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第3話 赤く、あかく、燃ゆる激情

 身が強張るのを感じながら、私は男を見つめ返す。


「ありがとうございます。……まだ、お休みになられないのですか?」


「はい。巡礼の身ですので、日の出とともに出発します」


「巡礼の方でしたか。なら、いずれは湖畔地方に?」


「ええ。行ったことがおありですか。もしなければ、一度は訪れてみるべきですよ」


 はあ、とだけ曖昧に頷いた。


 悟られぬように男の様子を窺ってみる。

 紅い水晶体の奥で、底の見えない闇が静かに蠢いていた。

 修道服の影に潜む手は骨ばっている。概して痩せ型でありながら纏う空気は鋭くて、修道服のみが彼を信徒たらしめていた。

  

「……では、私たちは失礼します。征く道はきっと違うけれど、その旅路に祝福を」


 努めて穏やかに祈りを述べると、私はアディユの手を取った。


 寝室の方へと向かうさなか、男とすれ違ったとき、奇怪な言葉が耳を撫でた。


「また会うことになるでしょう。今の道を歩むことを、貴方が止めない限りにおいては」


 私はわざと足を止め、微笑をたたえて首を傾げた。

 

〈Ⅱ〉


 翌朝は、敢えて出立の時間を遅らせた。


 あの男に遭遇したくなかったからだけど、判断基準は直感に過ぎない。

 どう説明したものかと首を捻った私だったが、アディユも似たような感覚を抱いていたらしい。


「あのオッサンね。まるで私を見てなかった」


「確かに、無視されていましたね」

 

「……なんていうのかな。無視っていうか、私を生き物として認識してない感じがした」


「そうですか。要警戒と言いたいところですが、奴の前では下手に感情を出さない方がいい気がします」


「了解。ま、出くわしちゃったら気をつけようか」


 昼食代わりの乾いたパンを口にして、アディユは小さく息をつく。


 それから教会を後にして、私たちは旅を再開した。

 憂鬱そうな灰色の空は、目に映る全てのものを曇らせる。王都方面は快晴らしく、行く先の空は羨ましいほどに蒼かった。

 仲間を募ろうと向かったのは、昨日の教会から歩いて一時間ほどの距離にある町。人の賑わいに引き寄せられて、町の中心地を訪れていた。


「ねぇ、グラシエ。あいつとかいいんじゃない?」


 アディユが指で示したのは、声高に演説する()()()男性。

 年は十代後半から二十代前半だろうか。コバルトブルーの前髪で片目を隠した姿は優男のようで、カリスマ性に欠けるという印象だった。


「無しですね」


「ありゃ、どうして」


「演説の相手を間違えています。訴えはもっともですが、彼は人間。今回の方で虐げられる立場にある。不利益を被らないエルフにしてみれば、愚痴を延々と聞かされているようなものです」


 言葉とともに聴衆へと視線を飛ばす。促されて、アディユも同じ方を見た。


「ほんとだね。全然響いてないって顔」


 聴衆はこんなふうに分類できる。 

 興味を持って聴く者が一割。

 その情熱を冷笑しに来た者が三割。

 大して興味はないけれど、野次馬根性で割り込んできた者が、あとの大半を占めている。


「それに、最初はエルフだけでなくちゃ。身内の()()に同情して立ち上がったなんて邪推されたら、人集めの段階で挫折しちゃうから」


「なんとなくわかったかも。人間は人間の間で、エルフはエルフの間で、みたいな?」


「ええ。届けたいことがあるのなら、届ける相手は吟味しなくちゃいけません」


「なら、あそこでアンタがやってみるかよ?」

 

 広場を離れようとしたところで、誰かが私に突っかかってきた。


 やけに子供じみた声だと思って振り向けば、小柄な青年がそこにいた。

 ぼさぼさに乱れた髪が深い青を帯びているから、演説中の男性の兄弟だろうと思った。


「何を怒ってるんだい、少年。ピリピリしててもいいことないぜ?」


 青年の苛立ちを侮ってか、アディユは彼を揶揄った。小突くように伸びてきた白磁の腕を撥ね退けて、青年は忌まわしそうに眉を顰めた。


「どうせ口だけなんだろ、黙ってくれよ。へらへらして、兄さんを馬鹿にしやがって」


「彼を嘲笑しているのではありませんよ。ただ、ここには敵が多すぎる。同胞の集まる街で遊説すべきでしょう」


「毎日の糧にすら困ってるんだ。旅の用意なんか、できるわけないだろ……」


 青年は私を睥睨すると、疲れたように視線を逸らした。どこか潤んで見えるその瞳は、穢れを知らない赤色だった。

 怨嗟を帯びた言葉を聞いて、私が財布を探るや否や、青年は声を荒げた。


「情けなんか要らないッ!」

 

 激情に突き動かされた青年が、私の衣服を乱暴に掴み上げた。

 私はひとつ、愚行を犯していた。しかしその過ちに、すぐには気づけなかったのだった。

 

「お前」

 

 焦燥を露わにアディユが矢を執る。けれど聞かねばならぬと思って、私は視線で彼女を制した。


 その手を離そうとはせず、青年は恨みを吐露し始めた。

 

「……いいよな、通常民族は。人を嗤って食い物にしたって、誰にも咎められないんだから」


 青年の掌は熱で真っ赤に染まっていた。掠れる喉の奥底では炎が燃え滾り、ぎりぎりと打ち鳴らされる歯の隙間から、灰に濁った怨嗟の煙が漏れている。

 

「お前たちも僕たちも、同じ()()()()命じゃないのか。どうして、僕らだけが虐げられなくちゃいけないんだ」


 それは、私が初めて直に聴いた、強い義憤の叫びだった。

 それは、考え方の面においては、私の抱く不満の正体と等しいものだ。


 けれど、私が失念していた、先の軽率な行動の意味を、気づかせてくれるものでもあった。

 他人を憐れむことは即ち、相手を自分の下に位置づけること。そのため、私は、財布を出すという軽率な行為によって、彼の尊厳を躊躇なく踏みつけていたのだった。

 

「……確かに、貴方の言う通りだ」


 本当は、すぐにでも気づかねばならなかった。

 人種の壁をかなぐり捨てて、あらゆる民の叫びを聞かずして、女王になどなれはしない。

 小さな慈悲がもたらす意味まで考えてこそ、冠を戴く資格があるのだと。


「式典を壊すこと自体は、目的のための手段に過ぎない。危うく順序を履き違えるところだった」

 

 彼の胸中に生まれた火種が、私の心で炎となった──民の叫びを薪として、絶えることのない紅の炎に。 


「あんた、何言って」

 

 戸惑いを露わに、青年は私から手を離した。

 アディユもまた、ぽかん、と口を大きく開けた。


「お前の叫び、しかと受け取った」


 ぐしゃぐしゃの襟をそのままに、息を零して言葉を続ける。


「偽りの女王は私が討つ。誰もが等しく生きられる国に、私が創り直してやる」


「……信じて、いいのかよ?」


 彼の声は震えていた。

 それ自体が紛れもなく、救済の必要性を物語っていた。


「必ずや、戴冠式を打ち壊すと約束しよう。その暁には、お前は私の臣下になれ」


 青年は、ついに言葉を失った。

 長い沈黙を嫌うように、アディユが私の背を叩いた。


「……ほんっと困ったさんだね、グラシエってば。人間と打ち解けてどうするのさ」


「おや、臨機応変も素養のうちですよ」


「ふふふ、物は言いようだね。そういうとこ、嫌いじゃない」


 かたかた、かたかた、かたかた。


 アディユが言い終えるが早いか、不気味な揺れが町を揺らす。

 後方で白い光が発生して、衝撃に大地が打ち震えた。


「グラシエ、これって」


「敵襲でしょうか。それにしても、一体誰から」


「ちがう。あれは、敵襲なんかじゃない。……厄災が来たんだ」


 青年は、青ざめた顔で呟いた。

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