5 貴公子と盗賊
重い瞼を持ち上げたアミーリアの視界に映ったのは、じっとこちらを覗き込む褐色の双眸だった。見慣れない色の瞳を寝ぼけ眼でぼんやり見つめ返してしまったアミーリアは、数拍の間の後、思い出したように悲鳴を上げた。
「――きゃあ!? だ、だ、誰よ、あなた!?」
「おや、思ったよりお元気そうですね?」
かかっていた毛布を跳ね除ける勢いで半身を起こし、上ずった声で問うアミーリアを見て、襟足できれいに整えられた金茶の髪を持つ品のいい少年は、ほっとしたように明るい褐色の瞳を和ませた。長い睫毛が、少女のように滑らかな頬にふわりと影を落とす。
「連れてこられたあなたはなんだかぐったりしていたものですから、心配していたんですよ。怪我はしてないとレイルが言うのでそのまま寝かせてしまいましたが、何かあったら大変だなあと思って、とりあえずはこうして見守っていたんです。いやあ、よかったよかった、安心しました」
「え、あの……連れてこられたって……誰に? ていうか、ここは一体どこ? それに、あなたは――」
「まあまあ、まずは落ち着いてください。そうだ、お茶でも淹れましょうか。さっき、レイルがあなたと一緒に持ってきてくれたんです。新茶だからきっとおいしいですよ」
「お茶……って……」
のん気すぎる言葉にぽかんとするアミーリアをよそに、薄い背を向けた少年はいそいそと、部屋の奥にある暖炉へと足を進める。
(……って、暖炉?)
疑問に思い首をめぐらせ、アミーリアは現在、自分が居る部屋を見渡した。
煉瓦じきの床には毛皮の絨毯がひかれており、白い漆喰で塗り固められた壁には少年の向かった飾り気のない暖炉が備えられている。アミーリアの居るベッドは天蓋のついた妙に上等なもので、それはベッドと暖炉の中間に置かれたテーブルも同様だった。部屋の隅には上階へ続く階段があり、それでアミーリアは、小さいながら居心地よさげに整えられたこの部屋が地下室なのだと悟った。だが、ここがどこで、屋敷の裏庭でリオと一緒に居たはずの自分がどうして見覚えのない地下室に連れてこられたのか、ということは、一向にわからなかった。そこで、アミーリアははっとする。
「そうだわ――リオは、どこかしら」
「はい? 呼びました?」
湯をわかし終え、茶器をテーブルに並べはじめた少年が、どうしてかアミーリアの声に応じて顔を上げる。
「いえ、あなたじゃなくて、リオ――リオ・クルサードのことよ。金茶の髪で琥珀色の目の――……って、そういえばあなたもそうね。目の色は少し違うけど」
「……そうですか。やっぱりレイルは僕の名を騙っているんですね。そうだろうとは思ってましたけど、困ったなあ……クルサードの名で悪いことをして、兄上たちに迷惑が掛からないといいんだけど」
さして困った風もなくのほほんと茶を淹れる少年の発した言葉に、アミーリアはぽかんと目を見開いた。
「……どういうこと? あなたがリオで……名前を騙ってるレイルって……?」
「ま、そのまんまの意味だよね」
「――!」
ガタン、という重い音と共に天井の扉が開いた。
そこから現れたのは、金茶の髪と琥珀色の目を持つ、アミーリアの知る『リオ』だった。
「リオ、あなた……あなたが、私を攫ったの……!?」
「そ。――ああ、さっきそこのお坊ちゃんが言った通り、彼が本物のリオ君ね。俺の名前はレイル。ややこしくて悪いけど、俺のことはこれからレイルって呼んでね、お嬢様?」
のんびりと階段を下るリオ――いや、レイルは、相変わらず人好きのする笑みを浮かべて、しかし聞き慣れないなれなれしい口調でそう言った。
「なんで……なんであなたがそんなこと……?」
「今さらそんな確認しなくたって、わかってるだろ? 俺は『リオ』じゃありませんでした。そして、君を攫ってここに監禁しています。――さて、問題です。そういう奴を、君ら貴族はなんて呼ぶのかな?」
ベッドに歩み寄ったレイルは、びくりと体を震わせるアミーリアを気に留めた風もなく、無遠慮に顔を近づけてくる。
「あなたは、盗賊――『火と棘』、なのね……!」
退きそうになるのをこらえて、近い距離にある琥珀色の瞳を睨む。するとレイルは猫のような目をやけに楽しそうに細めた。
「ご名答。ほーら、ちゃんとわかってるじゃないか」
そこでくるりと踵を返したレイルはテーブルに寄り、椅子を引いた。本物のリオが淹れた紅茶を、貴族のように優雅な手つきで一口飲む。
「ちょっとレイル、それはそちらのお嬢さんに淹れたんだよ。勝手に飲まないでよ」
「俺が盗ってきたんだから、文句を言うなよ。大体、君、なじみすぎなんだよ。君は俺に誘拐されてるんだってことを忘れるなよ?」
「えー、なんだ、これ、盗品なのかい? じゃあいいよ、全部レイルが飲んでよ」
「……多いだろ、それは。あと、人の話は聞こうよ。リオ君はほんとにマイペースだね」
ずい、とポットを押し付けられ、レイルはうんざりと身を引いた。
「…………」
妙な掛け合いを繰り広げる二人をきょとんと見やるアミーリアに気付いたレイルは、気を取り直したように肩を竦め、椅子をアミーリアに向けて足を組んだ。ぎくりと構えたアミーリアに、にっこりと人懐こい笑顔を向けてから、おもむろに切り出した。
「そうだな。君にも状況くらいは説明してあげようか、アミーリアちゃん」
「……え? アミーリア……って……?」
語尾を拾ってきょとんとするリオを無視して、レイルは続ける。
「十日くらい前かなあ。このすっとぼけたお坊ちゃんを攫った時に『婿選び』のことを知って、俺はリオ君に成り代わったんだよ。おいしい獲物が面白そうな催しをするって聞いたら、そりゃ行くしかないだろ? 幸い、リオ君は箱入りで、王都に知り合いは居なかったし、ちょうどいいやと思ってさ。こうも上手くいくとは思わなかったけど、おかげでいい手柄になりそうだ。有力貴族を一気に三人も手に入れられるとはね」
「……ちょっと待って、三人って――もう一人は?」
「今日中に連れて来るから待っててね。お父さんが居れば、君も心細くはないだろう?」
「と、父様まで攫うつもりなの!?」
目をみはったアミーリアに、レイルは事もなげにあっさり頷く。
「そうだよ? アディルセンの当主を手中に入れられるなんて、こんなチャンスは滅多にない。エルバートさんは随分と子煩悩らしいじゃないか。餌も手に入ったし、後は俺の手際次第ってとこかな。腕が鳴るよね」
「……餌……って……私!? 私は餌だったって言うの!?」
あまりの言われように、ふるふると肩が震える。
「あっはっは、ごめん、プライド傷ついた?」
「そ、そんなんじゃないわよ、驚いただけよ! 私を父様を攫う餌にするために、あんな演技してたのね……よりによって、餌、に、するために……!」
レイルの告白を真に受け、<運命の人>とクラムの間で揺れた自分の葛藤はなんだったのだ。あの時の罪悪感は。しかも、よくよく考えれば<運命の人>の正体はレイルなのだから、<運命の人>探しも、そもそも無駄足だったのではないだろうか。
(つまり、『婿選び』自体、ほとんど無駄だったってことじゃない……!)
もはやどこに憤ればいいのかわからないが、とにかく全てに腹が立つ。
怯えも忘れ、怒りで顔を赤くするアミーリアを見て、レイルは再度、声を上げて笑った。
「餌で残念だったね? でも、決めたのは君なんだから、そんなに怒らないでよ」
「……何を言ってるの?」
きょとんとするアミーリアに、テーブルに肘をついたレイルは、たちまちつまらなそうな顔で肩を竦めた。
「君との恋愛ごっこは結構たのしかったから、君が素直に俺を選んでれば、俺の正体が露呈するまでは『ごっこ』を続けるつもりだった。手柄を立てるより、そっちの方が何となく、おもしろそうだったからさ。……なのに、君があんなつまらない奴を選ぶから」
レイルはそこで、どうしてか拗ねたように唇を尖らせた。
その言いぐさに、アミーリアは更に憤る。
「つっ、つまらないって何よ、失礼ね! クラムのことなんて何も知らないくせに! クラムはね、あれで結構おもしろいダジャレとか言うのよ!?」
「いや、どうでもいいよ、そんなの」
「よくないわよ! 第一、あなたのそれは責任転嫁じゃないの。どんなに長く続いたって、『ごっこ』じゃぜんぜん意味なんてないわ!」
言い放ち、肩で息をする。
そんなアミーリアに、レイルは一瞬、不愉快そうに眉をしかめた。だが、すぐに元通りの笑みを浮かべ、そして言う。
「――そういう君の恋だって、ただの『ごっこ』じゃないの?」
「違うわ! たくさん悩んで、考えて、やっとわかったことだもの」
間髪入れずに言い返したアミーリアを嘲るように、レイルは笑う。
「だからなに? 悩んで考えてわかって、それから? それから君の恋はどうなるの?」
「……何が言いたいのよ、あなたは」
試すような物言いに、アミーリアは眉を寄せる。そんなアミーリアに言い含めるように、レイルは言った。
「君はさ、何だかあんまり威厳はないけど、エレクトル有数の高位貴族、アディルセン家の一人娘だ。それに引きかえ彼はなんだい? お嬢様」
「クラムは――クラムは、私の護衛よ。私を、ずっと守ってくれた人よ」
むきになってレイルを睨む。
彼はアミーリアの視線を避けず、真っ向から受け止めた。
「でも、彼はなんの証も持ってない。そんな男との未来を許してくれるほど、君のお父さんは優しい人? ――それとも、君は彼との未来のために、自分の全てを捨てる覚悟があるのかな?」
「……それは……」
言い淀んだアミーリアに、レイルは更にたたみかけた。
「それが無いなら、君の恋だって単なる『ごっこ』さ。自覚がないだけ、俺よりよっぽど性質がわる――」
その時、ぽこん、と軽い音がした。
頭にぶつかった紅茶の箱をつまんだレイルは、それを投げた人物を、むっとしたように横目でにらむ。
「――なに? リオ君。話の邪魔をしないでくれるかな」
「邪魔するために投げたんだ。なんだい、さっきから聞いてれば、お嬢さんをいじめるようなことばっかり言って。女の子には優しくって、お母さんに習わなかったの、君は」
「あのね、俺は盗賊だよ。リオ君みたいにのほほんと生きてきたお坊ちゃんとは違うんだよ」
「盗賊だろうと王様だろうと、君が男の子でお嬢さんが女の子なのは変わらないでしょ。ほら、謝りなさい」
優しげな褐色の目を吊り上げて、リオはびしりと言い放った。睨まれても怯む様子もない彼に、レイルはうんざりと眉をしかめたが、やがて諦めたように大きく息を吐いた。
「…………あーもう、いいや、めんどうくさい。とにかく移動は夜だから、それまで大人しくしといてね。リオ君、お嬢様をよろしく」
「ちょっと……!」
ガタンと椅子を立ち、つまらなそうに手を振りながら階段へ向かったレイルに、アミーリアは思わず制止の声をかける。レイルは視線だけでアミーリアを振り返った。
「何?」
「……っ……」
何か、言いたかった。ようやく気付いたアミーリアの恋を『ごっこ』と言い切ったレイルに、一矢報いるような言葉を、何か。けれどその何かが浮かばず、アミーリアは結局、唇を噛みしめて黙り込む。レイルはふっと微かに息をもらして、何も言えないアミーリアを残し、そのまま地下室を出て行った。




