4 二人目の候補
ユージンの部屋から戻ったアミーリアは、寝室に戻るなりベッドに倒れ込み、そのまま朝までぐっすり眠った。
翌朝、部屋に漂うスープの香りで目覚めたアミーリアは、言葉より先にくう、と胃を鳴らした。それを聞き、背中を向けて立ち働いていたエフィが笑いながら振り返る。
「おはようございます、お嬢様。昨日は大変だったみたいですねー。ドレスのまま死んだように眠ってるから、思わず呼吸を確認しちゃいましたー」
「そうだったかしら……。あれ、でも私、いま、着替えてるわよね?」
視界に入る自分の腕はきちんと白い夜着を纏っている。
きょとんと寝ぼけた目を瞬かせたアミーリアに、エフィはうふふと意味深に笑ってみせた。
「クラムちゃんと二人がかりでお着替えさせましたー。大変だったんですよ?」
「そう、それは悪かったわね――って……え? クラム!?」
とんでもないことを告げられ、ばさりと上掛けを跳ね上げて体を起こす。眠るレディの着替えをクラムとはいえ男に任せるなど、なんたることだ。
「ど、ど、どこからクラムに手伝わせたのよ……!? まさか脱がせるところからじゃないでしょうね!?」
あわあわと言い募るアミーリアに満足そうに笑みを深めたエフィは、立てた指を顎にあて、てへ、と首を傾けた。
「なんちゃってー、冗談でーす。正確には、手伝ってって頼んだけど断られちゃいました。まったく照れ屋なんですから、二人とも」
「…………」
「あ、でも大変だったのは本当ですよ? ドレスのまま寝るのは金輪際やめてくださいねー」
あくまで笑顔で言いながら、エフィは湯気の立つ朝食の乗った盆を差し出してきた。つまりはそれを怒っていたらしい。
「……気を付けるわ。それはそうと、クラムはどこ?」
不機嫌らしいエフィを刺激しないよう、大人しく渡された朝食に口をつけながら質問する。ずいぶん眠ってしまったようで、壁の時計はもう正午に近い時刻を示していた。クラムも疲れてはいただろうが、さすがにもう起きているだろう。
「クラムちゃんは時間稼ぎをしています。だからお嬢様、ちゃっちゃと食べて、お着替えしてくださいねー」
「……時間稼ぎ?」
「ジェラルド様がお嬢様をお待ちなんですよー。今日はジェラルド様の番でしょう?」
「――あのね、エフィ、そういうことはふつう最初に言うものよ!?」
にこにこと落ち着き払って微笑むエフィにそう怒鳴ったアミーリアは、大慌てで残りの朝食を口に運んだ。
いつもの半分の時間で身支度を終えたアミーリアが足早にテラスに向かうと、円卓に向かい合って座ったクラムとジェラルドが、何やら熱心に話しているのが見えた。
(あんまり気が合いそうにない二人だけど、盛り上がってるみたいね……。何を話してるのかしら?)
疑問に思ったアミーリアは、近くの木の影で足を止め、二人の会話にこっそり耳を傾ける。立ち聞きなんてはしたないとは思うが、好奇心が勝ったのだ。
(私の話、とかはしてないかしら……? ジェラルドは真面目だけど、男の人同士なら、そんなことを話したりするかもしれないわよね)
わくわくと様子をうかがうアミーリアの耳に、普段の気だるげな態度をすっかりひそめたクラムの、明朗な声が届く。
「――では、ジェラルド様は貴人の護衛を主な任務とされているのですね」
「ええ。五十年前の大陸戦争以来、国家間の争いは絶えましたが、それに代わるように盗賊が数を増やしていますから。通常、盗賊は追手のかかりづらい旅人や商隊などを狙うものですが、中には『火と棘』のように貴族を主な獲物としている傍若無人な輩もいます。護衛の手はいくらあっても足りません」
聞こえた単語に、どきりと胸が鳴る。『火と棘』は、かつてアミーリアを攫った盗賊団だ。どうやら彼らは、立ち聞きして楽しい話をしているわけではないらしい。
(でも、なんだか真剣だし、割り込みづらいわ……)
すっかり出るタイミングを失い困り果てたアミーリアをよそに、二人は話を続ける。
「『火と棘』ですか……。奴らの勢力範囲は大陸全土に及んでいるそうですからね。逃げ道も多岐にわたっていてなかなか尻尾も掴ませず、さしもの騎士団も手を焼いているようだと、主からも聞き及んでおります」
「盗賊には珍しく、滅多なことでは殺しも行わない営利主義に徹した集団です。略奪だけでなく、詐欺や斡旋まがいのことにも手を出しているし、引き際もいい。盗賊団というよりは、犯罪組織のような連中です。――そういえば、アミーリア殿もかつて、奴らに攫われたことがあるそうですね」
唐突に出された自分の名に、アミーリアは思わずびくりと背筋を伸ばす。居なくなったアミーリアの捜索は父の私兵で行っていたはずだし、結局は未遂に終わったこともあり、怖がるアミーリアを思いやったエルバートは、下手に捜査の手を広げ騒ぎを大きくするよりはと事態の鎮静化を図ったはずだ。なのに、どうしてジェラルドが知っているのだろうか。
「よくご存知ですね? 大事には至らなかったので、公にはしていないと思いましたが」
クラムも同じことを思ったらしい。
はきはきとした口調は崩さず、眉だけをかすかにひそめた彼の問いに、ジェラルドはこう答えた。
「攫われたアミーリア殿が王都のアディルセン卿のもとに戻られたとき、父もその場に居合わせたのです。幼いアミーリア殿を助けたのは、当時の私と同じ年頃の少年だったらしく、感銘を受けた父は、勇気ある少年だ、騎士団の門戸を叩く気はないだろうか、と私に言って聞かせたものでした。卿はすぐにご息女を領地に帰してしまい、少年の話もそれきり聞くことはありませんでしたが――ここへ来てわかりました。その少年があなたなのですね」
「……運よく逃げおおせただけですよ。何にせよ、幼かったお嬢様がこうして婿を迎える年になるほどには、昔の話です」
気まずげに視線を落としたクラムに、ジェラルドは更に問いかける。
「クラム殿は、この『婿選び』が終了し、アミーリア殿の婚約者が決まった後は、どうされるつもりなのですか?」
意外な質問に、アミーリアは目を丸くした。どうするもこうするも、クラムはアミーリアの護衛だ。婿が決まろうと結婚しようと、それは別に変わらないだろう。
驚くアミーリアとは裏腹に、質問を投げられたクラムは「そうですね」と静かに答えた。落ち着き払ったその声に、アミーリアは更に目を見開いて、見慣れぬ表情を浮かべるクラムを木陰から見つめる。
「貴人の護衛には、ジェラルド様のように騎士位を持つ方があたるのが本来です。主はまあ、なにかと突飛な方なので、身の証もない私をお嬢様の護衛にと雇い入れてくれましたが――婿となる方が決まれば、そうも言っていられないでしょうからね。若い男が始終そばに控えていれば、悪い噂も立つでしょうから」
それが当然のように、クラムは笑う。
「まあ、領地の警備の手が足りていないとぼやいていたのも聞きましたので、無事に『婿選び』が終わった際にはそちらに売り込んでみようかと――」
「――だめよ、そんなの!」
隠れていたことも忘れ、アミーリアは大声で叫んだ。
ジェラルドとクラムがぎょっとしたようにこちらを振り返る。
「おま……っ、いえ、お嬢様。どうしてそんな所に隠れてらっしゃるんですか」
「護衛をやめるなんて、そんなの許さないわ。絶対にだめよ」
問いを無視して言い募れば、立ち聞きを悟ったらしいクラムは椅子を立ち、アミーリアに向き合った。咎めるように眉をひそめて息を吐く。
「――お嬢様。立ち聞きなんて、レディにあるまじきはしたない行動ですよ。もう子供じゃないんですから、慎みを持ってください」
「何よ、いつもはお姫様お姫様って子供扱いするくせに! こんな時ばっかり子供じゃないとか言わないで!」
「お嬢さ……」
「お嬢様とも呼ばないで! あなたが私を呼ぶのは、そんな風じゃないでしょう!?」
言い放ち、肩で息をしながら、驚いた顔をするクラムをきっと睨みつける。
だが、クラムはふっと息を吐き、肩を落とすと、静かな目でアミーリアを見てこう言った。
「落ち着いてください、お嬢様。ジェラルド様に失礼でしょう」
「……ばかっ!」
頑なに態度を崩さないクラムに苛立ちのままそう叫ぶと、アミーリアはテラスに背を向けて、中庭から走り去った。
残されたクラムは、思わぬ速度で走り去った小さな背中を思わずぽかんと見送った。
(……何だ? いきなり何なんだ、あいつ?)
喜怒哀楽の主張が激しい性格なのは知っているが、アミーリアはあれでいて人目を気にする性質だ。身内だけならまだしも、<運命の人>候補であるジェラルドのいる前で、突然あんな癇癪を起こす理由がさっぱりわからない。
そこまで考え、クラムははっとジェラルドの存在を思い出した。
「あの……ジェラルド様……」
無言でアミーリアの去った前庭の方向を見つめるジェラルドに声をかけるが、取り繕う言葉がうまく浮かばない。そもそも怒った理由もわからないのだから当然だった。間をもたせるため、とりあえず頭を下げる。
「その、見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません」
「……いえ。アミーリア殿のお人柄が、少しわかった気がします」
言いながら、ジェラルドは静かに椅子から立ち上がる。
「――ジェラルド様? どちらへ?」
そのまま前庭へ向かって歩みを進めるジェラルドに問いかけると、彼は当然のようにこう答えた。
「追いかけます。怒った女性をそのままにしておくと、後々こじれることになりますので。では、失礼します」
「…………はあ……?」
遠ざかるジェラルドの背中を、クラムはやはり、ぽかんと見送ることしかできなかった。