2 いぶし銀
アマゴを釣ろうと渓流沿いの山道を車で登っている時だった。水量も豊富で、魅力的な大岩に囲まれた淵を見つける。
「まぁ、ダメ元で釣ってみようか。」
車を路肩が拡張された場所に駐車して、ウエダーを身につけて釣り始めてみる。程なくマーカーに変化が出て、兎にも角にも釣れる事は釣れた。アブラハヤだが・・・
子供のころ、この魚はドロバエと地方名で呼ばれ、何の餌でも釣れる代表格だった。体表に滑りが多く食用には適さないが、子供が初めて釣るには比較的簡単に釣れる魚だ。渓流の外道オブ外道という有難みのない魚だ。
しばらく釣っていたが振り返ると、道路脇に車を止めて爺さんが一人見学していた。
「そこは、釣れんだろ」
かなり頑固そうな、厳つい顔の爺さんだ。
何を思ったのか、私に声を掛けてくれ
「わしが釣れるところを案内してやるから、車で後をついて来い」という。
この頃、私は同じ地区に住む爺さんと仲良くなり良く一緒に海釣りに出かけていたので、こういう年配の人との付き合いも悪くないと思い始めていたころだった。
まぁ、こんな殆ど車も往来しない山奥で私を騙しても何の得もないだろうと、私は思い爺さんを信じてついて行ってみることする。爺さんのジムニーは前を結構な勢いで走る。たぶん、この山の山林関係者かなにかで、この山を知り尽くした人なんだろう。私も、何度かこの山の林道は走っていたので、爺さんが行こうとしている方向に比較的釣りやすい小さな沢があることは知っていた。
それでも、道に積もった杉の葉を踏みしめて走るような、かなりの山道しかも一部は河原を走る。よい子は絶対、こんな知らない爺さんについて山奥に入っていくような真似はしちゃだめだよ、などと思いながらも、爺さんのジムニーを追っていく。そこまでは、行ったことは無かったが、爺さんの車は三差路になった場所の車が三台ほど駐車できそうな広場で止まった。
たぶん猟師たちがこの場所で獲物を解体しているんだろうと推測できる。その証拠に、広場の周りの木立の下には鹿の頭蓋骨が幾つも転がっていた。
このように書くと、鬱蒼とした気持ちの悪い場所のようだが、よく手入れされ間引きされた杉林を抜けた場所にある人の手がよく入った、日当たりのよい場所なので、それほど気持ちの悪い場所ではなく川も側にあるため熊さえでなければキャンプも出来そうな場所だった。
「仕掛けを見せてみろ」
爺さんは、車を降りると先ず最初に私にそう言った。
「餌はなんだ?」
「イクラです」
「フム、ライターを持っているか?」
私は、ポケットのライターを渡す。
爺さんは、ライターに火をつけ、鍼の結び目を焼いて釣り糸を溶かした。すぐさま、外掛け結びで結び直す。結び目を見れば大体のレベルがわかる。爺さんの巻いた結び目は、私の結んだものと比べると圧倒的に綺麗なのだ。そして、竿先の部分を外すと、短く切り提灯釣り仕掛けに変えた。
次に爺さんは地面に簡単な絵を描き始めた。
「これが日本列島とすると、今日は、高気圧がここにある」
「そうですね」
「アマゴは、高気圧がここと、ここにあるような気圧配置の時が一番いいんじゃ」
「そうなんですか?」
まさか、こんな山奥でアマゴを釣る気圧配置の講義が始まるとは思わなかった。仕掛けは無言で直したから経験値だけの釣り師かと思っていたのだが、天気図を描いての釣り理論を説明されるとは思わなかった。釣りには、天気は必ず付きまとう。勿論、大雨後で川が濁っているとき、海や湖沼でも水温が下がったとき、増水でかなりの量の真水が海に入ったときなどは、ダメだ。
それ以外にも、気圧配置でどの方向の風が吹く、気温や水温が上がるのか下がるのかなど。それ以外にも低気圧が近づくときは、魚が釣れやすいなどという、電線の下ではよく釣れるというのに近い都市伝説的なものまである。
「では、ついてこい」
私はウエダーを着て爺さんの後についていく。
「この沢でも釣れるが、この左の沢を釣り登ってみろ」
言われてみると、ほとんど水の流れのない、石ころだらけの沢である。
「アマゴはな、このくらいの水たまりになっても、増水するまで石の下でじっとしているから、こまめに水の残っているところを探して釣っていってみろ」
「そうなんですか?」
「ああ、結構でかいのが出るぞ。じゃぁ、マムシに気を付けてな」
「あっ・・・はい、ありがとうございました」
それだけ言うと爺さんは、車のほうに帰っていった。
一人になって、しばらく指定された沢を登って、私は不安になってきた。
「まさか、手の込んだ車荒らしじゃないだろうな」
私は、確認のために車に戻ってみる。爺さんがまだいたら、車に忘れ物をしたとか言い訳をすればいいや。戻ると爺さんのジムニーはもう無くなっていて、私の車は荒らされた形跡もなく、爺さんが本当に親切心で私にとっておきのポイントを案内して教えてくれたのだと確認した。
この不思議な経験を私は忘れることが出来ない。そして爺さんに教わった沢では、言われた通り大きなアマゴが五匹も釣れた。
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海に来ていた、あまりやったことのないサヨリを釣ってみたいと思ったからだ。
角の良さそうなポイントに、日焼けした細くて強面の爺さんが一人釣っていた。私は、隣で釣らせてもらいますと、その爺さんに挨拶して初めてに近いサヨリ釣りを始める。
ヒョイヒョイと爺さんは釣り上げていく。
うまいもんだな・・・
私ときたら、アタリで合わせても釣り逃がし、数匹は釣れたものの爺さんと比べると話にならない釣果である。二人無言で釣っていたが、爺さんが痺れを切らしたのか話しかけてきた。
「お前のエビ餌は大きすぎる、これを使ってみろ」
なにか怒っているのかと思うような、ぶっきら棒である。
爺さんは、自分の使っていた餌を、一握り分けてくれたのである。
「鍼も一番小さいのを使えよ」
「ありがとうございます。いいんですか?」
「ああ」
私は礼を言って、言われたとおり小さな鍼に変え、爺さんの餌を付けてやってみる。
一発で釣れた。
「そうだろ・・・」
「ですねぇ~」
「それじゃ、ワシは帰えるから、余った餌も置いといてやる」
「えぇ~!ありがとうございます」
私は、この二人の爺さんを忘れることが出来ない。
共通して言えるのは、話しかけるのもちょっと怖い強面の爺さんたちだったが、へっぽこ釣り師を見るに見かねて現地指導どころか、餌やポイントまで与えてくれた、シャイな人たちだった。
『いぶし銀』という言葉がある。
年月が経過した銀は、空気中の僅かな硫黄分と反応して硫化銀になり黒ずむそうだ。それがかえって渋みのある色合いを醸し出すという。
この爺さんたちのような、やさしい、いぶし銀に私は憧れる。




