出張神の名の下に ~闘いは、暇つぶしから始まった~
自己紹介、幸路ことはです。このたびクロワッサンさんの企画に参加させてもらいました。
詳しい色々は後ほど……。
繊細な日差しが弥生の体を温めている。ここは一年中春の陽気が続く異空間。そこにある屋敷の鍛練場で、彼女は毎朝の習慣である剣の鍛練をしていた。
日の出から間もない時間帯ともあり、空気は清々しく、弥生はその空気で肺を満たした。太陽の対極には、沈みかけの月が空にしがみついている。半月だった。弥生は体の筋をほぐし、剣を振る。体の裁きを確認し、感覚を研ぎ澄まさせる。剣は体の一部。かけがえのない戦友である。
弥生は全ての工程を終えると、ふっと息を吐いた。体に休みの合図を与え、剣の柄から手を離す。その瞬間に剣は光の粒子となって消滅し、弥生は踵を返して屋敷へと足を進めた。仲間が起きだす時間だ。
その時、目のはしに何か違うものが映り込んだ。無意識の内から違和感を伝え、胸にざわめきを与える。
弥生は弾かれたように上を見上げた。頭上には空が広がり、そこには雲、そして太陽が浮かんでいる。だが、その太陽が黒い。地面に光は届いているが、そこは穴が空いたように奥の見えない漆黒の闇だった。超常現象。その言葉がふさわしかった。
弥生はしばらくそれを無表情で見つめ、顔を元に戻して再び歩き始めた。
(太陽も、黒くなるのだな)
確かに太陽は欠け、一時とはいえ光を失うが、円を縁取るダイヤモンドリングもなく、それでいて地上に光が届くということはありえない。
(おもしろい現象だ)
常識を持ち合わせず、無知というものは恐ろしいもので、その異常を弥生は気にも留めない。弥生は自室へと帰り、ふと机にある手紙に気がついた。仲間の誰かが置いて行ったのだろう。その手紙は弥生宛となっており、裏の差出人は五十嵐天成となっていた。覚えのない名前に、首をひねりつつ弥生は封を切った。が、その瞬間、放出された光に弥生は手で目を覆った。
(ちっ、仕込みか!)
朝の誰もいない自室で、弥生の姿は光とともにかき消えた……。
「……何が起こった?」
弥生は目を開け、瞠目した。そこは自室ではない。品の良い絨毯はコンクリートとなり、白い壁はビル群と成り果てている。街のようであるが、弥生の記憶にこのような場所はない。
しかも街であるのに人の気配すらない。どれほど耳を澄ましても、鳥の鳴き声一つ聞こえない。完全に人工物で埋め尽くされた世界だ。視線を巡らし顔を正面へと戻すと、先ほどまで存在しなかった自然が目に飛び込んできて、身構える。
それは人だった。この静かな街のなかで、弥生の延長戦上に一人の人が立っていた。ただ突っ立って弥生の方を見ている。
(気配を感じられなかった)
現れたことを察知できなかったのが腹立たしく、歯噛みする。不意打ちをされていたらと思うとぞっとする。その手に剣を呼び出し、柄を握る手に力を込め、地面を踏みきった。
数歩で間合いを詰め、剣を振りかざす。金属音が、ビルの壁にぶつかり、反響を生む。
振り下ろしたそれは、いとも簡単に相手の得物で受け止められた。
弥生は反動を生かして距離を取る。
「いきなり何すんだ!」
抗議の声はくぐもっていて不明瞭。その低さから男だということが判明する。不明瞭なのは、彼が顔にマスクを付けていたからだ。背には三本の円柱を背負い、その一つから管がマスクへと繋がっている。その上、彼は両手に四メートルにも及ぶ金属の棒が握られていた。
それだけで、彼女にとって敵と判断するには事足りたのである。
「闘えということなのだろ? 貴様を倒せば、私は出られる。召喚され、目の前に敵がいるとなれば、それしかない」
突然襲撃を受けた彼は、戸惑うそぶりを見せた。彼も同じく突然呼び出され、不幸なことに攻撃対象となってしまったのだ。その上、襲撃者は事態を勝手に自己完結させ、刃を向けてくるのだからいたしかたない。
「普通は目の前の敵じゃなくて、黒幕を探すべきだろ」
男は抗議を続けながらも、ゆっくり防御の形に取っていた棒を攻撃の構えの位置につけた。弥生との間合いを取りながら、相手を見極める。
「そんなもの、貴様を倒せばおのずと出てくる。そういうものだ」
彼女の知識は昨夜友人と見た王道の異世界召喚系アニメから得たものであり、全てに共通するものではないのだが、そこまでアニメは教えてくれない。
「ちっ、仕方ない。俺はここで死ぬわけにはいかないからな。抵抗をさせてもらう。力加減が狂って殺すかもしれないけど、恨むなよ」
男の表情はマスクで隠れて見えないが、彼を取り巻く空気が変わった。静けさはますます針のような鋭さを増し、互いの闘志が空気を蝕んでいく。
「俺は鬼崎和成。何事にも礼儀は大事だろ?」
「それも道理だ。私は弥生。殺される相手を、よく覚えておけ」
一呼吸後、まず弥生が動いた。和成の左に回り込み、右下方から切り上げる。彼我の距離は四メートル。刃は届かない。が、弥生の刃は金属の棒との間で火花を散らした。
常人には目で追うことも出来ない弥生の速さに反応し、剣に自身の得物を合わせた。並はずれた動体視力と反射神経、そしてその力。
弥生は口元に笑みを刻んで、後ろへと跳躍する。右手には強い痺れがある。先ほどの受けられただけの衝撃ではなく、相手の力も加味された衝撃は、一瞬で肩口まで突き抜けていった。
「お前、人間ではないな」
「そりゃどうも。これでも九分の一は鬼だからな」
「ほう、鬼か。おもしろい」
弥生は剣に己の力を注いで再び特攻する。一足飛びで相手の間合いに入り、上段から振り下ろした。狙いは和成ではない、その武器だった。
四メートルの長さを誇る得物相手では、接近戦は不向き。それを始末しないことには、次に進まない。
またしても火花が散り、互いの力のぶつかり合いが周囲に風を巻き起こす。
弥生は強烈な重い当たりに、奥歯を噛みしめて耐えた。柄に左手を添え、両手でその重みを受け止める。相手の得物には傷一つ付いていなかった。
弥生は再び跳躍し、距離を取る。今ので武器を破壊することは不可能だと理解した。
弥生の剣は自身の力を具現化させたもので、力を込めるほど強度を増す。現在の刀身はダイヤモンドですら斬れる硬度を誇っていた。
「それは、なんだ。まともなものではないな」
「いちいち失礼だな。れっきとした金砕棒っていう武器だ」
「なるほど。鬼に金棒ということか」
弥生はますます楽しそうに声を弾まし、己の剣、月契の刃を爪で弾いた。澄んだ高い音が響く。
「いい敵に巡り合えたな、月契」
弥生は相手との距離を目算する。武器破壊不可能となると、この間合いでやるしかない。痺れが治まってきた右手を一瞥し、金砕棒を睨んだ。ダイヤモンドをしのぐ硬度の上、重さも十二分にある。それに彼の力が乗った攻撃をまともに受け止めれば、腕は確実に持っていかれる。
「次は、こちらから行かせてもらう」
和成は金砕棒を体に引きよせ、地面を踏みきった。風が巻き起こり、次の瞬間には弥生の鼻先に金砕棒の先があった。弥生はそれを、身をねじってかわし、和成の背後に回り込む。
和成は跳躍したまま地面に左手の金砕棒を突き刺し、それを軸に回転し弥生の剣を受け止めた。
(重さ、力……その上この速さ)
弥生は舌を巻く思いで二撃三撃と連続して斬りかかる。連撃の間、宙に浮いていた和成は重力に引かれ、地面へと吸い寄せられる。和成は金砕棒を薙ぎ払って弥生を振り払うと、地面から得物を抜いて足で地面を捉えた。そこに再び弥生が滑るように間合いを詰め、連撃を放つ。互いの刃は澄んだ音をビル反射させ、その音が消えないうちに新たな音を生み出した。音と音が重なりあい美しく響く。
(楽しい)
欲しい所に相手の得物が来る。強いという確かな感覚が、弥生の胸を高鳴らせた。
弥生が剣を身にひきよせ、突きを繰り出そうとした瞬間、目前に火の玉が迫った。顔をそらしてそれを回避する。
和成は火の玉に気を取られた弥生の隙をついて、剣を受ける金砕棒を滑らすと、手を返して握った手の下、金砕棒の余りの部分を突き出した。狙いは片口、その腕ごと使えなくするつもりだ。
弥生は身をそらせて避けようとするが間に合わず、金砕棒はその胸下を捉えた。
鈍い痛みが全身に広がり、その衝撃で吹き飛ばされる。痛みを堪え、空中で体を反転して地面に着地した。
(あばら骨を二三持っていかれたか)
弥生は損傷を確認すると、敵に目を向けた。手傷は負ったが、動きに支障が出るほどではない。
「火を使うとは……」
「鬼火だ。鬼は金棒だけと思うなよ?」
和成は周囲にいくつもの鬼火を発生させ、拳ほどの大きさのそれが、弥生の周囲を浮遊する。彼はそれらに背中にあるうちの一つのボンベの中身を吹きかけた。とたんに炎は勢いづき、焼くような熱気を放つ。どうやらボンベのうち一つはガソリンだったらしい。
一瞬動きを止めた鬼火は、一斉に弥生へと襲いかかった。
弥生はそれらを剣で振り払い、斬り捨てる。その間に、宙を浮く鬼火群は空気を焼いていった。空気から酸素が奪われ、濃度が低くなっていく。
それに弥生が気づいたのは、鬼火を十数個片づけたころだった。
(息が……!)
肺に届く空気は熱く、体は酸素を求める。鬼火へと向けて放った刃は空を切った。
「負けを認めろ。力押しでは俺には勝てない」
二人の距離は四メートル強。和成が一歩踏み出せば、容易に金砕棒を当てられる距離だ。
「誰が!」
弥生の掌から銀色の光球が現れ、爆発した。爆風が空気をかき乱し、酸素を招き入れる。
弥生は無数の光球を出現させ、鬼火と衝突させて相殺する。続く爆風が、弥生の髪を翻した。
「お前も人間じゃないのか」
和成は金砕棒を構え直していつでも踏み込める態勢を取った。
「私は魔術師だ。人間などと、同じにするな」
和成は鬼火を出すのを止め、金砕棒を振りかざした。それが自身に届くより早く弥生は宙に舞い上がり、細い棒上を走った。
長物相手では間合いに入るのが難しく、弥生の攻撃が全て防がれてしまうが、一度その間合いの奥まで入れば小回りが利かない分弥生が有利となる。
和成は弥生が金砕棒に着地するやいなや、振り下ろしていたそれを横へと薙ぎ払った。慣成の法則によって振り落とされそうになるが、弥生は重心を傾けてそれに耐える。
左に迫った金砕棒を跳躍して避け、上段に振りかざした。狙いは金砕棒の先にいる和成。
下から迫る金砕棒は刃を受けるように見せ、弥生はそれに足を合わせた。自身の力、覇動を足の裏に集中させ体への衝撃を緩和する。そしてその勢いを借りて和成の頭上へと舞いあがり、体を反転させ切っ先を敵に定めた。
振り切った左手の金砕棒は動かすことができず、右手の金砕棒も間に合わない。
彼は鋭く舌打ちをした。
弥生は口角を上げて剣を振り下ろす。風を切るその刃は、狙った場所に吸い込まれた。
鈍い金属音が和成の鼓膜を突き、背中がふいに軽くなる。視界が急に鮮明になり、足元で濁った音がした。
数呼吸の後、ボンベを壊されたのだと思い当った。おもしが無くなり軽くなった身体を、和成は弥生に向けた。追撃の可能性はない。彼女の狙いはこれだったのだから。
「なんだ。角も生えていないのか」
心底おもしろくなさそうに言われた言葉に、彼はその顔に不快さをにじませる。彼はまだ少年だった。 おそらく高校生ぐらいだろう。
「九分の一だと言っただろ」
鬼の血が混じるとは言っても、先祖が本当に角の生えた鬼だったかは分からないが。
「桃に滅ぼされた哀れな魔物の末裔を見たかったのだが」
「俺の先祖は代々人のために異形と闘ったいい鬼だ!」
鬼が桃に負けていてはたまらない。
「まぁいい。鬼退治と洒落込むのも悪くはない」
「退治されるのはそっちだろ」
両者同時に走りだした。並列で走り、数メートルごとに得物をぶつけ合い、火花を生みだす。
弥生は左手に光を集め、肥大させていく。バスケットボールほどになったそれを、覇動で放つ。単純に投げるものより数倍速いそれを少年は金砕棒を支えに、身体を宙に躍らせて回避した。それはビルに直撃し、ビルは爆発を受けて崩壊する。
それを横目で見た少年は口笛を吹きたい気分になった。
(人外もいいところじゃないか)
弥生は複数の玉を周囲に出現させ、一斉に放った。和成も鬼火で迎え撃つが、威力は弥生の方が上だった。
「偃月!」
弥生が和成へと手刀を払ってそう叫ぶと、無数の光の刃が現れ、それらは回転しながら和成に襲いかかった。
和成は急停止し、金砕棒を体の前でバトンのように回転させ、全ての刃を粉砕した。回転させたそれを弥生へと投げつけ、自身も突撃する。
弥生は投げつけられた金砕棒を体を沈めてかわし、突きだされた金砕棒に剣を合わせていなした。体を前に進め、両者が交差した。ゼロになった距離は再び開く。
「月影!」
ビルに刺さった金砕棒を抜いた和成に、弥生の手から放たれた光の縄が迫る。それは右の金砕棒に巻き付き、自由を奪った。もう一方のはしは弥生の左手首に巻きつけられ、しっかりと手で握られている。
「力は俺のほうが上だ!」
和成は金砕棒を振り上げ、かつおの一本釣りよろしく弥生ごと宙に浮かせる。
「空中に逃げ場はない!」
和成は落下する弥生に向け左の金砕棒を振り上げた。が、それが弥生を捉えるより早く、弥生の顔が和成に肉薄した。弥生は縄を収縮させ、一気に間合いを詰めたのだ。
和成は月影に絡まれた金砕棒から手を離し、腰から拳銃を引き抜いた。旧い大型の銃を弥生へ向け、腕のぶれを無にして引き金を引いた。
「遅い」
弥生は銃弾を見切るとその軌道に剣を割り込み、それを弾いた。発射された三発の弾丸を全て弾くと、喉元めがけて刺突を繰り出す。
和成は避けることは不可能と悟り、左手を返して短い方を弥生の剣の軌道に割りこませた。切っ先が和成の皮膚に触れたと同時に、その刀身に金砕棒が打ち込まれ軌道がそれる。
和成はそこからスナップを利かせて金砕棒の長い部分で弥生に横払いをかけた。長い得物を生かした二連撃。
弥生は身を低くして避け、低身のまま体を和成の右横に滑らせ、銃を持つ腕を狙って振り上げた。手ごたえはあった。腕一本飛ばせるほどの威力。
だが、弥生の視界が赤く染まることはなかった。
「くっ」
和成の顔は苦痛に歪み、手から銃が滑り落ちる。だがそれでも血は出ていない。
弥生はひとまず間合いを取って、己の剣に目をやる。斬った感触はあったが、血は付着していない。
(いってぇ。なんで血が出てねぇのに、使えないんだよ)
傷口が焼けるような痛み。それを感じることはできるのに傷はない。だが、その右手で得物を振るうことはもうできなかった。
「奇妙な世界だ。だが、その腕はもはや使い物にならんようだな」
傷は受けてもらわなければおもしろくない、と不遜な笑みを浮かべる弥生はさらに距離を取っていた。見ればその手には剣を握っていない。
(戦法を変えたか……遠距離で来る気か?)
両者の間は十メートルほど。和成は左手の金砕棒を体を守るように構えた。攻撃にも転じられる。和成ならこの距離を一足飛びで詰めることができるのだ。
「少し私の主義とは反するが、余興だ。存分に力を使わせてもらおう」
魔術師。その言葉が和成の脳裏をすがめる。普段戦う異形とは違う系統。種々多様な異形と闘ってきたが、魔術師と相対したことはない。マニュアルが欲しいところだ。
和成は警戒をして金砕棒を握る手に力を込めた。
「月花夢幻城」
弥生の体を銀の光が陽炎のように揺れながら包む。次の瞬間、それは四方八方に雲散した。閃光が迸り、目を開けた瞬間和成が見たものは群青色だった。道路が、ビルが、空が、全てが群青色に染まり、夜のようだ。そしてさらに異様なのが月。群青色の空には、燦々と輝く月がある。だがそのすぐ近くに黒い穴が空いている。いや、穴ではなく、その輪郭をうっすら光が包んでいる――新月、朔の月だ。
和成は空に浮かぶ二つの月を見上げていた。
(めちゃくちゃだ……)
「いい空だろ。美しい月だ」
弥生の能力は月に属し、月の満欠けの影響を受ける。半月を通常とすれば、月が満ちるに従って魔力が、欠けるに従って身体能力が向上する。
つまり、この月の状態は最強ということだ。
「破ってやるよ」
和成は新たに構築された世界を隈なく見る。
(こんな大規模なものが長く続くはずがない。どこかに、解くカギがある)
弥生は両手に光球を出現させた。テニスボールほどの大きさのそれを弥生は覇動で放つ。
和成は金砕棒を回転させ盾にしてそれらを弾く。弾いて速度の増したそれらはビルの壁を突き破り、ビルを粉砕した。先ほど放たれたものとは威力がケタ違いだ。
更地になったビル跡を見た和成は、背中に嫌な汗を感じる。
(これは、早くカタをつけないとまずいな)
弥生は腰につけたポーチから五百円玉ほどの青色と茶色の二つの小さな珠を取り出した。
魔術は自然の元素を織り合わせ、紡ぎ合わせて作り上げる。それぞれの属性の人が揃わなければ発動しないが、弥生が持っている珠は仲間の力を凝縮したものだ。これを媒体にすることで魔術を発動できるのだ。
「魔術を、見せてやろう」
和成は動きを封じようと先手を仕掛ける、一足跳びで間合いを詰めると、金砕棒を連続で繰り出す。一本となってもその速さは侮れない。当たればその部位は確実に死ぬ。
弥生は高まった身体能力でそれを交わし続け、呪文を唱える。
「水は氷となし、汚れなき刃となす」
弥生の掌から青色の球が消えた。その間も和成からの攻撃は続く。
「月光は清浄な光を宿し、鋭き刃となせ。」
薙ぎ払いを跳躍して避ける。
「咲き誇る花は吹雪となり、全ての花びらを刃に代えよ天を覆う無限の刃よ、敵を塵に変えよ。雪月花!」
突き出された金砕棒を弥生は半歩下がって避け、その手の平から茶色の珠が消えた。
和成は術の発動を察知すると、跳び退さって距離を取る。弥生が手刀を薙ぎ払うと、その軌跡から無数の刃が出現した。氷、花びら、光、全てが鋭利な輝きを持って和成に襲いかかる。天を覆うほどの数に、和成は舌打ちをした。
金砕棒では防ぎきれない。和成は鬼火を自身を取り巻くように出現させ、ドーム状に積み上げた。目の高さに空気穴はあるものの、ほんのお飾りだ。長時間に及べば内部の酸素が無くなって和成の身が危うい。
どこまで持つかと籠城を決め込んだ矢先に億の刃が降り注いだ。鬼火の盾が内部に突き出て変形していく。氷は溶け、花は灰となる。光もその威力を削がれ、中の和成までは届かない。
数分に及ぶ刃の雨。それが途絶えたことを確認すると、和成は鬼火を纏ったまま弥生へと滑るように間合いを詰めた。
そして纏った鬼火を全て弥生へとぶつける。それらをおとりに和成は弥生との距離を取った。目にも止まらない速さで群青色の世界を駆け抜けていく。
覇動で全ての鬼火を吹き飛ばした弥生はそれを追い、その背をめがけて光球を放つ。
避けられた光はことごとくビルを塵と変え、街を瓦礫の山へと変えていった。
和成は天上の月を見上げた。二つの月に変化はない。満欠けがあればそれが時間を表すことも考えられる。そこをつけばこの術を解除できるかと思ったのだが。
(あの光の球を弾けるってことは、これも何とか出来ると思うんだけど)
走って飛んでくる球を回避し続ける。一つでも当たれば即サヨナラだ。
和成は舌打ちをし、脇に立ち並ぶビルを見た。不愉快そうに眉をひそめる。後のビルはすでに形を成しておらず、すぐにこれらも瓦礫に変わる。和成は闘いの場に身は置くことも多いが、無差別な破壊には賛成できなかった。
弥生は近隣のビルをことごとく壊していた。和成の動きを止めるためならば、足元を狙うのが効率的だが、外れた球は全てビルへと向かっていく。
(なぜこんなに壊す必要が……ん?)
和成は走りながら、違和感を覚えた。違和感を覚えたのはビルのガラス。普通のガラスには、空に浮かぶ月が写っていた。
(なるほど)
和成は速度を上げ、攻撃の球が遠くなった辺りで足の踏ん張りを効かせて急停止した。体のひねりを加えて窓ガラスを打ち砕く。半月が映ったガラスを……。
その瞬間、群上色の世界はひび割れ、ガラスのように砕け散った。弥生は眼を見開き、短く舌打ちをする。
月花夢幻城の弱点は現実世界との交渉を完全に断ち切れないこと。水に、ガラスに映った月は現実世界との繋がり。それを壊されればこちらの世界は消滅する。
術の崩壊を確認すると、和成は踵を返して地面を踏みこみ、弥生へと迫った。長い金砕棒を上段に振り上げ、上半身をそらせ、弥生めがけて振り下ろす。
弥生はそれを受けようとするが、術が解けたことで身体能力が元に戻り頭の指示に体が付いていけない。かろうじて体をそらして金砕棒の軌道から逃れようとするが、それは弥生の左肩にめり込んだ。
「うっ!」
弥生は右へ転がって、すぐに身体を起こす。激痛が走る左腕は全く上げることができない。利き腕ではないが、片手で彼の攻撃を受けることは不可能だ。
「さすがは鬼か……」
じわじわと体力と魔力が削られていく。足にも疲労がたまって速度もいささか落ちている。その一方で和成は右腕が使えないものの、まだ余裕があった。
「魔術も大したことないな」
互いに会話を挟みながら、相手の次の一手を推測する。
「……次で、終わりだ」
弥生は再び右手に月契を召還し、使えない左の手の甲を突き刺した。血は出ないが痛みは走る。
「お前、何を!」
「月契。我が血を吸い、その力を解放せよ」
その瞬間、剣自身からすざまじい覇動が放たれ、刀身が血を吸い上げるように赤く染まった。そしてその形を変えていく。中剣の長さであったそれはさらに長く細くなり、柄頭からは鎖が伸び、その先に三日月の形をした刃がついていた。
「さぁ、終幕だ。存分に楽しめ月契」
すると、その声に答えるかのように三日月の刃が宙に浮いた。それ自体が意志を持っているかのように自在に動く。
弥生は上段に構え、腰を低く落とした。切っ先は真っ直ぐ和成に向け、突きの構えだ。三日月の刃も和成を狙っている。
和成も金砕棒の先を弥生に向け、集中力を高める。
勝負は一瞬。どちらの獲物がより早く敵の心臓を貫くか、その一点のみ。
「行くぞ!」
「受けて立つ!」
両者同時に踏み込んだ。弥生は速度が威力に直結する刺突を繰り出し、和成は振りかざした金砕棒を振り斬ると見せて、手頸を返して突きに転じた。手頸の筋肉だけでそれを投げ放つ。それは綺麗に弥生の心臓へと軌跡を描いていた。
だが和成の背後には三日月の刃が回り込み、その身を貫こうとしていた。迫りくる金砕棒と刃。どちらが先に貫くか。
金砕棒は弥生の心臓を捉え、刃は和成の心臓を捉えた。両者が互いの皮膚にその得物をかけ、勝利を確信した。
「終わりだ!」
「お前がな!」
弥生と和成、両者が壮絶な笑みを浮かべる。
だがその瞬間、両者は互いの視界から消えた。自分を映していた瞳が突如無くなる。
「何!?」
弥生は目を焼く光にとっさに瞼を閉じた。
しばらく身動きが取れず、目も開けられなかった。だがその耳に鳥の声が届き、カッと目を開けた。そこに彼はいない。
弥生の目に映るのは自分の部屋。その手には月契ではなく封筒を握っていた。
封筒を開けた時のままで、弥生は立っている。
自分は立ったまま寝ていたのかと、戸惑いを覚えた。だがその手にはまだ月契を握っていた感覚が残っている。潰された左腕もあばら骨も異常はない。全く朝と変わらないままだ。
意味が分からず放心している弥生に、天井から紙が降ってきた。人を弄ぶようにふわふわと降ってくるそれを弥生は掴むと、書かれている文字に目を通した。
引き分け。惜しかったね。最後の月契の解放は鬼気迫るものを感じたよ。スゴイスゴイ。
でも、四メートルの金棒相手に接近戦は無謀だね。魔術も常に剣術に頼っているから手数が少ないし、適当な威力なものもない。これからは魔術にも力を入れるように。連携の魔術より、単体の術を重点的にね。きっと役に立つから。
体力もいまいち。女性にしてはある方だけど、鬼に勝てないようじゃまだまだ。持久戦にも勝てるように鍛練すべし。これからもっと強い敵が出てくるからね。
最後に、暇つぶしに協力してくれてありがとう。なかなか楽しい闘いだったよ。でもね、鬼は桃なんかにはやられない。桃太郎さ。全く、そういうところはしっかり決めるべきだ。この後しっかり絵本を読み返すように。
では、またの参加お待ちしています。
五十嵐 天成
弥生は文面を読み終えると、それを手で握り潰した。ゆらりとその背中に闘志が立ち上る。
「五十嵐、天成……その名を覚えたぞ。全てのことに片が付き、全ての約束を果たした時……その首を取る」
弥生はフフフとわざとらしい低い笑い声を上げ、密かに彼の名を暗殺リストの最後尾に付け加えたのだった。
出張いたしました。巻き込まれました。いえ、喜々として闘いにいきました。
そこは主人公だろ。と思わなくもないのですが、普通の不良が勝てるか! って話です。それに近々闘うのは弥生さんですしね。
さて、今回の弥生さんは本編では披露していない術を使用しております。
雪月花はそのうち出てくるとは思います。いや、もしかしたらお蔵いりか? あの三人が共闘することはあるのだろうか……。
月花夢幻城も出てくるかな? これは使えそうですね。もともとこれは幻術である月花夢幻の進化版として作っていましたが、形を変えてのご登場。
日々考えというのは変わりますね……。
さて、レアは月契の解放です。
これは完全にお蔵入りとなっておりました。これの使用を考えていた闘いをカットしたので、おそらくもう日のめを見ることはないと思っていたのですが、ここで復活。よかった、こういう場があってよかった。
彼女の武器に関しては設定が多すぎて取捨選択が激しかったので没ネタも多いわけです。なのに術に関しては使えるものがない。これは早急に増やさなければいけませんね。剣術の描写の勉強もしなくては!
長々とあとがきを申し訳ありません。
これを読んでくださった皆様と、企画を立ち上げてくれたクロワッサンさん、そして闘ってくれた和成くん(ルーラルレジェントより)、ありがとうございました。