第7話 机上の等高線、あるいは春の逃避行
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春休みのスタートを切った、広見公園歴史の旅。それから、6日後の朝。
春休み。その響きには、宿題の重圧と、それを上回る圧倒的な「自由」が混在している。
佐野悠希は、自室の机に向かっていた。春休みの宿題は一段落し、3年生の最初にやる学習の予習も一通りすんだ。
今の彼の主役は、大きく広げられた富士市の道路地図と、その傍らで淡い光を放つスマートフォンだ。
「……さて、次はどこへ行こうか」
独りごちて、悠希はスマホの画面をスワイプした。
平日の学校ではリュックの底に封印されているこのデバイスも、家では優秀な偵察機へと変わる。マップの航空写真モードに切り替えると、昨日まで歩いていた広見公園が、緑の塊となって画面に浮かび上がった。
「広見公園は、歴史を『掘る』旅だった。……次は、もう少し『季節』を追いかけてもいいかもしれないな」
画面の中で、ピンを立てたり消したりを繰り返す。
悠希の旅は、行き当たりばったりではない。等高線の混み具合を見て坂のきつさを予測し、ストリートビューで歩道の有無を確認する。それは、実戦に向けた兵站計画にも似た、静かな高揚感を伴う作業だった。
ふと、画面の端に「桜」の文字が躍るニュースの見出しが目に入った。
三月の終わり。富士山の麓にも、確実に春の使者が訪れている。
「桜、か……」
中学生男子が一人で花見、というのは、客観的に見れば少し浮いているかもしれない。けれど、悠希の考える「独旅」に、他人の視線というデータは含まれていない。
「……岩本山は、定番すぎるな。あそこは家族連れと、それこそ地域クラブの連中が群れてそうだ」
悠希は鼻を鳴らし、地図をさらに西へとずらした。
富士川を越え、さらにその先。先日の資料館で学んだ「渡船」の記憶が残る、川沿いのエリア。
「雁堤……。ここなら、桜並木と富士山がセットで見られるはずだ。それに、江戸時代の治水の歴史もセットで付いてくる。かぐや姫ミュージアムで見たことを確かめる良い機械になりそうだ。」
ただの花見で終わらせないのが、悠希のこだわりだ。
江戸時代、古郡親子が三代にわたって築き上げた巨大な堤防。暴れ川だった富士川を制御し、新田開発を可能にした、この街の礎とも言える場所。
「(……桜の下を歩きながら、その足元にある堤防の構造を観察する。……悪くない)」
悠希はスマホのメモアプリを立ち上げ、フリック入力で「雁堤・治水・古郡氏」と書き込んだ。先日の広見公園での「明治の近代化」に続き、今度は「江戸の土木技術」への挑戦だ。
ふと、画面から目を離し、窓の外を見た。
夕暮れ時の富士山が、紫色のシルエットになって空に溶け込んでいる。
「……そういえば、アイツはどこへ行くんだろうな」
脳裏をよぎったのは、渡辺結衣の顔だ。
「梅が咲いてるらしいよ」とドジを踏みながらも笑っていた彼女。統合前から知っている彼女は、いつもどこか浮世離れした目的地を口にする。
彼女のことだ、きっと今頃、どこかの無人駅で時間を潰しているか、美味しそうな団子屋を見つけてスマホで写真を撮りまくっているに違いない。
(……ま、僕には関係ないけどな。独旅は、独りだから価値があるんだ)
自分に言い聞かせるように、悠希は再び地図に目を落とした。
机の上には、飲みかけの冷めたほうじ茶。
悠希は、リュックのサイドポケットに入っている厚手のスポーツソックスを思い出した。あの足裏を支える確かな感触。
「雁堤までは、家からだとかなりの距離になる。……」
地図をなぞる指先が、見えない道を歩き出す。
途中、潤井川沿いの桜並木も通れるかもしれない。
新幹線の高架下をくぐる時の、あの独特の風の音も拾いたい。
創業期の製紙工場が、今も煙を上げている様子を遠くから眺めるのもいい。
悠希の頭の中では、すでに「時速四キロ」のシミュレーションが始まっていた。
スマホのバッテリー残量を確認し、モバイルバッテリーの充電を開始する。
自作の「散策メモ」には、新たに「古郡重高」という名前が刻まれた。
「……よし。ルートは固まった」
悠希はスマホを置き、背伸びをした。
二年生になる前の、本当に、最後の休息。
平日は、学校のルールに従い、まっすぐ帰り、自分を律してきた。
その反動が、この週末の計画に凝縮されている。
「文明開化の次は、江戸の知恵か。……忙しくなりそうだ」
悠希は少しだけ口角を上げた。
中一の三月。身体は少しずつ大きくなり、声はほんの少し低くなり、世界を見る眼鏡の解像度は上がっていく。
誰もいない静かな自室で、悠希は春の嵐のような期待感に包まれていた。
「……あ、でも雁堤って、結構広いんだよな。……おにぎりは二つじゃ足りないか?」
そんな、中学生らしい現実的な悩みをメモの隅に付け加え、悠希は椅子から立ち上がった。
明日は、今日よりも少しだけ早起きしよう。
まだ見ぬ桜と、その下に眠る石積みの堤防が、僕を待っている。
窓の外では、春の風が木々を揺らしていた。
佐野悠希の「机上の独旅」は、夜が深まるにつれて、より鮮明な色彩を帯びていった。
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