24
それからは、とても、とても慌ただしくことが運びました。
すぐに出立を、というお姉さま方と、それを止めようとなさるマスター。そして、オロオロとする同僚のみなさま。す、すみません、なんかご迷惑をお掛けします! と思いながらも、やはりどうしても撤回する気持ちにはなれません。申し訳なさと気まずさから、視線を合わせることすら出来ず、うつむきお姉さま方に促されるまま、部屋に戻ります。とりあえずは最小限の荷物を――思えばすべてマスターからいただいたものなのですね――選び、ほとんどのものはそのままおいておくことにしました。お姉さま方が、あちらでお下がりをくださるとのことで、それに甘えることにします。べ、別に私が子供サイズとか、そういうわけではないんですけれども! ないとおもうんですけれどもっ。……お姉さま方の服じゃ、色々余るのはわかってますけれども。どこが、とか、そんなことは聞くだけ野暮ですよ! 野暮!
さて。
荷物を用意している間、私の周囲には数名のお姉さま方だけが居られました。部屋の入口にも数名いらっしゃって、中に入ってくるのを阻止しておられる様子。それにしても、他の残りのお姉さま方は? と、首をかしげると、気にしなくていいのよとにこやかに頭を撫でて下さいます。……気になるけど、気にしないことにします。あ、これが「気にしたら負け」ってやつですね! なんだか遠くから冷気が漂ってきてる気がするのは、向こうのお部屋の方に暗雲が垂れこめてるように見えるのはきっと、気のせいですね! うん、気のせい気のせいっ。というか、お姉さま、別に構わないといえば構わないのですが、撫でるのはデフォですかそうですか。微妙にお姉さま方の中での私の立ち位置がよく分かるような気がします。嫌じゃないんですけれど、いいんですけれども、うう、しくしく。
荷物を整えて、出立の準備ができた、と、言われ、お姉さま方に連れられて玄関へと向かいます。
ちらほらと見える同僚の皆様方の表情は、よくわかりません。なんとなく、目を合わせるのが怖い気がして――冷たい目を向けられるかもしれない、なんて思ってしまって――みることができませんでした。みなさま方も、ハッキリとこちらに声をかけることはなく、お仕事をされたり通りかかったりの様子ではあるので、私のことを来にしている余裕などないのかもしれませんが。
やがて廊下を通り過ぎたどり着いた玄関は、何度見ても豪奢で、大きなものでした。
この玄関をみるのは初めてではないけれど。ああ、ここまでしか、私はいままで来たことありませんでした。
――ああ、思えば、私、この屋敷から出るのは、初めてのことかもしれません。
初めてこの世界に来た日、この世界に落ちてきた日、マスターに出会い、このお屋敷に連れられてきて以来、私はこの屋敷から一歩も外に出ることはありませんでした。
部屋の中とちいさきものたちの部屋と、マスターの執務室と。ほとんどを私はその3つで過ごしてきました。
ああ、私は、何も知らないのです。この屋敷の中のこと以外、なにも。この世界のことも、この場所のことも、ここに住む人たちのことも、何もかも。何も、何も知らないのです。この世界の小さきものたちよりも、誰よりも、何も知らないのです。
改めてそんなふうに感じながら、玄関の前まで歩きます。
寂しい、という思いと。知らなかった自分が不甲斐ない、という思いと。足をすすめるたびに、まるで交互にそれらが湧き上がるような気がして、鼻がツンとします。でも。――いまは、これは、逃げかもしれないけれど、これが、精一杯なのです。
玄関前のホールには、人が集まっていました。
銀色の髪も美しい、けれどどこかくたびれた風情のマスター。どこかふてくされた様子でそっぽを向いているミルティちゃん、それに、同僚のみなさまと、最後にはお姉さまハーレムに囲まれたリオル様。みなが、そこに勢ぞろいしていました。
「遅かったな。さて、行くとするか」
感慨深い気持ちで彼らを見つつも、どこか後ろめたい気持ちの狭間で揺れていた私に、リオル様はあっさりとそう声をかけます。
思わず足がすくみます。外に出るのは初めてです。無言でうつむいてしまいます。ああもう、こんなのは嫌です。自分で決めたことのはずなのに。ふ、と顔を上げれば、何かを言いかけた風のミルティちゃんが、そのままの体制で固まっています。あれどうしたのでしょう。みれば、キニシナイのよとばかりに微笑むお姉さま。う。き、キニシナイ事にしますね。はい、と、とりあえず深呼吸。
私は、いまは、何も選べないのです。選べないのだから、いまはここを離れる方がよいのです。逃げるわけではありません。逃げるつもりはありません。戦略的撤退、ってやつですよ! ぐっ、と、内心、気合を入れ直すために拳を握りしめます。
そっと背中に手を当てて下さったお姉さまをみれば、大丈夫? というように視線を向けてくださいました。頷いて、足をすすめます。
一歩、二歩。マスターの前にたどり着くと、私は、この世界で習った、頑張って覚えた礼儀作法をすべて発揮する気持ちで、礼をします。
「――いままで、ありがとうございました。大変、お世話になりました」
この言葉の選び方が、正しいのかどうか、なんて、わかりません。けれど、いまの私にいえる言葉は、これしかなくて。
ゆっくりと顔を上げれば、何か苦しそうな表情のマスターが、こちらをみつめていて。
「――もう、戻らぬつもりか」
その声の響きが、あまりにも。
あまりにも、胸にいたくて。
何も言えなくなって、ただ、立ち尽くしていたのでした。
なた