2話 新卒営業と魔法老婆
翌日
俺はぽこちん先輩に言われた通り営業にやってきた。正直気乗りしないが仕方がない。
「こんにちは、電話した者ですけどー。三途川梅子さんいますか?」
「はいはい、私だよ」
出てきたのは腰の曲がったお婆ちゃん。三途の川に片足突っ込むどころか半身浴してそうな感じだ。赤み掛かった髪が目を引く。まさに梅色。
「とりあえず入りなさいな」
案内されたのは昔ながらの和室部屋。古い人間はこういった畳の部屋が落ち着くらしい。
「いらっしゃいな。えっと名前は……ちんこ君だったかな?」
「ちんちんです。そんな卑猥な名前じゃないですよ」
「そうかそうか。間違えたわい」
悪い人ではなさそうだ。
だけどどうしよう。褒めるところがない。いくら何でも88歳に良いおっぱいですね、なんて言えるわけない。俺は嘘が嫌いなんだ。
まぁいいか。早めに説明だけして勢いで契約してもらおう。
「ちんこ君。お腹減ってないかい? ご飯食べていきなさいな」
「あっ、いいんですか? ありがとうございます。あと俺の名前はちんちんです」
梅子さんは台所に行ってしまう。ここ最近家ではもやし生活だったから食事提供はありがたい。
だけど俺はちんこじゃない。ちんちんだ。
「何が出てくるんだろ。カレーライスとかかな」
2時間後
「お待たせ。捌く所からだから時間が掛かってねぇー」
出てきたのは
ウナギだった。大きなウナギが乗ったウナ丼だ。
「梅子さんウナギ焼くんですか?」
「そうなんよそうなんよ。ウナギは嫌いかえ?」
「好きです。ただ昨日の昼食もウナギだったんですよね」
「ありゃりゃ、それはいかん。別のを作るから待っておくれ」
「ありがとうございます」
そういって梅子さんはまた台所に消える。
「ちょっと図々しいかな。まぁこういうのは正直に言った方がいいしな」
2時間後
「お待たせ」
「おぉ、ありがとうございます。こういうのでいいんですよ、こういうので」
出されたのは色とりどりの天ぷら。エビに野菜にバランスよく揚げられている。
「さぁ、たんとお食べ?」
「頂きます。あっ、ご飯も下さい」
「はいよ。あっ、さっきのウナギはタッパーで持って帰るかえ?」
「もちろんです」
「そうかそうか。待っててな、ちんこ君」
「ちんちんです」
ぽこちん先輩の言ったとおりだ。少しボケてる感じがする。だけどすごく優しいお婆さんだ。契約した後も毎日遊びに来ようかな。このお婆さんなら毎食作ってくれそうだ。
「そういえば私に何か用があったんかえ?」
「あぁ、そうそう。俺魔法少女の営業やってて。梅子さんやってくれません?」
「あぁ、あぁ、魔法少女ね。いいよいいよ、なっちゃる」
「え? いいんですか?」
「丁度調味料も切られてたからね。大根の煮物には醤油がええ」
「ん? よく分からないけど分かりました。いやー、嬉しいな。こんなにも簡単に引き受けてくれるなんて」
俺は間違っていた。今までは中学や高校で営業していたがブルーオーシャンはここにあったのだ。後期高齢者こそこれからの魔法少女界隈に必要な人材なのだ。
「ちんこ君は食べっぷりがいいからね。見てて嬉しいよ」
「ありがとうございます。もう名前はちんこで構いません」
「そうかそうか。嬉しいのう」
「じゃあ今度契約書持ってまた来ますね」
「あいよ、待っとるよ」
うひょー、やったぜ。
初契約だ。魔法少女というより魔女だが契約は契約。会社に帰ってペニス課長に報告しないと。
「お婆ちゃーん、遊びに来たよー」
誰だろう。玄関から子供の声がする。
「あれ? お客さん? 珍しいね」
「こんにちは、俺の名前はちんちん」
「初めまして。三途川咲茉って言います。いつもお婆ちゃんがお世話になってます」
「そっか、よろしくね」
小学生くらい、お孫さんかな。薄桃色のセミロング、毛先が少し外に跳ねている。右側に花のヘアピンをしている。
挨拶もきちんとしてるし、しっかりした子だ。
「咲茉、ご飯食べていくかえ?」
「給食食べたばっかりだしいい。あれ? またこんなにたくさん作ったの?」
「タッパーあるから持って帰りんしゃい」
「こんなに食べれないよー」
なんかいいな、こういう雰囲気。梅子さんは一人暮らしっぽくて心配だったけどお孫さんもいるし安心だ。
さて、会社に戻ろう。
………
……
…
「ペニス課長、やりました。俺やりました」
「あ? 何はしゃいんでんだ。あとお前昨日直帰しただろ。ありえんだろ。今日も勝手に直行だしよ。ホウレンソウって知ってるか。ホウレンソウ? 報告、連絡、相談」
「ほうれん草なら食べてきましたよ。そんなことより聞いて下さいよ。契約してくれる人が見つかったんです。やりましたよ、俺」
「あ? 契約?」
入社して早1ヵ月ちょい。ようやく契約を取ることが出来た。これでペニス課長も俺を認めてくれるはずだ。
「ったく。で? 契約書は?」
「え?」
「え、じゃねよ。契約書あるんだろ?」
「あっ、いえ契約書はまだで。今度サインして貰う予定で」
「バカかお前は!!」
ペニス課長が怒鳴ってくる。どうしてだ?
「そんなんだからお前は仕事出来ねぇんだ。契約の約束したら即サインだろ。常識だぞ常識。気が変ったらどうするんだ。このチンカス野郎が!」
「で、でも契約書持ってないし」
「そういうのは予め持っておくもんなんだよ。いつ何時魔法少女が生まれかなんて分からんだろ」
そういうのは予め教えてくれるもんなんじゃ。こういうのを理不尽と言うのではないだろうか。
「なんだよ、その目は?」
「い、いえ……」
「今から契約書持ってサイン貰ってこい」
「え? 今からですか? もう定時で……」
「ちんこ切られてぇのか!!」
「ひぃ~、行って来ます」
「グズがっ」
俺は慌てて会社を出る。
これってどう考えてもパワハラだよな? 訴えれば勝てるんじゃないか? 会社が許しても三六協定が許さないはずだ。あれ三六協定ってどういうのだっけ?
「おい、ちんちん」
「あっ、ぽこちん先輩」
「契約取れそうなんだってな。良かったじゃねぇか。ほら、契約書。持っていけ」
「ぽこちん先輩……まじカッコいいっす」
「いいから行け。あと印鑑も忘れず貰えよ。シャシハタはダメだぞ」
「はい、分かりました。行って来ます」
俺は梅子さんの家に向かう。
しかし
残念なことに定時を過ぎてしまった。サイン貰っても会社に戻らないとダメだろうし。
明日にしようかな。いや、そんなことして本当に気が変って契約取れなかったら笑い話にもならない。
社会霊は辛いぜ。
………
……
…
俺は再び梅子さんの家にやってくる。1日に2度も同じ家に来るなんて。効率悪すぎだろ。
「こんばんわー、梅子さんいますか?」
「はーい、今行きます」
あれ? 梅子さんの声じゃない。子供の声だ。
「あれ? さっきの妖精さん」
「ちんちんって言うんだ。お婆ちゃんいる?」
「ちょっと待って下さい。お婆ちゃーん。妖精さんが来たよー」
「上がってもらいんしゃーい」
奥から梅子さんの声がする。
「分かったー。なのでどうぞ」
「おじゃまします。えっと、君の名前なんだっけ」
「咲茉です。私妖精さんとちゃんと話すの初めて。なんか緊張するな」
「そうなの? 小学校とかに来るでしょ?」
「そうなんだけど……あまり話しちゃダメって先生に言われてるし」
「そ、そうなんだ」
これが教育制度の弊害というやつか。
妖精は魔法少女と契約するためにいる。契約すれば好きな力を手に入れられる代わりに敵と戦わなければいけない。
戦うというのは文字通り命懸けなわけで。
今のこのご時世命を懸けて戦う人間は少ない。将来の夢が経営者や公務員といった時代のなかで魔法少女を目指す子供は少ないのだ。
それに加え契約を取る妖精達にもいろいろ制約がある。授業時間の配慮や年齢制限もそうだ。9歳以下は魔法少女にしてはいけないと魔法少女法にもある。
そんな理由もあってここ最近は小学校に営業を掛ける妖精も少ないというが。
そもそも学校で妖精と話すなと言われているなんて。世知辛すぎる。
「でもいいの? 俺と話しちゃって」
「ここは学校じゃないから。それにお婆ちゃんのお客さんだし」
屈託のない笑顔というのはこういうのを言うのだろう。見ていて嬉しくなる。幸せな家庭で育ったんだろうな。
この子を魔法少女にしたいとは思わないけどこの子が敵に襲われる姿は見たくないな。
梅子さんが最強の魔法少女になって1人で全部解決出来るくらい強ければ世界は幸せになるのだろうか。
そしたら俺のような苦労する営業職もなくなるわけで。
人間も妖精も誰も死なない幸せな世界が来るわけで。
そんな世界が来ればいいのにな。
「なんて、夢見過ぎかな」
分かってるさ。それが出来るなら苦労はない。むしろ出来ないからこそ魔法少女は枯渇している。
いや、でも……
88歳のお婆ちゃんだ。もしかしたら計り知れないほどの魔力があるかも。酸いも甘いも知り尽くした熟したジャムのような魔力が内在しててもおかしくはない。
もしそうなら俺は大出世。ちんちん社長も夢ではない。
そしたら社長室はメダルコーナーにしてしまおう。ペニス課長はクビだ。ぽこちん先輩を課長にしてあげて。
「なんか夢が広がるな」
魔法少女の営業職なんて苦痛なだけで楽しくもなんともなかった。給料を貰うためだけに働いているようなものだった。だけど考えが変わった。営業職とは数字が全て。結果が出れば最高の職種なのだ。
質の良い契約を取れば出世は必須。給料もボーナスもアップ。そう考えると悪くない。いや、むしろ良い。
まぁ何にせよ契約書にサインして貰ってからだ。俺は契約書を梅子さんに
その時だった
ドゴン!!
地響き。それと共に奥の部屋で大きな爆発音がした。
「きゃ~~~~~~」
お孫さんが叫び声を上げる。
なんだ? いきなり。
まさか!!
「梅子さん!」
俺は梅子さんの部屋に行く。
そこには
「ううっ」
部屋の隅に倒れてる梅子さんがいた。
「良かった。死んでない」
「あいたたた……」
しかしなんでこんな所で爆発が。いや、理由は1つしかない。
“敵が現れたのだ”
「ばい、どく」
そこにいたのは世界の敵。梅毒。透明色の大きなスライム。大きさは冷蔵庫くらいか。肉体の中にはいくつもの水泡が散らばっている。
こいつは文字通り毒を持っている。毒は3段階あり、初期、中期、後期とそれぞれ症状が違う。後期になれば全身がゴム腫になり死んでしまう。
世界の敵はいつどこで現れてもおかしくはない。だけどタイミングが最悪だ。こんな時に現れるなんて。せめて契約した後にしてくれれば
いや、まだ遅くない。梅子さんは生きてる。この場で契約して貰うんだ。
「梅子さん、大丈夫ですか、梅子さん」
「ち、ちんこ君……」
「良かった、意識がある。梅子さん、敵です。梅毒が襲って来たんです」
「そ、そうか……それは大変だ。早く鍋の火を止めないと」
「くっ」
頭を打ってしまったのかもともとなのか分からないが話が通じない。
「梅子さん、魔法少女の契約をして下さい。この紙にサインをお願いします。そうしないと僕やお孫さんまで感染してしまう」
「け、契約?」
「お願いします」
敵を倒すには魔法少女の力が必要だ。むしろ魔法少女の力でしか倒せないのだ。
「お婆ちゃん? お婆ちゃん大丈夫?」
お孫さんが駆け寄ってくる。
いけない、ここは危ないのに。
「な、なんで部屋がこんなことに?」
「あっ、ああぁ、あああああ、な、なんでうちに敵が、うちに……」
「敵はどこにでも現れる。大丈夫、梅子さんが魔法少女になって倒してくれれば」
「え? 魔法少女?」
「梅子さんとそういう約束をしてたんだ」
「そ、そんな……魔法少女はとても危ない役目だって学校で。どうしてお婆ちゃんが?」
「もちろん世界のためだよ。それよりここから離れるんだ。君も感染してしまう」
「で、でも、お婆ちゃんが、置いていけないよ。怪我もしてる」
「大丈夫。魔法少女になれば逃げる必要はない。勝てばいいんだ」
「で、でも……お婆ちゃんはすごく優しくて。何かと戦うなんて出来るはずないよ。私にいつもご飯作ってくれてて。怒ったこともない人なんだよ?」
「そ、それは……」
たしかにそうだ。戦う能力や適性は本人に依存する。この88歳のお婆ちゃんが敵と戦えるのかと言われれば不安はある。
だけど
今この場で戦える人間がいないのだ。
梅子さんに頼るしかないじゃないか。このままだと俺だって梅毒に感染してしまう。
早くしなければ。
「よ、妖精さん。私が、私が魔法少女になる。私がお婆ちゃんを……た、助ける」
怖いはずなのに。足だって声だって震えてるのにこの子は……
「だ、だけど……」
たしかにこの子が魔法少女になってもいい。
だけど
だけど……いいのか? この子を魔法少女にしても。まだ会ったばかりの女の子だ。小学生だ。
小学生にこの先の苦労を押し付けることになる。
俺は妖精だ。営業職だ。
だけど俺にだって嫌なことはある、プライドだってある。俺は子供が好きだ。子供が笑って過ごせる世界が好きだ。
魔法少女の適正は小学生から高校生までが高いと言われている。だけど俺は高校生にしか営業しなかった。
より大人の方が理解して魔法少女になってくれるからだ。子供は判断能力が低いし知識も浅い。成長途中なのだ。そんな子を騙して魔法少女にさせるなんて嫌だった。
高校生ならきちんと理解して、きちんと契約して魔法少女になってくれると思ったから。
でも俺は甘ちゃんで現実が分かってなくて。
先輩に言われて88歳のお婆ちゃんに営業を掛けた。意地もプライドも砕け散っていた。
それでも
小学生を魔法少女にするのは嫌だ。
でも、だけど……
ここで敵を放っておけば俺やこの子が梅毒に感染する。結局は同じこと。死んでしまう。
「俺は、ほんとダメな妖精だ。だから契約取れないんだな」
俺は完全に動けないでいた。
「ち、ちんこ君。紙を、おくれや」
「梅子さん?」
「ま、孫を戦わせるお婆ちゃんがどこにいるんかえ? え、えまは……あたしゃ守らんと。は、早く契約を」
「ま、待ってお婆ちゃん。私が、私が契約を」
「ちんこ君、頼む!」
「お婆ちゃん止めて!!」
「分かりました!!」
「やめてーーーーーーーーーーーーーーーーー」
梅子さんは契約書にサインをする。
“魔法少女契約完了”
“魔法少女契約完了”
“三途川梅子変身モードに移行”
“三途川梅子変身モードに移行”
契約書から自動音声が流れる。俺も初めて見た。契約書が緑色に発光する。
その光が梅子さんを包み込む。
「おばあ」
「おばあ!」
「おばばあああああああああ」
梅子さんが華麗に変身をしていく。88歳のお婆ちゃんの変身のため詳しい描写は控えるが、とにかく魔法少女に変身しているのだ。
「こ、これが魔法少女」
初めて見た。
梅子さんと同じ髪の色、梅色の着物姿。手には薙刀を持っている。
魔法少女の戦闘力は戦ってみなければ分からない。
だけど
「す、すごい。これはきっとすごい魔法少女だ。感じずとも分かる。卓越をも超える超越した魔力。これが88歳の力。行けます、いけますよ梅子さん。さぁ、その強大すぎる魔力で梅毒をやっちゃってください。さぁ!」
バクッ!!!
梅毒が梅子さんを包み込む。
ブシュ!
「え?」
スライムの中で赤い液体が充満する。
梅子さんは喰われた。いとも簡単に。
「ぶっ」
梅毒から大きな物体が吐き出される。
それは梅子さんの肉体だったもの。原型を留めていない。赤い塊だ。だけどそれが梅子さんであるのは分かってしまう。砕かれた顔、肉体が梅子さんのそれであったのだから。
「いや、いやいやいやいや。おばあちゃん、おばあちゃーん!!」
「そ、そんな……梅子さん。地上最強の魔法少女が誕生したはずなのに。なんでこんな」
ぶしゃしゃしゃすしゃ。ぶしゃしゃしゃしゃ
この世のものとは思えない音を出す梅毒。いけない。俺達は完全に狙われている。梅子さんのように食べられるか毒に侵されるか。
いけない。本当にこのままじゃ
「逃げるぞ。このままじゃ俺達が危ない」
「おばあちゃん、おばあちゃん」
「ここから離れるんだ」
「おばあちゃーん」
ダメだ。泣いて離れようとしてくれない。このままじゃ本当に
「まるで茶番劇ね」
ズドン!!!!!!!!!!!!!!!
閃光が視界を奪う。青い稲妻のようなものが落ちた。
轟音と同時に梅毒が消し飛ぶ。
「今度はなんだ?」
そこに現れたのは
青い魔法少女だった。