7 彼らの恋
テラスへと戻る途中、アミーリアは道の脇に、とっくに戻っていると思ったキャロルの後ろ姿を見つけた。ドレスの裾に土につくのにも構わずうずくまり、「あらあらー、お母さんはどこ?」などと一人で喋っている様子からして具合が悪いわけではないのだろうが、何をしているのだろう。色々と思うところはあるが、彼女が変わった令嬢であることだけは確かなようだ。
「キャロル……何をしてるの?」
「あら、アミーリア様。追いつかれてしまいましたわね」
振り返るキャロルの手の中には、黒い小さな塊が乗っていた。もぞもぞと動いたそれは、やがて黒く光るくちばしを震わせて、ギョエ、とかわいくない声で鳴く。
「……カラスの雛ですね。最近やけに声がするとは思っていましたが、庭に巣があったのか。撤去しないとな」
後ろから雛を覗き込んだクラムは、たちまち面倒そうな声を出した。
「あら、だめですわ、クラムさん。かわいそうです」
「いえ、でも、カラスは縁起もよくないですし、何よりけっこう凶暴なので。かくいうお嬢様も昔、領地でカラスに頭を蹴られたうえ糞を」
「余計なことは言わなくていいのよ、クラム! ……でも、この子、どうしたの?」
「巣から落ちて、戻れなくなったようですの。そろそろ巣立ちの時期ですものね。怪我はしてないみたいなので、巣に戻してあげたいのですけど――」
「キャロル、アミーリア殿。こちらにいらしたのですか」
キャロルの言葉をさえぎって、テラスの方向からジェラルドが現れた。
思わず構えたアミーリアとは裏腹に、当のキャロルはのんびりと思い人を仰ぎ見る。
「あら、ジェラルド。待っていてって言ったのに」
「いつまでも戻らなければ心配になるだろう。……アミーリア殿、どうなさいました? 私の顔になにか?」
「い、いえ、何でもないわ!」
キャロルの告白を聞いた後なので、どうにも意識してしまう。
慌てて否定するアミーリアを見て怪訝に首を傾げたジェラルドに、立ち上がったキャロルはふふふと笑いかけた。
「ジェラルドの顔が怖いのではなくて? あなたはいつも仏頂面だもの。アミーリア様は女の子なのだから、怖がらせてはだめよ?」
「あのな、キャロル、俺は元々こういう顔なだけだ。アミーリア殿も、それはわかっ――」
キャロルの隣に立つアミーリアを、ジェラルドは困ったように見やる。その声をかき消すように、ギャアギャアと喧しい鳴き声が辺りに響いた。
「……何だ、カラス? なぜ急に……?」
「――雛だ! キャロル様、雛を――」
クラムがキャロルの手の中の雛を見たのと、頭上を覆うように旋回していた大ガラスが、雛を――雛を手にしたキャロルを目がけて急降下してきたのは、ほとんど同時だった。
「キャロル!」
「――アミーリア!」
突如降りてきた黒い羽根に視界を覆われ、思わず目を閉じたアミーリアの腕を強く引いたのは、よく知った長い指だった。
「――っ……!」
腕を引かれた勢いのまま、背中から地面に倒れこむ。
やがて、ギャっという短い悲鳴と共に止んだ羽音に気付き、アミーリアはおそるおそる衝撃につむった目を開く。アミーリアを庇うように背を向けて立っていたのは、やはりクラムだった。足元には、殴って気絶させたのであろう大ガラスが二羽、くったりと伏している。
振り向いたクラムは、倒れたままのアミーリアを助け起こしながら言った。
「大丈夫か、アミーリア? 悪い、放り投げた」
「……平気よ、ありがとう。そうだわ、私より、キャロルは……!?」
雛を抱いていたのはキャロルだ。カラスに狙われたのはキャロルだろう。
はっと視線を上げたアミーリアはしかし、そこに見えた光景に目を丸くした。視線の先、雛を手にしたまま立ちすくむキャロルもまた、優しげな目を丸くして、ぱちぱちと瞬いている。やがてキャロルの視線はゆっくりと、自分のことを守るように抱きしめる腕の持ち主に向けられた。
「ジェラルド……?」
「……っ!?」
とっさに体が動いたのだろう。
不思議そうに名前を呼ばれたジェラルドは、そこで初めて自分の行動に気付いたように、慌ててキャロルの体を離した。その頬は不自然に赤い。
「あの、ジェラル……」
「ア、アミーリア殿、ご無事ですか!?」
「ジェラ……」
「クラム殿も、見事な身のこなしでした。感服します」
「ジェ」
「カラスといえど油断はできませんね。そういえば、最近は市街地でも、カラスの増殖が問題に……」
「――ジェラルド!」
「…………何だ」
叫ぶように呼ばれ、ジェラルドは観念したようにキャロルへと顔を向けた。
気まずげに視線をさまよわせるジェラルドをまっすぐ見つめたキャロルは、泣きそうに瞳を潤ませた後、優しげな目元をふわりと和ませ、とても綺麗に微笑んだ。
「……助けてくれて、ありがとう」
「……いや……」
告げられた言葉と、そしておそらくその表情に、ジェラルドはますます顔を赤くした。
そんな二人をぽかんと眺めていたアミーリアはやがて、はあ、と大きく肩を落として息をついた。気付いていた。キャロルの告白を聞いた時から、いや、キャロルが館に現れた時からすでに、うすうす感付いてはいたが――これはもう、完全に。
(完全に、私が邪魔者になってる感じだわ……!)
がっくりとうなだれるアミーリアに気付いたのか、クラムが哀れむようにぽん、と肩を叩いてきた。それをきっと睨みつけ、アミーリアは大声で叫ぶ。
「――ああ、もう、わかったわよ! 私が折れればいいんでしょう!」
「アミーリア殿?」
「アミーリア様?」
同時にきょとんとアミーリアを見る二人に向けて、腰に手を当てて言い放つ。
「あのね、キャロル。私はやっぱり、何も言わずに諦めるのはおかしいと思うの。事情も都合もあるのはわかるけど、まずはやっぱり、自分の気持ちを一番大事にするべきだわ。うちの両親みたいに、わがままを通しても万事が丸く収まるかもしれないし、何事もやってみなくちゃわからないもの。それとジェラルド!」
「は、はい!?」
「あのね、さっき教えてもらったんだけれど――キャロルはどうやら好きな人がいるらしいわよ? 聞いてみたらどうかしら?」
「アミーリア様……!?」
アミーリアの剣幕に圧されたのか、びしりと背筋を正して返事をするジェラルドにそう告げると、顔を赤くしたキャロルが慌てた声を出した。それを見たジェラルドは、たちまち動揺を露にし、キャロルに詰め寄る。
「好きな人……とは、誰のことだ、キャロル? 俺の知ってる男か!?」
「え、ええと、あの……っ」
ジェラルドとアミーリアを交互に見つめ、困り切った顔でおろおろするキャロルの手の中で存在を主張するように、忘れ去られたカラスの雛がギャア、と大きく一声鳴いた。