第5話 そのさきへ
〈Ⅲ〉
それから。
町に巣食う邪悪を打ち破った英雄として、私たちは盛大な歓待を受けた。
宿泊費も食費もかからなかったけれど、絶えず話しかけられるものだから、今後のことについて相談する時間は殆どなかった。おしゃべり好きのアディユは、なんだか楽しそうだったけれど。
そして、翌日。町外れのレストランで食事をした。
「……あの、どうして僕を招いたんですか」
私とアディユの正面の席には、昨日の青年が座っていた。
「臣下と食事をすることくらい、別にあってもいいでしょう」
「は、はあ……その、昨日は、ありがとうございました」
「構いませんよ。あれは、いつからこの町に?」
「僕らが生まれるずっと前から、残骸として放置されていたんです。あれが使われた戦争は、だいぶ前の出来事ですから」
野草を塗した獣の肉を口に運んで、彼の話に耳を相槌を打つ。躊躇いがちに青年は続けた。
「おかしくなったのは、数年前に魔王軍が視察に来てからで。奴ら、兵器内部の魔力を回収しようとして、しくじったんです」
魔王。その名を聞いて、アディユの食指がほんの僅かに動きを止めた。
「そっか。災難、だったね」
「でも、二人のおかげでその脅威もなくなったんです。本当に、感謝してもしきれません」
青年が笑んだから、私は思案を止めにした。
「……ところで、ひとつ返すものが」
私は布に包んだ鋼鉄の剣を、テーブルの上に置いてみせる。それは先の戦闘の際、アディユがこちらに射たものだった。
「聞きましたよ。町民の避難を先導した人間の騎士が、我が弓兵に託したものだと」
青年が包みを解くと、柄に埋め込まれた碧玉が顔を覗かせた。竜の首を落として尚翳りのない鈍色の切っ先は、宝石の魔力によって絶えず研磨されているように見えた。
「兄貴が、これを?」
「そのようです。やはり、容易く射ていい代物ではないのでしょう?」
青年は首肯した。
「これは、博愛の剣。伝説に名高き大英雄が、最果ての巌に遺した剣です」
彼の言葉に、アディユは感嘆の声を漏らした。私の胸の内も騒ぎ立っていた。
「……あれを、抜いたというのですか」
博愛の剣。
人類の歴史を始めた四人の人間──大英雄のうち一人が、この森に残していったとされる武具。
魔力、膂力、その他あらゆる要素を十二分に兼ね備えた者の手にのみ渡るとされる——それは、聖剣の類に他ならない。
「本当は二つ揃えたかったんですけどね。もう一本のある場所に行くには、僕らじゃ資金が足りなかった」
「うろ覚えなんだけどさ。それって湖畔地方だったよね?」
両手を顔の前で組んで、軽く揉みながらアディユは呟いた。怪訝な顔で青年は応じた。
「あ、ああ。きぼうの剣があるのは、確かに湖畔地方だ。問題があるのか?」
余計なことまで喋りかけたアディユを制し、私は軽く咳払いする。
「いえ、些事ですから気にしないように。それより、次の行き先が決まったのです。早速準備に入りましょう」
「陛下、僕らに何か、手伝えることはありませんか」
「人間の居住区で遊説を続け、できる限りの兵力を集めなさい。資金には余裕がありますから、旅費はこちらが持ちましょう」
「はっ。ご随意のままに」
恭しくも頭を下げた青年の一連の立ち居振る舞いは、女王の臣下に相応しい者だった。私ははっきりと頷いて、彼の名前を呼ぼうとした。
そこで、単純な見落としに気づいた。
「……まだ、名前を聞いていませんでしたね」
「ロータス・ネブラ・ヴァンゲンハイム。貴方の臣下です」
「では、次は貴方の兄も連れてきなさい。私は、きぼうの剣と共に応じましょう」
大胆めいた宣言を残して、私たちはレストランを後にした。
それから、先の戦場となった広場に戻ってきた。
魔法の余波で広場周辺の建物は悉く破損し、あちこちに煉瓦が散らばっていた。町長は構わないと言ったけれど、王たる者として、被害は最小限に抑えなければいけない。私は胸中で反省した。
「ねぇ、グラシエ」
そこでアディユが私の意識を現実に戻す。
「どう考えても遠回りだよね。広場に忘れ物でもあった?」
「ううん。ちょっと試したいことがあって」
瓦礫の山を足蹴にして、奥底に沈んだ紅の装甲を引き摺り上げる。
指で摘まむたびに崩れるそれは、私が倒した竜の鱗。肉体を構成する魔力が霧散したために、存在自体がこの世から消えかかっていた。
「何するのさ?」
しゃがみ込んだ私の後ろから手を伸ばして、アディユも鱗を撫でていた。目線が下方に向くにつれ、重力に従って垂れた髪がゆらゆらと揺れる。その奥底に鎮座し、好奇の念を孕んだ彼女の瞳は、氷のように透き通っていて──思わず、見惚れてしまった。
「この竜は、生き物としての龍じゃなくて、魔法で作られた模造品だった。分析すれば、私も再現できるかなって」
「つまり、これを自分の戦力にしちゃおうってこと?」
「そうだね。魔力資源さえ確保すれば、大量生産もできるはず」
アディユは喉を鳴らして唸り、口の端を吊り上げた。
「……最高。竜の騎手なれるってことだよね」
「ふふ、そうだね。奇襲の成功率も跳ね上がるし、アディユには空から攻めてもらおうかな」
鱗の隙間に手を差し込んで、魔力の残滓をなぞっていく。成功は確実だったので、作業を進めつつアディユを見た。
本当に、不思議な子だと思った。
小躍りするその姿は子供と大して変わらないのに、時々、よくわからないタイミングで、賢人顔負けの思考速度を発揮する。
「弓兵はもう少し欲しいよね。私以外役に立たないだろうけど、矢の雨を降らせるってだけでも式を壊すなら役に立つ。火薬と魔力を込めれば戦場でも使えそうだね」
噴出した思考が言葉となって溢れる様は、抑圧に耐えかねた火山が爆発し、溶岩の雨を降らせる様に似ていた。
もう長いこと一緒にいるけれど、彼女を抑圧するものが何に当たるのか、まだ判然としなかった。
けれど、きっと知らねばならぬ。知らねば後悔するだろうとの確信があった。
「アディユ・トゥータ・クー」
戦の狂気に呑まれる彼女は、どこか脆くて、痛々しいから。
「──解析が済みました。落ち着いてください、行きますよ」
私はその手を、ぎゅっと握った。




