いどがえる
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
空からものが降ってくる。
重力が働いている以上、起こる可能性は高いけれども、怖い現象のひとつだよね。
重いものが高いところから降ってきて、それに当たったならば大きなダメージを負う可能性が高い。
それでいて、普段の視界にはおさまらない頭上からの攻撃となると、たいていの人は反応に一拍を置かないといけない。そのわずかな時間が命取りとなることも。
すぐ生死にかかわるものとは限らない。しかし、これからの自分の生活を考えさせられる機会にはなるかもしれないな……。
私の以前の話なのだけど、聞いてみないか?
私の住んでいる地域は、狐の嫁入りがよくあった。
天候でいうなれば、天気雨のことを指す。空が晴れているのに、雨が降ってくる状態だ。
科学的には雨粒が地上に届く前に、雲がなくなってしまった状態とか、風で遠くから雨粒が運ばれてきたためとか、原因が分析されている。
でも、私の地元だとそれらにまじり、「いどがえる」が降ってくるかもしれないから、注意しろよ、といわれることがあった。
いどがえる、というとカエルの一種に思えるけれど、そうじゃないらしい。
井の中の蛙大海を知らず、ということわざがあることは知っての通りだが、その井戸の中の蛙にたとえた表現なのだとか。
実際、どのようなものなのかというと、私の体験したものだとこうだ。
あの日、電車の最寄り駅から改札をくぐってほどなく、私は天気雨に降られたんだ。
すでに時刻は夕方近く。空にはほんのり赤みがさしはじめている。夕焼けが見える中の天気雨とはめずらしいかもな、と家まで10分程度の道ということもあり、軽く見ていた私。
折りたたみがさは持っているが、使うまでもない。そう考えて、ぱらつく天気雨の中を早足で急ぎ出したのだけど。
ふと、首へ大きなぬめりを感じた。
べチャリと音が立つ。明らかに高いところから落ちてきた感触だが、手をやってもそれらしいものの気配はない。
気のせい、と片づけるにはあまりにも鮮明だった。家に帰ったら確かめるか、と先を急ぎかけたところで。
一瞬、目の前が灰色になった。
明らかに周囲の景色とは異なる視界。灰色8割、白いもや2割といったその世界は、フラッシュのように短く強く、こちらの脳裏に焼き付いたんだ。
しかも、足を運んでいる間、この光景が何度も瞬いた。本当にまばたきをしているような、わずかな時間だ。
それが、幾度目かの点滅でぐっと景色が変わった。
先ほど、自分が降りてきた駅。その改札に差し掛かっていたんだ。
景色を見られる時間も、わずかに伸びている。そいつは先ほどまで私が通り抜けたところにいたんだ。
そして、「またいだ」。
降車した他の人たちもいたが、彼らは改札口に切符やカードなど、しかるべきものを通したりかざしたりして外へ出ていくのに、この視界はそれをしない。
わずかに持ち上がって、改札を通過したのを見るに、またいだとしか思えなかった。しかもまわりの誰も、駅員さえも咎める様子はない。
――これは、いどがえるか?
そう察した私は、すぐ近くの電柱へ背中を預けると、先ほどのぬめりを感じた首の後ろ側を柱にこすりつける。そうして、すぐにその場を後にしたんだ。
案の定、それから例の奇妙な視界を見ることはなく、家へたどり着くことができた。
あのぬめりけは、いどがえるが放った間諜ともいうべき存在。形はさまざまにあるようだが、そのうちのひとつは先ほどのぬめりと、よく似た形態をとると教えられたことがあるんだ。
井の中の蛙は大海を知らない。だが、大海を知ろうとしたならどう動く?
大海を知らせてはならない、というのがご先祖さまの判断らしい。広い世界へ出ていくとなれば、その足跡がどのような功罪をもたらすか分からないからと。
ゆえに間諜は、私がああしたようにどこかしらへ身体をこすりつけて、まくのだ。
外界に知られるのを避ける。それもまた、向こうからすれば、こちらが井の中の蛙かもしれない。
進歩と危険、どちらを見るかは難しいものだ。




