◆ななさんと午後のお勉強
この世界は、獣人の支配する世界。
昔々、人と獣がいました。
人と獣は互いに境界を敷き、お互いの領土を侵すことなく、共存していました。
あるとき、獣族の中に、人型に転化できるものたちが生まれました。
彼らは最初、獣族の中で虐げられましたが、次第にその能力が優れている事実が認められ、やがてそれぞれの族の長やそれに順ずる立場へとつくようになってゆきました。
そこから、不思議なことが起きました。
人族は次第に数を減らし――やがて、どこかへと消えてしまったのです。
残されたのは、獣と、獣人のみ。
こうして、世界は、獣人の世界となったのです。
「その最初の獣人は、人と獣の間に生まれた、という説や、自然に変化したという説など伝説といわれるだけに、諸説存在します」
締めくくるようにそう告げたジルさんは、眼鏡の位置を指先でくぃ、となおすと、ここまでは大丈夫ですか? とこちらへ視線を向けました。
ひとつ頷いて、首を傾げます。
「人族は、消えてしまった、のですか?」
「諸説あり、はっきりとしたことはわかっていません。一説によると――」
そこで言葉を区切ったジルさんは、じっとこちらを見詰めます。
思わず首を傾げると――あ、また、背後に控えてるルゥがつられて首をかしげてます、かわいらしい――ひとつ咳払いをして、すっと眼鏡の位置を直して。
「別の世界に移った、とも、いわれています」
「別、の、世界」
「ええ。あくまでも一説であり、他にも人族のみに強い伝染病がはやったとか、生殖能力が低下したとか様々な説があるのですが、まぁ――数十年から百年程度に1度は落人が現れていたために、伝説・御伽噺としては一番みなに知られているのは『人族異世界移転説』でしょうか」
「あら……けれど、ここ数年は、頻繁に落人がこちらの世界に来てますわよね?」
ふっと思い浮かぶだけでも数名、ここしばらくに現れた同郷の子たちがいます。あったことのない子もいますけれど――。
ふぅ、と、ひとつ吐息を漏らし、ジルさんはこちらをじっとみつめます。
「ええ。ここしばらく、落人は増えてます。――はぐれ梟族に、これらについて研究しているものがいるらしいのですが、彼が言うには――」
一瞬、ためらうようにジルさんの視線が揺らぎます。
「――いうには?」
「ええ――現在、我らの世界では、完全に人に転化できるものの数が、昔に比べて減っています」
「と、いうと?」
「人に転化することはできるが、一部獣の特徴を残すもの、というのが、増えている、といった方がいいでしょうか――つまり、完全なる上位種とよべる存在が、減ってきているのです」
ジルさんは静かに続けます。
「その梟のいうことには、故に、何らかの力が働いて純粋な人族がこちらの世界に呼び寄せられているのではないか、と。――そして」
じっと見詰める視線。ふとずらせば、ライさんもルゥも、こちらをじっとみつめています。
どういうことでしょう。
「――力ある上位種ほど、純粋な人族に無条件で何故か惹かれてしまう、という法則があるのだとか。それを考え合わせると――落人は、その、」
と、そこでいい辛そうに口ごもるジルさん。
「つまり、子供をなすためにこちらに呼ばれている可能性がある。と?」
「っ、え、ええ。あくまで可能性であり、立証されていない理論に過ぎませんが」
「……なるほど」
ちらりと頭を過ぎる、数名の上位種の方々と、その彼らに愛される落人たち。
そこにあるのは確かに「愛」かもしれませんが――それ以上のなにか、が、そこにはあるのかもしれない、ということなのでしょう。
ふわり、と私は微笑みます。
はっと息を呑むジルさん。
「どんな形であれ、幸せであればそれでいいのですが――そうでしょう? ジルさん」
けれど、もし、その法則のせいで不幸になる仲間がでてしまうとしたら――。
そのときは、できることをできるだけ、することにしましょう。
視線を窓の外にむければ、青い青い空が、どこまでも美しく晴れ渡っていました。
――せっかく、美しい世界にきたのですもの。
みな、幸せであればいい、と、ただ、それだけ願うのみなのです。
あとで聞いた所によると、このときの私は無条件で頷いてしまうようなそんな気配をまとっていたとか。
――訓練師の勉強もしたことが、よかったのかもしれないなと思う、そんな午後。