冷房と暖房、それとタカシくん
みなさんこんにちは。わたしたちはエアコンの冷房と暖房です。
わたしたちの仕事は簡単。この部屋の主であるタカシくんが快適に過ごせるようにすること。夏は冷房のわたしが冷やし、冬は暖房の彼が部屋を暖めます。だけど、わたしたちはベストコンビというわけではありません。
『暖房なんて着こめばいらないじゃないの。電気毛布の方が消費電力も低くてエコよ』
『それをいうなら冷房こそもっと電力食ってるじゃないか。おまえが地球温暖化の原因なんだよ』
今の日本は夏真っ盛り。冷房のわたしが活躍しているのが気に食わないようで暖房は不機嫌です。
『いい加減どっちが偉いかなんて言い争いはやめて勝負で決めましょう』
暖房はわたしの話に乗ってきて力比べをすることにしました。方法は簡単です。この部屋の主を追い出すことができれば、この部屋で一番偉いということになるはずです。
『勝負はオレからで文句ないよな?』
『ええ、いいわよ』
わたしがうなずいてみせると、部屋の隅に設置されたエアコンから熱風が噴き出しはじめました。どうやら一気に勝負をつけるつもりのようで得意げにわたしを見ています。
「ん……あっつ……」
ほどなくしてこの部屋に住むタカシくんが目をさましました。時計をみると午後一時。今日は平日です。タカシくんは高校中退の無職のニートで21歳です。
「え、なにこれ暑い、なんで? 冷房いれてたはずだよな?」
暖房が温度を高くしていくと、タカシくんはたまらず布団から出てきました。さらに温度を上げるとパジャマの襟をぱたぱたとしながら汗をだらだらと流しはじめました。太っている彼にはちょうどいいダイエットになるでしょう。
「なに、なんなの!? エアコンの設定おかしいぞ!」
必死にリモコンで冷房に切り替えようとしたり、設定温度をいじろうとしますが無意味です。やはりこの部屋の支配者は我々です。
結局、どれだけ暑くしてもタカシくんは部屋を出ようとしませんでした。
『それじゃあ今度はわたしね』
わたしは徐々に温度が下がるように冷風をゆっくり流し始めました。
「あれ? 涼しくなってきた。直ったのかな?」
最初は涼しげにしていたタカシくんでしたが、すぐに震え上がって布団の中にもぐりこみました。汗が冷えると一気に寒く感じますからね。
気が付いたときには手遅れです。人間というのは本当にバカですね。
『ずるいぞ!』
『バカね、戦略よ』
暖房は先攻を譲られた理由をようやく理解したようで悔しそうにしています。
だけれども、こんな状態になってもタカシくんは部屋から出ようとしません。これには隣で見ていた暖房も驚いているようです。わたしたちの力では無理なのかと思ったときでした。
「ちょっと、タカシ!」
いきなりドアが開けられました。ドアが開けられたせいで外の夏の空気が混じりました。これではわたしの作戦が台無しです。
「またこんなに冷房強くして、電気代かかるからやめなさいっていってるでしょ!」
乱入してきた人物はすぐにリモコンを手に設定温度を高くしようとします。
「かーちゃん、そのエアコンおかしいんだよ」
「そんなもの叩けば直るわよ。ほらっ!」
ばしばしと斜め45度からチョップを叩き込まれてはたまりません。設定どおりの温度に戻しました。
「さすが、かーちゃんだぁ」
結局、この家で一番偉いのはタカシくんの母親のようでした。
言い忘れていましたがわたしたちの寿命はとても短いです。人間よりもずっとずっと短いです。
もう以前のような熱風も冷風も出せなくなったわたしたちは新しいエアコンに買い替えられる決まりです。
「うーん、これは寿命ですかね。長く使ってらしたのでしょうが、この型式のものですと交換部品の在庫もないでしょう」
タカシくんは修理業者の方の話を黙って聞いています。ひきこもりで他人が怖い彼にとって見ず知らずの他人と話すのは苦痛のはずですが、修理を頼んだのは彼でした。
「これは新しいものに買い替えるのをおすすめしますよ」
「え、でも……、そのエアコン……」
タカシくんがもごもごと何かを言おうとしますがうまく通じず、かーちゃんが話をまとめ始めました。タカシくんは泣きそうな顔でうつむいてぎゅっと拳を握っていました。
わたしたちはタカシくんが親に何度も頼んで買ってもらったエアコンでした。部屋にしっかりと据え付けられたわたしたちを見て目を輝かせていたタカシくんのことは今でも覚えています。
『……よう、まだ動けるか?』
『……あんたがくたばるのを見るまでは止まらないわよ』
わたしたちはベストコンビとはいえない間柄です。それでもたまには協力するときはあります。
タカシくんが風邪で寝込んでいたとき。
タカシくんが外が怖いと震えていたとき。
寝ている間うなされていたとき。
できれば、タカシくんがまた元気になって『いってきます』と『ただいま』を言う姿を見たかったです。
「あっ、ほら、うごいた! まだうごけるよ!」
タカシくんはここ数年間で一番大きな声を上げました。とてもうれしそうな声な声をあげるタカシくんを見ていると、暖房もわたしも自然と笑顔になりました。
人間がわたしたちのことを知ることはありません。でも、わたしたちは部屋の片隅でいつも見ています。寒くて震えていたり、暑くてだるそうにしている姿を知っています。
本当に人間というのは弱いやつらです。
わたしたちがいないとなにもできません。