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私はあなたのお姫様!  作者:
3章
11/29

3 第一の結果

「本当に……申し訳ありません……!」

 テーブルに額がつくほどに、ユージンは深く頭を下げた。

「いえ……いいのよ……なんだかちょっと体が痛くて頭がくらくらするけど大丈夫だから、顔を上げてちょうだい、ユージン」

 ぐったりと椅子にもたれたアミーリアに力ない声で言われてやっと、ユージンは絵を描き終えてからこちら、下げっぱなしだった頭を上げた。眉尻を下げ、途方に暮れたような顔をしたユージンは、それでも憔悴したアミーリアを気遣わしげな視線で見ている。その様子は、絵を描いていた彼とはまるで別人だ。

 そう思ったアミーリアの心を見透かしたように、水出しの紅茶をグラスに注ぎ、どうぞ、と差し出しながら、ユージンは口を開いた。

「……ご覧になった通り、僕は絵を描き始めると周りが一切見えなくなるんです。貴族としての立場も振る舞いも、白いキャンバスに向かうと全て吹き飛んで、どうでもいいことのように思えてしまう。そのせいで、何度もこんな風に失敗しました。とんだ悪癖と、家族にもいつも言われています」

「そうだったの……」

 絵を描いて、と頼んだ際、妙に渋っていたユージンを思い出す。絵を描くことを隠したがっていたことや、後ろめたく思っている風だったことも。そられは全て、自分の性質を自覚しているからこその言動だったのだろう。

「絵筆を取るのを止めようと思ったことも幾度もあります。でも駄目なんです。描いていないと落ち着かない。逆に絵のことばかり考えて気もそぞろになって、結局は失敗してしまう。……今回こそはその悪癖を出してくれるなと父にきつく言われていたのに、あなたにも迷惑をかけてしまった。本当に申し訳ありません。クラムさんも、ご迷惑をおかけしました」

「は? 俺? ……ですか?」

 テーブルに向かい合うアミーリアとユージンとは別に、クラムは先ほどアミーリアが座っていた長椅子に、一人でだらしなく足を組んで腰掛けていた。

 部屋に訪れた際に拾い集めたユージンの絵を眺めていたらしいクラムは、突然名前を出され、驚いたように顔を上げて姿勢を正す。

「ええ。僕の道楽に長々とつき合わせてしまって」

「道楽――なんですか? 本当に?」

 いつものように皮肉を言うのではないかとはらはらするアミーリアだったが、クラムは神妙な顔で詫びるユージンに肩を竦め、めずらしく素直に笑ってみせた。

「絵を描いてる最中のあなたは、まあ、正直おっかなかったですけど、生き生きしてましたよ。この絵のお姫様とおんなじにね」

 目を丸くするユージンにそう言って、クラムは手にした絵から一枚を選び、こちらに向ける。そこには、いつの間に描いたものやら、はにかむように、けれど嬉しそうに笑うアミーリアが描かれていた。髪飾りから察するに、どうやらこれは初日に描かれたものだ。

 つられたように椅子を立ち、クラムの横に座りなおしたアミーリアは、彼の持つスケッチの束を受け取って捲り始める。そこには、ユージンが屋敷を訪れてから目にしただろう様々なもの――はしゃいだ様子のアミーリアや太陽を浴びて繁る庭園の木々、すました顔のリオ、茶を飲むジェラルドや給仕をするエフィの後姿、仏頂面で木陰に佇むクラムなど――が、息づくように描かれていた。

「ユージン――今描いてもらった絵も、見せてもらっていいかしら?」

「え、ええ……どうぞ」

 イーゼルに立てかけたままだった絵を外したユージンは、それをアミーリアの元まで運んでくれた。手渡された、スケッチよりニ回りは大きなその絵に、アミーリアはしばし見とれる。しばらくの間の後、一緒に絵を覗き込んでいたクラムに向けて言った。

「……私、こんなにかっこいいクラムを見たの、初めてだわ?」

「こんなに女らしいお姫様を見たのは初めてですよ、俺も」

「あ、あの……?」

 憎まれ口を言いかわす二人を見て、遠慮がちにユージンが口を開いた。それを無視して問いかける。

「ね、ユージン。ひとつ質問していいかしら。答えたくなかったら構わないんだけど――あなた、もし貴族じゃなかったら、何になりたかった?」

「……っ!」

 はっとしたように目をみはったユージンに、彼の答えを悟ったアミーリアは、うん、と大きく頷いた。彼の心は『婿選び』にも、アミーリアにも向いていない。彼の目指すものは、きっとこの絵の先にある。それがわかってしまったからだ。

「私、この絵を屋敷の広間に飾るわね。作者を聞かれたら、あなたの名前を答えていいかしら?」

 訊ねると、ユージンは不思議そうに瞬いた。やがて困ったように眉尻を下げた彼は、それでも少しの間の後に、照れたような笑顔で小さく頷いてくれた。


□□□

 顔にあざを作ったユージンの見送りを丁寧に断り、部屋を出る。

 そのまましばらく無言で廊下を歩いたアミーリアは、上階へ続く階段の踊場で足を止めた。倣って足を止めたクラムをくるりと振り返り、不機嫌そうに腰に手を当てる。

「クラム、あなた、最後にユージンに足をかけたの、わざとでしょう。どうしてそういうことをするのよ」

「……半日も飲まず食わずで拘束されたんだ、ちょっとくらい仕返ししたってバチは当たらないだろ? あんなに見事にひっくり返るとは思わなかったけどさ」

 口角を上げて笑って見せれば、アミーリアはますます不機嫌そうに眦を吊り上げてこちらを睨みつけてくる。

 部屋を辞去する寸前、たしかにクラムは長椅子から立ち上がるふりをして、扉へ先導しようとするユージンに足払いをかけた。突然宙に浮いた体にきょとんと目を丸くしたユージンは、一瞬後、ものの見事にバランスを崩し、顔面から床に激突した。転ぶにしろ受身くらいは取るだろうと高を括っていただけに、クラム自身も驚いた。下手人であるクラムが慌てて助け起こしてしまうほど、それは見事な転びっぷりだったのだ。

「まったく、いじわるなんだから……。 あんなに格好よく描いてくれたんだから、ちょっと疲れたことくらい大目に見なさいよ!」

「お姫様はだいぶ美化してあったけど、俺は別に普段からあれくらい格好いいし。恩に着る必要はないだろ」

「何よそれ! 大体、お姫様って呼ばないでって言ってあったでしょ!? 思いっきり普通に呼んでたじゃないの!」

「はいはい、どーもすみません」

「誠意が感じられないわ……!」

「悪かったよ、怒るなって。――で、アミーリア。つまるところ、ユージンは<運命の人>じゃなかったってことでいいんだな?」

 問えば、アミーリアは神妙な顔で「そうね」と頷いた。

「ユージンはいい人だし、絵を描いてるときは怖かったけど、でも格好よかったし。もしかしたらって思ったりもしたけど……彼は絵のことしか見てないもの。私に恋焦がれてるって言った<運命の人>ではないと思うわ。残念だけどね」

「……そうか」

 クラムも同じ結論だった。

 ユージンの人となりはこの半日で大方つかめた。演技をしている様子はないし、部屋に怪しいものも無かった。もちろん、あの甘い匂いもない。

(それになんたって、あの転びっぷりは見事だったもんな……。演技であれが出来たらすごいだろ)

 とっさの行動には本質が出る。<侵入者>は三階のアミーリアの部屋に木を伝って忍び込んでいる上、足場を失ってなお怪我もしていない。それなりの瞬発力は持ち合わせているはずだった。――<侵入者>が『火と棘』の関係者ならば、なおさらだ。なんにせよ、受身のひとつも取れないユージンは容疑者から外していいだろう。

 そう結論付け、知らず落としていた視線を上げたクラムは、アミーリアが未だ自分を見つめていることに気が付いた。まだ何か怒っているのかと怪訝な顔をしたクラムに、アミーリアは予想外のことを尋ねた。

「クラムはやっぱり、『婿選び』が気に入らないの?」

「……は?」

 思わず間抜けな声が出る。

 首を傾げるクラムに、アミーリアは焦れたように言葉を重ねた。

「さっきの……スケッチの方のユージンの絵よ。クラム、なんだかすごく不機嫌な顔してたわ。父様から最初に話を聞いた時も反対してたし……。こうして<運命の人>の人を探すのも、本当は嫌なの? 普通のお見合いで、さっさと結婚すればいいのにって思ってる?」

 気丈に吊った目尻に反し、アミーリアの緑の瞳は不安げに揺れていた。見当違いの心配に、クラムは呆れ混じりに大きく息をつく。

「……俺はお姫様の護衛ですからね。ばかばかしいとは思うし実際はた迷惑だし面倒くせぇとも思ってるけど、それでもお前の望みをないがしろにはしない。最後までちゃんと付き合ってやるから、心配すんなよ」

「いたっ」

 寄せた眉間を指ではじくと、アミーリアはますます眉をしかめてこちらを睨みつけてきた。

「……もう、何するのよ! 痛いじゃないの!」

 照れ隠しのように腕を振り上げるアミーリアを軽くあしらいながら、クラムはもう一度、微かなため息をそっともらした。

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