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反時計周りの家

作者: こづか とら

帰省が年に数回だとすると、

残りの人生で両親に会える回数はそんなに多くないかもしれません。

 こんな夢を見た。

 

 その朝、私の家とその周辺一帯の住宅街は、うっすらとした白い霧に覆われていた。

 自室のベッドで目を覚ましたばかりの私が、そう俯瞰的に認識することが出来たのは、思えばやはり夢の中だったからなのだろう。

 カーテンを開け、何とはなしに窓の外へ目をやる。普段人の行きかう街並みは薄霧が輪郭を曖昧にし、まるで舞台の背景のようだった。

 冷静に考えれば合点のいかない展開も、夢のなかではそれが道理であるかのように進行していく。


 ベッドから腰を下ろすと、着の身着のまま階段を降りる。ぼんやりとした頭のまま、体が自然と動いていた。一階のリビングを横切り、玄関へと向かう。

「行ってきます」

 同じ屋根の下に住む両親へ向けて言葉を放りながら、ドアを開け霧の中へと飛び出した。


 言わば気晴らしの散策といったところで、特に目的があったわけではなかった。

 それでいて、この時の私の足取りには迷いがなくて、今思えばやはり不自然な展開なのであった。


 家を出た私はその足のまま左手に曲がり、判で押したような集合住宅に挟まれた小道を歩き出した。

 あるかないかくらいの自らの足音だけが、聞こえている。視界の先は霧のベールに包まれ、遠くの景色ははっきりとは見えなかった。

 夢の中の私は気にもとめず、ただ黙々と歩を進めている。

 左手にスーパーマーケットの駐車場を認めると、道は大通りへと合流する。私は、駐車場のフェンスに沿うように再び左へと足を運び、そのまま道なりに進んでいった。

 人や車、何一つ行き交うもののない広小路は、ゆるやかにカーブを描いている。


 カーブの先の信号を左折した私は、一周して、自らの家に帰ってきた。

 取るに足らない、都合10分程度の散策であった。


「ただいま」

 靴を脱ぎ手洗い場へ向かう私の視界に、リビングのテーブルに顔を伏せた母が映った。

「……どうしたの?」

 具合でも悪いのだろうか。おしゃべりで、いつも陽気な母の珍しい姿に咄嗟に声をかける。


 すると母はガバリと顔を上げ、異形の化け物に出くわしたような、雷に打たれたような顔つきでこちらを見た。見開いた眼には、驚きの色を浮かべていた。

 私の帰宅に気づかず驚いたのだうか。そんな想像は刹那に消し飛ぶ。

 その瞳は赤く充血し、潤んでいた。今の今まで母が泣いていたことは明らかだった。

 

 互いに目を見合わせながら、奇妙な沈黙が訪れた。

 只事でないことは明らかだったが、驚きと混乱のなかで言葉が出ない。

 しばしの沈黙を破ったのは、母のほうからだった。

「……夏美。あなた、反時計回りに帰ってきたでしょ」

「……え?」

 理解のし難さゆえ、調子の外れた声が出た。母が何を言っているのか分からなかった。

 次の言葉を待ちながら、表情を伺う。

 その唇は引きつり、瞼は震えていた。母がこみあげる激情をこらえていることは明らかであったが、その表情からは喜びとも悲しさともつかぬ感情が伺え、その様子に私は混乱を深くした。


「あなた。反時計回りに一周して、家に帰ってきたんでしょ」

 母が繰り返した言葉が、ようやくそのままの意味として、私の頭に飛び込んできた。

 確かに私は散歩の道中で左折を繰り返し、家を中心に大きく反時計回りに回り込むルートをとり、再び家に帰ってきた。

「だから、なんなの?お母さん大丈夫?」

「……大丈夫」

 母の声は震えていたが、涙をこらえたその瞳は真っすぐに私を見つめていた。

「大丈夫だから、聞いて」

 絞り出すように、母は言葉を続けた。

「時計回りに、帰りなさい」

 なにを言っているの?ここは自分の家でしょ?

 口に出そうになった言葉を、私は時間をかけて飲み込んだ。

 母の言葉に、有無を言わさぬ重みがあったからかも知れない。

 それとも、不可解な状況を是とする夢の世界ゆえだったからかも知れない。


「……ばいばい」

 私は母に背を向けると、玄関を抜け再び霧に包まれた街の中へと足を踏み出した。


 先ほど歩いてきた道を逆戻りする。

 今度は右折を繰り返しながら、逆行を続ける私のなかに、一つの確信があった。

 このまま時計回りに道を辿ることで、元いた家に帰れると。


 淡々と足を動しながら、今しがた家に残してきた母を思った。


 反時計回りで辿り着いたあの家にいた母は、何故一人で泣いていたのだろう。

 あの家の私は、父は、何処へ行ってしまったのだろう。

 あの家に一人残される母は、どんな気持ちで私を送り返してくれたのだろう。

 私は本当に、帰るべきっだたのだろうか。


 街は、まだ霧のなかに浮かんでいた。

 家々に挟まれた小道の先に、私の家が見えてきた。 

 

「ただいま」

 

 葛藤から逃れるように家のドアを開いた。

 私の意識はそこで途切れる。

 

 枕の感触、カーテンから漏れる日差し。私は布団の中で目を覚ました。


 以上が、私が実際に見た不思議な夢の顛末であり、覚えのあるうちにここへ記すものである。

 反時計周りの家に思いを巡らせながら、今も時折考えることがある。


 私は正しく帰れたのだろうか、と。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 非常に良くわかる感覚です。私の場合はあらゆる「門」です。建物すら表から出て裏に抜けるのが怖かった時期がありました。
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