第16話「Gratitude《お礼》」
「遅いぞ喜多」
敢えて刺々しい声音でそう言った私に口を尖らせた喜多。
「だってしょうがねえじゃねえか」
喜多の言い分はこうだ。
早々に図書館で野々花さんを見つけて声を掛けたが、「今日分の勉強が終わるまで待って下さい。急ぎますから」と言われた。
それももっともだ、と喜多は『かいけつゾ▢リ』を手に取って読み始めたら面白くなって、「勉強終わりました」と言う野々花さんに「ちょっと待ってくれ。これとこれだけ読ませてくれ」と涙目で懇願し、読み終わって満足の喜多は野々花さんを伴いロケットベーカリーに戻るも昼のピーク時間。
「しゃあねえ、先にランチ行っちまうか」
と提案して千地球へ。
そして今、昼ピーもすっかり過ぎて一時半だ。
「とまぁ、商売の邪魔しちゃマズいと、俺ぁそう考えた訳。どうだ、文句あるか?」
「あるに決まってるだろ。オマエがゾ▢リ読んでたせいじゃねえか」
昔ちょっとは読んだよ。確かに面白いけど普通は泣かねえと思うがな。
「でも喜多さん、ありがとうございました」
ぺこりと喜多に頭を下げてそう言うカオルさんが続けて言う。
「野々、ちゃんとお礼言った?」
「――う。喜多お兄ちゃん、あ――ありがと」
少し照れる野々花さんは視線を逸らしそう言った。
すると、喜多がじとりと湿っぽい目を私に向ける。
……これは、まぁ、しょうがないか。
「おい喜多。ありがとう、助かった。でも遅くなるなら連絡は入れろよ」
「かしこまりーん!」
喜多がピースサインで片目を挟む様にポーズ。
……なんだそれは。流行ってんのかソレ?
「いや〜! ゲンちゃ――げふんっ! げふっ! ごほんうほうほ……わりぃ、咽せちまっ――」
ちょっと久しぶりだな、オマエのうほうほ。
「――ゲンゾウ、オメエにお礼言われるなんて初めてじゃね!? 嬉しいなぁおい!」
そんな事はないだろう。いつも裏の仕事の時にはオマエのサポートに感謝していたように思うが……――
……いや、言ってないな。感謝の気持ちがあったのは多分間違いないとは思うんだが。
「んんっ――、じゃ、じゃぁカオルさんはお昼して下さい」
空咳ひとつで誤魔化したが、喜多が要らんこと言うもんだから吃っちまった。
「店長、今日はどうします?」
「そうですね……それじゃサンドイッチお願いします」
「かしこまりーん♪」
――なっ――!?
喜多と違ってなんと可愛らしい――……
「ゲンゾウ、おい。帰ってこい」
ぺんっ、と喜多に頭を叩かれ意識を取り戻し、素直にぺこりと喜多に頭を下げた。
「おい、オマエはどうすんだ? カオルちゃんと一緒に行くか?」
「ママどこ行くの?」
「今日は千地球。お昼は千地球かロケットベーカリーのパンだから」
ウチと千地球はずぶずぶの間柄、お互いの売り上げに貢献し合う日々なのだ。
なんと言ってもウチの食パンで作ったサンドイッチを千地球から買って昼食にしているぐらい――
「俺と野々も千地球のサンドイッチセット食ったんだぜ。美味えよな、ここのパンで作る千地球のサンドイッチ」
――なにっ!? 喜多、お前……野々花さんのことを野々呼ばわりなのか!?
「お腹いっぱいだけど、ママに付いてこっかなー」
「じゃ一緒に行こっか野々。喜多さんは?」
「ん? 親子水入らずで行ってきなよ。ゲンゾウと内緒話もあるしよ」
喜多の軽口に、杭全親子が顔を見合わせシシシと笑った。
どうして笑ったのかと思ったが、店を離れる二人の会話を私の耳が拾って理由が分かった。
仲良しだよねー店長と喜多さん、なんて言ってた。全然そんな事ないんだけどな。
「それで? 内緒話ってのはなんだ?」
「カオルちゃんが過保護……いや、心配性過ぎる理由について、だな」