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私はあなたのお姫様!  作者:
4章
20/29

4 誘拐

ぼんやりと湖を眺めていたクラムは、しばらくの間の後で、無理やり気持ちを切り替えた。落ち込む時間は後でいくらでもある。とりあえずは屋敷に戻り、アミーリアの護衛としての役目を全うするべきだ。相手が決まったとはいえ、『婿選び』はあと数日を残している。クラムはそれまでは、アミーリアの護衛なのだ。

 馬はリオに使われてしまったため、クラムが屋敷に戻ったのは、正午を過ぎた頃だった。顔なじみの門衛に片手を上げて門を抜けようとしたクラムに、年の近い彼は気さくに声をかけてくる。

「おい、クラム、馬はどうした? お前、さっき乗ってったよな」

「お坊ちゃんに取られたんだよ。戻ってきただろ?」

「え? おかしいな。お嬢様は馬で帰ってきたけど、候補の坊ちゃんはお前みたいに歩いて帰ってきたぜ?」

「……は?」

「お二人が乗って行った馬はお嬢様が連れて帰ってきたから、別に不思議には思わなかったけど……大丈夫か? クラム。馬、弁償したら高いぜ?」

 にやりと笑って脅す門衛に、うるせえよ、と軽口で返しながら、クラムは眉を寄せる。

(馬は庭園にはいなかった。奴が乗ってったのは間違いない。なのに、どうして単身で戻った? 馬を隠す理由はなんだ?)

 胸を過ぎった不穏な予感に、急いで屋敷へ入ったクラムは、テラスに座るユージンとジェラルドを見つけ、声をかけた。

「ユージン様、ジェラルドさ――」

「ほんっとうに、ごめんなさい、ジェラルドさん!」

「いえ……まあ、ほんの三時間程度ですから、鍛錬と思えばなんてことは――と、クラム殿。どうされました?」

「アミーリアを見ませんでしたか? それと、リオ様を」

 画用紙を片手に頭を下げるユージンに、二人の間に何が起こったかを瞬時に悟ったクラムだが、今はそこに触れている暇はない。急いて訊ねるクラムに不思議そうな顔をしながらも、ジェラルドはこう答えた。

「アミーリア殿なら、二時間ほど前に、その廊下を通って裏庭の方へ向かわれましたよ。リオ殿も、その後すぐに戻られて、同じように。それからは見かけていませんが」

「そうでしたか? 誰も通っていなかったと思いますけど」

「ユージン殿はまあ……集中してらっしゃいましたからね……」

「――まさか……」

 二人のやりとりを最後まで聞く余裕もなく、クラムは裏庭へ走ろうとした。その時、背後から、めずらしく慌てたエフィの声が響いた。

「――旦那様、エルバート様! 一体どうされたんですか? エルバート様!」

 聞こえた名前に、足を止めて声の方を振り返ると、クラムの姿を認めたエルバートがつかつかとこちらへ歩いてきた。その顔は、怜悧な無表情だ。

「アディルセン卿……!?」

 慌てたように椅子を立つジェラルドとユージンにも答えず、エルバートはクラムの眼前で足を止めた。突然現れたエルバートを怪訝に見つめるクラムに、怒りを押さえ込んでいるとわかる、ひやりとした声で言う。

「お前が傍に居て何をやってるんだ、クラム」

「――ッ!?」

 言葉が終わると同時に頬に衝撃が走った。次いで柱に打ち付けられる、鈍い痛みが背中を襲う。息が詰まり、数度咳き込んだクラムは、じわりと熱を持ち始めた頬に、殴られたことをようやく悟った。

「っ、てめぇ、いきなり何しやが――」

 血の味のする唇をぬぐいながら、前に立つエルバートを思わず睨む。だが、こちらを見下ろすエルバートの温度のない目の色に、有事を悟ったクラムは続けようとした言葉を改めた。

「エルバート――あいつに、何かあったのか?」

「クラムちゃん……旦那様……?」

 追いついたエフィが、不安げにクラムとエルバートを交互に見つめる。

 自身を落ち着けるようにひとつ息を吐いたエルバートは、硬い表情のまま、口調だけをわずかに緩ませて言った。

「――ついてこい、クラム。エフィは後始末を頼む」

「後始末って……何も壊れては……」

 命じられ、怪訝に周囲を見渡したエフィは、渡り廊下を挟んだテラスで、突然の出来事にぽかんとしている二人の候補者で目を止めた。納得したように眉尻を下げ、肩を落とす。

「悪い。頼んだ」

 不安げなエフィに、努めて平静な声で言い置いてから、クラムは先に立つエルバートの背中を追った。



 無言のまま廊下を歩き続けたエルバートは、屋敷の端にある、ほとんど使われていない小さな書斎へ入った。続いて中に入ったクラムが扉を閉めると同時に、エルバートは懐から取り出した羊皮紙を、クラムの鼻先に突きつける。

「まずはそれを読め、話はそれからだ。あと、いきなり殴って悪かったな。そうでもしないと頭が冷えなかった。お父さんだからな」

「……エルバート。これはいつ届いたもんだ」

 すっかりいつもの調子を取り戻したエルバートに反し、短い書面を読み終えたクラムは硬い声で呻くように訊ねた。無意識に力を込めた手の中で、中央に赤い刻印を押された紙が、乾いた音を立てて潰れる。赤い実を潰したような、滲む血を模したような歪な形の刻印は、『火と棘』のシンボルだった。間に合わなかった。――アミーリアが攫われたのだ。

「ついさっきだ。うちの脚環をつけた伝書鳩が運んできた」

「……鳩……か。完全に計画的だな」

 鳩が盗まれた、と言っていたエフィを思い出す。なるほど、このためだったわけだ。

 ぎり、と奥歯を噛み締めたクラムは、半端に伸びた黒髪をぐしゃりと握り、平静を取り戻そうと息を吐く。だが、込み上げる怒りはとても抑えられなかった。

「殴るならこのタイミングで殴ってくれよ。……くそ、最悪だ。よりによって、『本物』が紛れ込んでいやがった」

 ――危険があるかもしれないと知っていた。万に一つだとしても、こうなる可能性があることも把握していたはずだ。その上で決めたのではなかったか。守ってやるからと、そう決意したはずなのに。

(護衛としての役割も果たせないのか、俺は。あいつを守るのが俺の一番大事な役目だったのに、目先の感情に振り回されて、結局あいつを危険にさらして――何やってんだ)

 湧き上がる怒りの大部分は自分へ向かったものだった。

 後悔に黙り込んだクラムに、ふっと息を吐いたエルバートは、俯くクラムの後頭部を平手で叩いた。べし、と間抜けな音がする。

「――っ、何だよ!」

「殴れっていうから殴ってやったんだ。拳は痛いからもうやらないけど」

 部屋の奥に置かれた机に腰をかけ、エルバートは淡々と続ける。

「自己嫌悪だか自己憐憫だかしらないが、浸るのは後にしてくれ。――まず、犯人は誰だ。お前の様子からして、目星はついてるんだろう」

「……『リオ・クルサード』だ。だが、本人じゃない。どこかで入れ替わったな」

「どうしてわかる」

「理由は俺も知らないが、『火と棘』は思想として貴族を嫌う。内通者として利用することはあっても、後で必ず始末はつける。あんたも注意したほうがいいぜ」

 仮にリオが本物だったとしても、『火と棘』が本当の意味で貴族を信用することはない。アミーリアを攫うという重要な役目を任せることは絶対にないと言い切れる。屋敷のどこかに縛られたリオが転がっていれば話は別だが、おそらくそれもないだろう。金茶の髪、褐色の目。それらの特徴はおぼろげな記憶に残る『リオ』と同じだが、あの子供が盗賊と内通するとは、やはりクラムには思えなかった。何より、婿の候補に上がっている人間が、わざわざ名を明かして悪事を働く理由がない。

「……頭は冷えたみたいだな。じゃあ、本題に入るとするか」

 皮肉を交えた物言いに軽く笑ったエルバートは、クラムの握る『火と棘』からの脅迫文を顎で示した。

「聞きたいことは色々あるが、まずは状況を整理するぞ。――娘は預かった。返してほしければ今夜、金を持って指定した場所に来い。金を運ぶのは俺。他言はするな。とまあ、それが『火と棘』の要求だ。非常に簡潔だが、厄介だな」

「……アミーリアは餌、本命の得物はあんた。そう考えた方が自然だな」

「金を積めばいいんなら、いくらでも積むけどな。そういう思惑が透けて見える以上、素直に従うわけにもいかない。俺と引き換えにしたところで、アミーリアが無事に戻る保障はないし――あった所で、俺の身柄はやれないしな」

「そういう奴だよな、あんたは」

 クラムの声色に潜む、責めるような響きを感じたのだろう。

 横目でクラムを睨んだエルバートは、どこか拗ねたような表情で肩を竦めた。

「俺がただのお父さんだったら、危険を顧みたりしないさ。でも、あいにく俺は偉い人なんだよ。守るものはたくさんある。家族だけに全部はやれない。だから、お前をあの子の傍に置いてるんだ。ま、役立たずだったけど」

「……取り戻すさ」

「どうやってだ?」

 ぽつりと呟いたクラムに、エルバートは間髪入れず問い返した。

「俺は要求を飲むつもりはないぞ。候補の『リオ』に扮してたんなら、俺の顔も確認済みだ、代役は立てられない。一応、金の用意はつけといた。ばれない範囲で検問も張ったし、動かせる私兵も数人は屋敷に待機させてある。――だが、俺に出来るのはそこまでだ。さて、ここからお前はどうやってあの子を助け出すんだ?」

「俺の全部を使って、だよ」

「……クラム?」

 怪訝な顔をするエルバートを無視し、ほとんど中身のない本棚から、王都周辺の地図を取り出し机に広げた。市街地の東を指さして言う。

「――『火と棘』が指定してきた場所はここ、サルセド地区の南東だな。スラム区域だが、解体が進んで住人はほぼ居ない反面、建物はまだ残ってて死角が多いって、奴らにしてみりゃ便利な場所だ。どっかの誰かみたいな偉い人がサボるから、こういうことに使われる」

「……偉い人にもきっと色々あるんだよ。予算の兼ね合いとか、他の懸案事項とか。――で、続きは? そこのどこかにアジトがあって、アミーリアが隠されてるのか?」

「いや、間違いなくここにはいない。もとよりアミーリアを返す気なんてないだろうからな。――奴は単独犯だ。金を受け取るにしろあんたを攫うにしろ、出入りはしやすい方がいい。その結果がこの場所なんだろ」

 クラムの言葉に、エルバートは首を傾げる。

「なんで単独犯ってわかるんだ」

「わざわざ鳩を攫ったり、馬を奪ったりしてるからだよ。潜入は少人数が基本だし、貴族相手に詐欺を働くような奴らは団でも滅多に徒党は組まない。分け前が減るからな。アジトに行けば多少は人手があるかもしれないが、少なくとも今、王都に奴の仲間はいない」

 そこで、クラムは地図上の指を下に滑らせた。

「サルセド地区に排水路があるのは知ってるよな? 辿ると南のシエル川の下流に出る。そこに、地下道の入り口がある」

「地下道……? 聞いたことがないな。そんな大がかりな施工がいるもの、俺が知らないわけはないんだが」

「大陸戦争の名残らしいぜ。元はリグリア国が潜入のために掘った物らしいが、完成前に戦争が終わって放棄された後、巡り巡って『火と棘』専用通路になった。五十年の間にこつこつ掘り広げられて、今じゃローランシア大陸の三国を網羅している『火と棘』の命綱だ。奴がわざわざサルセド地区を指定してきた理由は、この道だ。あんたを攫えば間違いなく追手がかかるが、ここへ逃げ込めば足がつかない。とすれば、アミーリアが連れていかれたアジトの場所にも見当はつく」

 地下道の入り口を示していた指を、更に南、隣国リグリアとの国境付近まで移動させる。指を止めた先は、クルサード家の領地、レナートだ。

「成り代わってる都合上、奴は本物のリオを手中に収めているはずだ。クルサード本家は気付いてないか、おどされて黙っているかのどちらかだろう。レナートから王都への街道は一本しかないから、リオが襲われたとすればこの道で間違いない」

 卓上の筆立から鉛筆を抜いたクラムは、覗き込むエルバートに示すように、記憶に残るアジトの場所へ印をつける。

「街道付近に、地下道を通って行けるアジトは七つある」

「七つか……多いな。秘密裏に動くには手勢が足りない。もう少し絞れないか」

 顎に手をやり、眉根を寄せたエルバートに、クラムはしばし考えた後でこう答えた。

「明日あんたを攫った後で、三人まとめて本部へ連行したいってのが、おそらく奴の腹だろう。人質は同じ場所に集めるはずだ。三人を収容できる容量のあるアジトは――ここ、しかない」

 コン、と鉛筆の背で地図の一点を示しながら、クラムは皮肉な偶然に息を吐いた。

 その場所には覚えがあった。かつて、瀕死のクラムが『火と棘』の団員に拾われたのがそこだった。それまでの名前を捨てる決意をした場所だ。

(何もかも終わらせるにはちょうどいい、か)

 迷いはなかった。アミーリアを守る、それがクラムの役目だ。

 『火と棘』の団員以外は知らないはずのアジトへ行けば、鈍いアミーリアとてクラムの過去に気が付くだろう。そうすればきっと、アミーリアはクラムを怖がる。出会ってからずっと嘘をついてきたクラムのことを、きっと許しはしないだろう。無邪気に笑いかけてくる、クラムの『お姫様』を、クラムはこの先、永遠に失うことになる。

 それを理解した上で、クラムは言った。

「エルバート。アミーリアの救出には俺が行く」

「――いいのか?」

 エルバートも気付いているのだろう。彼にしてはめずらしく、素直に気遣うような目を向けてくる。らしくない心配を跳ね返すように、クラムは笑った。

「俺の全部で、って言ったろ。盗賊だった過去なんて誇れるもんじゃないが、それでもこうして役に立つなら無駄じゃなかった。だからいい。それを知ったあいつが俺を憎んでも嫌っても、俺はアミーリアを守る。俺はあいつの護衛だからな」

「全部……ね。たしかに聞いたぞ。その言葉、忘れるなよ、クラム」

「エルバート……?」

 こんな事態だというのに、エルバートはにやりと楽しそうに笑った。

 怪訝な顔をしたクラムを無視したエルバートはしかし、すぐに不可解な笑みを収め、何事もなかったように真剣な表情で、アミーリア救出の作戦を練り始めた。

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