言葉にリオがきょとんと瞬くのがわかったが、そのまま続ける。

「閉じ込められて泣いてたら、泣くな、弱みを見せるな、毅然としてろ、って言われたわ。危険を覚悟で、それでも帰りたいかって聞かれたの。それで、私は頷いたわ」

 帰りたかった。帰りたい。怖くても、危険でも――クラムの元に。

 帰って、そして、この気持ちを伝えたかった。思い出したからだ。キャロルは大人で、アミーリアは子供で、それでいい、とクラムは言った。そのままでいろと言ったのだ。

 あの日、アミーリアはキャロルに言った。何も告げずに諦めるのはおかしい、と。恋の意味も知らなかった、クラムの言うところの『子供の強さ』だが、それだって強さは強さだ。クラムはつまり、それを無くすなとアミーリアに言ったのだ。

 だったら、きっと、いいだろう。この気持ちを伝えても、きっとクラムは、迷惑には思わない。『ごっこ』なんて笑ったりはしないはずだ。

「……やっぱりね、私は私の気持ちが一番大事だわ。むずかしいことは、クラムに私の気持ちを伝えて、それを受け入れてもらえたら、その時に一緒に考えればいいのよね。クラムは私より頭がいいもの。私一人で考えるよりいい考えが浮かぶだろうし、そうよ、何事もやってみなくちゃわからないわ。だから勇気を出すのよ、アミーリア!」

「あの……アミーリアさん……?」

 ガタンと椅子を倒すような勢いで立ち上がったアミーリアを、リオは明るい褐色の瞳を見開いてぽかんと見上げる。その目をまっすぐ見下ろしたアミーリアは、きっぱりと、有無を言わせぬ強さで叫ぶように言った。

「のんびりしてる場合じゃないわ。さっさとここから逃げるわよ!」

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