2 発覚
小一時間ほど馬に揺られた後、目的の庭園にたどり着いた。
全体をしてゆったりとした空気の流れる広い庭園は、のびのびと散歩を楽しむという趣旨のもとに造園されているようだ。目を奪われるような華美さはないが、ゆるやかなカーブを描く小路のそこかしこには、花々が自生しているかのように自然に配置されており、見るものの目を和ませる。
馬を降り、リオの先導で小路を辿ったアミーリアは、やがて庭園の奥に隠れ家のようにこんもりと繁る、小さな林へと案内された。
アーチのように頭上を覆う木々の足もとを通り抜け、木漏れ日が多く差すようになったと思った時、目の前にゆらめく湖面が広がった。
「湖……!?」
木漏れ日を受けてきらめく湖面に目を奪われ、感嘆の声を上げたアミーリアに、リオは嬉しそうに微笑んだ。
「小ぶりではありますが、静かでいい場所でしょう? あなたの育ったシズビーには大きな湖があったと聞いて、ぜひ一緒にここに来たいと思ったんです」
父の直轄である領地、シズビーは、運河を巡らすシズビー湖を有する豊かな土地だ。そこで育ったアミーリアも、湖には親しんでいる。
「それで、わざわざ連れてきてくれたのね……?」
「お気に召していただけましたか?」
「ええ、とても。王都は建物が多くてきれいだけど、やっぱりこういう景色の中にいるほうが落ち着くわ」
「それはよかった。喜んでいただけたのなら、エフィさんの心配を押し切ったかいがありました」
声を弾ませたアミーリアに片目をつむったリオは、湖のほとりに平らな場所を見つけると、ハンカチを敷いて座るように促した。導かれるまま腰を下ろすと、リオも頓着なく、アミーリアの隣の芝生に座り込む。
思わぬ気遣いに、塞いでいた気持ちが少しだけ明るくなる。その感謝を込めて、アミーリアは微笑みながら言った。
「気を使ってくれたのね。ありがとう。リオは優しいのね」
「――いいえ? 僕は基本的にはわがままで秘密主義で協調性もありませんし、計算高くて自分さえよければそれでいい、どちらかと言わなくても性悪な男ですよ?」
「……はい?」
にっこりと、邪気のない笑顔で告げられた言葉に、アミーリアは口角を笑みの形に上げたまま、首だけをぎぎぎと横に傾けた。それを気に留めた風もなく、リオは続ける。
「『婿選び』も、最初は面白そうだと思ったんですが、わりとすぐに飽きました。なので、さっくりあなたを落として終わりにしちゃおっかなー、と思っていたんです。でもまあ、ちょっと誤算がありまして」
「……は……!? ちょっとリオ、あなた、なに言って――もがっ」
「まあまあ、話は最後まで聞いてください、お嬢様」
ひやりとした固い指先で、そっと口を塞がれる。その仕草と感触に、アミーリアははっと目を見開いた。
(これ――この指は、もしかして……)
まさか、と思いながら、近い距離で微笑むリオをまじまじと見つめる。アミーリアの視線を真っ向から受けたリオは、いっそう楽しげに笑みを深めた。
「あなたの貴族にあるまじき純粋さは誤算でしたよ。単純、と言い換えてもいいかもしれませんが――少しだけ待って、こうしてあなたと二人で話してみたいと思ってしまうくらいには、あなたは面白い人だった」
呆然と目を見開くアミーリアの右手を取ったリオは、ゆっくり顔を近づけ、そっと唇を触れさせた。その感触にぴくりと体を震わせたアミーリアは、細い声で手を取ったままのリオに問う。
「あなたは、もしかして――」
問いを投げながらも、アミーリアは確信していた。雰囲気や気配はごまかせない、と語ったクラムは正しかった。一拍の間を置いて離れたリオの暖かな唇は、数日前の<彼>のものと、その印象を少しも違えなかったのだから。
「――あの夜の翌日、あなたが『二人きりの時間を』と言い出したときは、犯人探しを始めたのかと思いました。ルール違反は自覚していましたからね。でも、あなたは言った。僕のことを――<運命の人>、と」
「なんでそれを知ってるの……?」
「かくれんぼは得意なんですよ。内緒話はもっとこっそりしないとね」
候補者たちには、アミーリアが<運命の人>を探しているとは公言しなかったはずだ。
疑問に思って訊ねれば、リオは立てた指を唇に押し当て、悪びれずに言った。おそらくは、どこかのタイミングでアミーリアとクラムの会話を聞いたのだろう。
「やっぱり、あなた……なのね?」
アミーリアの問いに笑みで答えたリオは、握ったままだったアミーリアの手を唐突に強く引いた。
「きゃっ……!?」
「改めて申し上げます、アミーリア様」
短い悲鳴と共に倒れ込んだ先は、リオの胸の中だった。
近い距離、猫のような琥珀色の瞳でアミーリアをじっと見つめたリオは、やがてゆっくりと、背中にまわした腕に力を込めた。
「あなたを恋い慕う哀れな求婚者に、<運命>を感じてくださったなら。――どうか、僕の妻になっていただけませんか?」
「――っ……!」
ドクン、と大きく胸が鳴る。
手を置かれた背中が熱い。ようやく離された手の平が汗ばむ。鼓動も早く、けれどそれはどうしてか、暴かれたくない秘密を見抜かれた時のような、ひやりとする心地だった。
(……答えるのよ、アミーリア。答えなんて決まりきってるじゃない)
そう思うのに、声が出ない。
目を見開いたまま沈黙したアミーリアの背中に流れる髪を分け、首の後ろに指を回したリオは、そこで微かにアミーリアを上向かせた。その仕草はひどく優しい。自分を見つめる表情も見とれるほどに甘やかで、だからアミーリアは今、幸福を感じていてもいいはずだ。
(リオは、私の捜し求める<運命の人>だった。やっと会えたんじゃない。やっと、私を好きだって言ってくれる、私だけの<運命の人>が現われたのよ)
待ち望んでいた瞬間のはずだった。
エルバートに『婿選び』の話を聞いた時から。いや、もっと前、両親の恋物語に焦がれるようになった頃からずっと、アミーリアはこの瞬間を待っていた。素敵な貴公子が自分に向けて恋を語り、求婚する瞬間を。――それなのに。
(それなのに、どうしてクラムを思い出すのよ……!)
口をそっと塞いだ指も、ゆっくりと手に触れた暖かな唇も、いま近い距離で自分を見つめる、琥珀色の瞳も。それら全てが、アミーリアの求めるものとは違っていた。違うと、思ってしまった。
上向かせたアミーリアに、リオは顔を近付ける。あっと思った時にはもう、吐息のかかる距離に居た。とっさに上げた制止の手はしかし、リオの動きを止めない。
混乱しきり、ぎゅっと目を閉じる。その時、背後に聞きなれた声が響いた。
「――アミーリア!」
「……っ!」
その声にはっとして、リオの手を振り切るようにして背後を見やる。そこには肩で息をして、射るようにこちらを睨むクラムの姿があった。
「クラム……? どうしてここに……?」
目を瞬かせて自分を見やるアミーリアに気が付いたらしい。
乱暴な足取りでアミーリアの元まで歩んだクラムは、強い力でドレスの後ろ襟を掴み上げ、リオとアミーリアを引き離した。
「ちょっ、ちょっとクラム! 何するのよ!」
猫の子のような扱いに思わず文句を言うと、見上げた先のクラムはアミーリアを見つめ、更に剣呑に空色の目を細めた。見慣れない目の色に圧され思わず怯んだアミーリアに、クラムは眇めた瞳と同じく、怒りを押し殺したような声色で低く言う。
「何、はこっちの台詞だ。人に黙って勝手に出てって、この様か。俺が何のために居るのか、お前、わかってんのか?」
「……っ、な……なによ、何なのよ! 私とリオが二人になるようにって外したのは自分でしょ!? 仕向けて私を放っておいたのはクラムなのに、何で私が怒られなくちゃならないのよ! 悪いのは全部あなたじゃないの! ばか!」
「お前、何またわけわかんねぇことを……! こら、待て、アミーリア!」
引き止めるクラムの指を振りほどき、制止の声を背中に聞きながら、アミーリアは全力で走り、その場から逃げ出した。
「あーあ、逃げちゃった。まったく、いい所で邪魔してくれたね、クラム君?」
やれやれ、とため息混じりに立ち上がったリオは、アミーリアを追おうと踵を返しかけたクラムの肩を強く掴み、動きを阻んだ。
「……離せ。てめえと話をすんのは後だ」
にやにやと挑発するように笑うリオを殴ってやりたいのはやまやまだが、今はアミーリアを追うのが先決だ。だが、低く言ったクラムに怯む気配も見せず、リオはクラムを止める手にますます力を込めた。
「慇懃無礼の次は、ただの無礼者か。アディルセンの犬はまるで躾がなってないね。お嬢様のご寵愛を受けて、調子に乗っているのかな? 何も知らない顔をして、あの子もなかなかやるね」
「てめえ……!」
アミーリアを嘲る言葉にかっとして、肩を掴む腕を振り解いた勢いのまま、笑うリオの襟首を掴み上げる。それでもやはり、リオの猫のような目は、楽しげに細められたままだ。
「昨日も言ったろ? 『婿選び』は誰がお嬢様を落とせるかってゲームだ。誓いのキスの一つや二つ、大目に見てもらえないかなぁ。他の『候補』だったらともかく、盤上に上がれない、ゲームの駒ですらない君に、僕を阻む権利はないよ」
「婿を選ぶのはあくまでアミーリアだ。あいつが選んだんじゃない限り、てめえの行動は見過ごせない」
「君のそれは護衛としての意見かな? それとも君個人のもの?」
「……俺はアミーリアの護衛だ。俺には、あいつを守る義務がある」
「あっそ」
肩を竦めたリオは、初めて不愉快そうに「つまらないなぁ」と呟いた。だが、すぐに気を取りなおしたように続ける。
「でも、それなら別に問題ないよ。あの子の<運命>は僕だから」
「……どういうことだ?」
「察しが悪いなぁ。君たちが捜してた<運命の人>は僕だったって、そういうことさ」
「お前が……!?」
突然の告白に目を見開いたクラムに、リオはことも無げに頷いた。
「騙しやすそうなお嬢様だし、うまくいけば夜這いの一つでもかけられるかなーと思って忍び込んだんだけど、予想外におもしろい誤解をしてくれたよね。……ま、過程はどうであれ、あの子は僕を<運命の人>に選んだ。だからね、あの子の相手は僕なんだよ。他の候補の二人でも――もちろん、君でもなくってね」
「……っ!」
ぎり、と唇を噛んだクラムの腕を払ったリオは、黙り込んだクラムをつまらなそうに見やる。気に入らない点はいくつもあるが、リオの言った言葉は鋭く真実を突いていた。少なくとも、『護衛』でしかないクラムでは反論のしようもない。
「さて、話が済んだなら、僕はもう戻るよ。お嬢様をほっとけないし」
しばらくそうして居たリオは、立ち尽くすだけのクラムを構うのが退屈になったのか、やがてくるりと背を向けた。
「君、馬に乗って来たよね? 僕らの乗ってきた奴はお嬢様が使っちゃっただろうから、君のを借りるよ。僕と二人乗りは嫌だろう?」
「――待て」
「え? なに? 二人乗りするの?」
「あいつの部屋に忍び込んだとき、薬を使っただろう。あれ、どこから手に入れた。やばい奴らとつながってるんじゃないだろうな」
からかうような言葉を無視して、問いかける。リオの声などもう聞きたくもなかったが、これだけは確認しておかなければならない。
「――よく気付いたね? あれはほとんど形跡も残らないのに」
驚いたように目を丸くしたリオはしかし、少しの間の後、何かに思い至ったように目を細め、眦を鋭くしてクラムを見つめた。探るような目に居心地の悪さを感じ始めたとき、リオは一転して明るい声を出した。
「――……まあ、いいか、そんなこと。今は関係ないもんね。浮気はよくない、よくない」
肩を竦め、自分に言い聞かせるように呟いたリオは、再びクラムを向き直り、にっこりと人懐こい笑みを浮かべた。
「あの薬はちょっとした貴族のたしなみだよ。最近はやってるんだ。アディルセン卿だって持ってるんじゃないかな? 護身用にも使えるし、もちろん表立っては誰も言わないけど、火遊びにだって使えるしね。僕も、そう――兄にもらっただけさ。興味があるなら、君にもわけてあげようか?」
言い残し、くるりと背を向けたリオは、ひらひらと手を振って今度こそ立ち去った。
残されたクラムは、心に反して穏やかに光る湖面に向かい、吐き捨てるように呟く。
「……ほんっと、かわいくねぇ」
昔はあれでも少しはかわいげがあったというのに、今やその片鱗も伺えない。
(それとも、それは俺の問題なのか。……そうなのかもな。どんな奴だろうと、俺があいつの<運命の人>にむかつかないなんてことはありえない)
そんなはずはない、疑いたくは無い。
そう思いながらも、<運命の人>が危険な<侵入者>であるという疑惑を捨て切れなかったのもきっと、クラムがアミーリアに抱く気持ちが原因なのだろう。アミーリアの望むまま、彼女が夢見る恋をして、幸せになってほしい。そう願う気持ちは嘘ではないが、それでもやはり、どこかでクラムは思っていたのだ。幸せになってほしい、ではない。自分の手でもって彼女を幸せにしたいのだ、と。
至った思考に、クラムは自嘲の笑みを浮かべた。
(本当に未練がましい男だな、俺は。……結局、アミーリアはリオを選んだ。リオは危険な<侵入者>じゃなかった。それなら、俺にできることはもう何もない。ここに来たのも、完全に無駄だったな)
万が一の可能性を考え、リオが部屋を出た隙を見計らって彼の居室を検めていたクラムは、今日に限って早起きしたらしいアミーリアの不在に気付くのが遅れた。不安そうなエフィに教えられ、急いで馬を駆ってこの庭園を訪れたクラムが二人を見つけ出したのがちょうど、あのタイミングだったのだ。
怯えるように身を竦ませて目を閉じていたアミーリアを見て、無理強いされているのかと頭に血が上り、何を考える前に制止の声を上げてしまったわけだが――つまりはリオの言った通り、完全に、いいところで邪魔をしてしまったのだろう。
(なんかまたよくわかんねぇ癇癪起こしてたけど、つまりはそれで怒ってたのか、あのお姫様は。我ながら、見事な空回りっぷりだな)
手近な木の幹にもたれ、能天気にきらめく湖面に向かったクラムは、何とも言えない苦い気持ちでため息を吐いた。