◆ななさんと午後のお茶
「お伺いしたいことがありまして」
静かに問いかければ、目の前のレヴィアン様は、少しだけふしぎそうに、けれどどこか嬉しそうに首を傾けました。
「珍しい。どうしましたか?」
愛らしいその仕草に、思わず緩む顔そのままに、にっこりと微笑んだ私は、けれど裏腹に、はっきりと問いかけました。
「レヴィアン様は、私がお好きですか? ――子を成したい、という意味で」
ぶふっ。
……紅茶がきれいに放物線をかくのを見られたのは、これが初めての体験でした。
あらあら、ルゥ、そんなに目を見開くと、おめめが零れ落ちますよ?
毎日の仕事の合間、午後のひと時はお茶の時間。緊急のことがない限り、これが習慣化して大分時間がたちました。
うららかな午後の光の中、ベランダのテーブルで美味しいお茶を頂きながらの、ひと時のことでした。
「え、いや、その。なにがどうしたのですか」
わたわたとその姿も愛らしい侍女さん達が片づけるのを思わず眼福とばかりに眺めておりましたらば、目を白黒させていたレヴィアン様は、やっと落ち着いたのか、しかしそれでもどこかしどろもどろに聞いてこられます。
こういうレヴィアンさまは、とても愛らしいと思うのですが、口には出しません。心の中でひっそりと愛でるのが正解でしょう。顔が緩むのは、しかたがないことですよね。
ごまかすわけではありませんが、僅かに首を傾けながら標準装備のうっすらと微笑みを浮かべ、静かに言葉を紡ぎます。
「ええ、先日、ジルさんに色々と世界のことを教えていただきましたの。それで、少しばかり気になりまして」
「気になられました、か」
少し困ったように眉を下げるレヴィアン様。あらあら、せっかく完全な人型でいらっしゃるのに、頭の上にへちょりと垂れた耳が見えてしまいそうです。……あら、そういえばボルゾイって元から垂れ耳だったかしら? そんなことを考えながらお茶をひとくち。ふわりとかおる芳香と奥に秘めた芳醇な味わいに頬が緩みます。美味しいお茶って幸せな気分にさせてくれますよね。おいしい紅茶がこの世界にあったことは、私にとって僥倖のひとつです。
ふう、と、ひとつ、満足の息をついて。それから、静かにレヴィアン様をみつめます。
「ええ。レヴィアン様は、どう思われているのか、そして、もしかしたら私になにかを求めておられるのか、知りたいと思いまして」
あくまでも、しっとりと、微笑みを絶やさずに言葉を紡ぎます。穏やかに、ゆるやかに、そうすれば会話はスムーズに進みます。これは無条件で体に覚えこんでいる癖、かもしれません。意外とこれでも、子供の頃より魑魅魍魎蔓延る世間では上流と言われた世界で鍛えられてきましたから。お陰様で、社会で生きていくのに不便がない程度には礼節を鍛えられたと思います。そこまで必要だったのかは別ですが。
――その世界から飛び出して、ごく平凡に、庶民的に最終的には生きてきたのですから、いまはもう、平凡な小娘に過ぎませんけれども。
微笑んだまま見つめる先で、むしろこちらが驚くほどの勢いで狼狽えるレヴィアン様。あらあら、お顔が赤くていらっしゃいますよ。そんなに愛らしいお顔をされますと、撫でて撫でて撫で倒したくなってしまうではないですか。お耳の付近とかわっしゃわっしゃしてしまいましてよ。思わず、ほう、と、吐息をひとつ。本当に罪なお方です、レヴィアン様は。
しばらく、おろおろとうろたえているような様子でいらっしゃったレヴィアン様ですが、やがて、何か期するものがあったのか、強く頷かれました。そして、そのままこちらを、まっすぐに見つめて、真剣な表情でおっしゃったのです。
「ナナ、あなたの子が欲しいです」
……。
笑顔のまま、あらまあ、と首をかしげてしまった私は、間違っていないと思います。
産むのは私だと思っていたのですが、こちらの世界では違うのでしょうか? それとも、ただの言い間違えでしょうか?
間違っては居られないのでしょうが、微妙に語感的に、困ってしまいますね。
そのまま首をかしげておりますと、はっ、と、気づいたように目を丸くしたレヴィアン様は、両手をバタバタとお振りになられました。
「ち、違うんです、違うんです。間違えました。訂正しますっ」
よかった、微妙にその言葉ですと、男性と女性の立ち位置が違うように受け取る事もできてしまって、困惑してしまったのです。
まあ、それでもよろしいのですけれど、世界的に何かこう、色々と仕組みが違うのかしら、と、思ってしまったものですから。
そして、数度咳払いしたレヴィアン様は、まっすぐに私を見つめなおし、そして、まっすぐにおっしゃったのです。
「ナナ、あなたとの子は愛らしいと私は思う。どうか、私の妻となってくださいませんか」
「ええ、喜んで」
「そうですよね、いきなりでは無理……ええっ?!」
しょんぼりとうなだれて言葉を紡いでいたレヴィアン様は、それはもう、こちらが驚くほどにのけぞって驚いて下さったのでした。
あら、侍女さんやルゥたちまで、同じ動きだなんて。皆さん、なかがよろしいのですね。
驚いたのもつかの間、レヴィアン様は、目をまんまるにしたまま、けれどどこか期待するような目でこちらを見つめております。
「ナナ、聞き間違いではないですね? 妻となってくださるのですね?」
念を押すようにおっしゃるレヴィアン様。しっかりと領主をなさっておられる方であるにも関わらず、こういうときにたまらなく愛らしいと感じさせるのは、彼の人柄でしょうか。素直というか、感情を隠さないところはとても好感がもてます。どこかほっとさせるその気質は、そのゆったりとした物腰と若さと相まって、私にとっては心地の良いものです。
もともと、独立したとはいえ、いつ連れ戻されて政略結婚を言い渡されていたかわからない身の上でもあります。時代錯誤がまかり通るあの世界での実家を思えば、ここはなんと幸せな場所でしょう。そして、少なくとも私に好感をもち、私を大事にしてくれるであろう方に嫁ぐことに、何をためらうことがあるでしょう。
そう、ここのみなさまは、私に居場所を作ってくださる。私がここにいていいのだと、いつもそう感じさせてくださるのです。
そして。そう。
おそらく、ですが。
レヴィアン様は、どこかでわかっておられるのでしょう。
落人という存在の、その立ち位置の不確かさを。そして――うちに抱える、不安の大きさを。
言葉にされたわけではありません。他の方がそのことを知っておられるのかどうかも、わかりません。
けれど、少なくとも、かの人はご存知で、けれど言葉で告げるのではなく、それを行動で示してくださる。
最大限の好意を私に伝えることで、不安をそっと、癒してくださっているのです。
ならば、何をためらうことがあるでしょうか。
「ええ、レヴィアン様。――喜んで」
こうして、私は、レヴィアン様と婚約することになったのでした。