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ぱち、と目を開ける。
雪菜は猫の状態で倒れていた。
明るい世界に目が慣れず、チカチカする。
目を閉じたくなる衝動を堪え、辺りを見渡す。
はたと怪我をしていたのを思い出し、腹部を見た。
するとなんてことだろう。腹に開いていた穴が塞がっている。
「……博識さん。私が寝てからどのくらい経った?」
【六日】
「六日!? え、六日で穴って塞ぐものなの!? 割と大きかったけど!」
【ファイヤーディアを討伐した際に入手したスキル 倍速治癒により回復スピードが増加。それにより通常より早く回復した】
「なるほど……ちなみにこの前倒した鹿さんのレベルは?」
【Lv27】
「え、強……私、頑張ったんだな……」
ちなみに鹿と戦ったときの雪菜のレベルは18だ。
「今の私のレベルは?」
【Lv24】
「すっげー上がってる……」
感心していると、雪菜の腹がぐうと鳴った。
(そういば何も食べてないんだった)
辺りを見回すと、一週間近く前に倒した鹿がいた。
腐ってはいない。
魔物とは、動物に過剰な量の魔力を受けることで突然変異したものだ。
魔物は呼吸のように空気中の魔力を摂取し、生きる。
食べ物も必要ではあるが、基本的には魔力があれば魔物は生き長らえることができる。
加えて、魔物は万が一に備えて体に魔力を溜めておくことが出来る。
その蓄えがある限り魔物は死なない。
つまり、この辺りは魔力があり、かつ鹿の体に蓄えられていた魔力があるので鹿はこの六日腐らずにいた。
「命に感謝……そろそろ鹿さんの魔力も尽きちゃうよね、さっさと頂くとしよう……」
前足を合わせ、合掌した。
そしてさっさと食べようと口を開け──たのだが、そこで思いついた。
(鹿さんの皮を上手いこと使えば服になるのでは……?)
素晴らしいことに、雪菜には形を自由自在に帰られる触手がある。
手芸や工作を嗜んだことはほぼないが、まぁなんとかなる。
そんなこんなで人の姿になる。
そして背中から触手を二本生やし、一つは小さめのナイフ、一つは大きめの刃物に。
従来の手は鹿がズレないように押さえるのに使う。
捌き方など教わっちゃいねえんだわ! と叫び、それらしい捌き方で鹿の皮を剥ぎ取った。
(めっちゃ時間かかった……)
雪菜は遠い目をした。
しかし、原始的な服(?)ならできた。
胸部には胸当てとして巻き、下半身にも布を巻く。腰の方で皮を結び、落ちないよう固定する。
「……」
何もないよりマシだと雪菜は自分に言い聞かせた。
余った皮と、服(?)を作る際に出た切れ端を掻き集めた。続けて草をクルクル捻って細くし、魔法でやんわり固めた紐もどきと、落ちていた石を触手で針のように削ってできたのは超エコな雪菜オリジナルの手芸セットだ。
そして集めておいた皮をオリジナル手芸セットで縫い、ローブにした。
足りない布は一角ウサギの皮も使って補った。というか鹿の皮はほとんど原始ぽい服に使ってしまったので、ローブっぽいものはほぼウサギの皮だ。
そして人化する際に出てしまう猫耳を隠すため、フードも作った。
色も裾もバラバラで、見るからにボロだが、何もないよりマシである。
何もないよりマシである(二回目)。
手芸の餌食となった雪菜の周囲の草はほぼほぼ刈り取られている。
雪菜が少し、ほんの少し不器用なことに加え、超天然の手芸セットだったこともあり、羽織を作りにくく、周囲の草は不自然に引っこ抜かれている。
「すまん……でも除草剤撒いた訳じゃないから……また生えてくるから……ゆるして……」
ちなみに鹿やウサギの皮は水魔法で上手いこと洗ってある。
とりあえず、本当にとりあえずだが、服の問題はこれにて解決した。
それからまた街をめざして歩き続ける。
ちなみにあの後鹿肉は食べた。味変を求めていた雪菜にとってはこの上なく美味しい肉だった。
そして気づいたのだが、定期的に襲ってきていた一角ウサギの量が減った。
博識に聞いた。
「負け戦に挑むほど魔物もバカじゃないってことかあ〜」
つまり、一角ウサギより明らかに雪菜のレベルの方が上なので、やばい負けると察知して逃げるのだそうだ。
雪菜が鹿を見つけた時と似たような感じだ。
そして猫の小さい足でまた三日ほど歩き、ようやく森の外に出た。
「わあ──!」
目の前は今までとは違い、光がある。
木漏れ日の薄い光ではなく、直接、なんの邪魔もなしに全容を見ることができる!
感慨深いものである。
雪菜はうんうんと頷いた。
「この先に街があるんだよね……!」
雪菜は期待を胸に意気揚々と歩き始めた。
歩き始めて数分後。
雪菜ははたと気づいた。
(魔物が街の周辺をうろついていたら殺されるのでは……?)
雪菜がいくら愛らしい猫だとしても、魔物は魔物だ。
猫好きの兵士に運良く出くわさない限り、殺されてしまう。
雪菜とて兵士数人がかりでこられたらさすがに死ぬ。
雪菜は木陰に隠れて人型に変身した。
少し前に繕ったローブを纏い、再度歩き始めた。
更に一日。
薄らではあるが、家らしきものが見えてきた。
「あと少し……。あーあ、こういう時に転移とか使えたら便利なのに……」
そう思うが、そもそも転移がこの世界で存在するのかさえ知らない。
ちなみに触手の羽で一応空はとべた。この触手は擬態もお手の物らしい。どんなチートスキルだよ。(ちなみに猫耳としっぽを隠して変身することも可能になった)
しかし転移は使えない……やめよう、転移のことを考えていたら不毛すぎて虚しくなってきた。
(別のことを考えよう……)
はあー、とため息をついた。そして生まれた虚しさを振り払うように魔王になったらなにしたいかな、と考え始めた。
(配下に四天王とか三大幹部みたいなかんじのひと達は欲しいよね……かっこいいもん。夢がある)
せめてそこまで豪勢なものじゃなくてもいいから、とりあえず信頼出来る側仕え的な存在が一人は欲しいよね、と雪菜は思った。
(こう、「あなたとわたし、二人でひとつよ」的な一蓮托生のコンビとか……)
雪菜はまだ見ぬ相方を想像した。
(あと「おい、なにをしている! そこは危険だ!」って部下を注意する上司の私……なんてね)
次に勇ましい騎士団長のような自分を想像し、むふふ、と笑う。
そんな夢をみているうちに、気づいたら遠くに見えた家々が近くにあった。
「……あれ? でも……」
町と言うには貧相だ。塀も無ければ兵士一人見当たらない。
塀のかわりに拙いフェンスがある。
しかし一応人は生活しているらしく、人影がチラホラと見える。
(ジルファニア子爵領とやらに来たつもりなのに……いつ道間違えちゃったかな……)
そういえば鹿討伐ののち、1度も博識に道を尋ねていなかったと思い出した。
しかしせっかくなら一泊はさせてもらいたい。久しぶりにベッドで寝たい。
すると、偶然歩いてきた四十代ほどの女性と目が合った。
「おや」
女性の首には黒い不思議な模様がある。タトゥーだろうかと雪菜は首を傾げる。
「どうしたんだい? こんな辺鄙な村で」
「あ、その……」
どうしよう、「あ、自分魔物なんすけど一泊させてもらえませんか?」とか言えない。
(あ、そうだ。記憶喪失ってことにしちゃおう!)
そうすればこの世界に対して知識がないのも頷けるし、憐れまれて面倒を見てもらえるかもしれない。
「私、今までのこと何も覚えていなくて……気づいたら歩いてて、その……」
「……なるほど、記憶喪失ってことかい?」
女性は顎に手を当てた。
「たぶん……そうだと思います」
「そうか……それは不安だったろう、うちにおいで。お茶をあげよう」
「……! ありがとうございます……!」
なるべく可哀想な遭難者を演じた。
女性は家に案内してくれた。
「そういやあんた、名前は? 覚えてるかい?」
「名前は覚えています、セツナです」
「セツナ。……いい名前だ」
女性に名前を呼ばれると、不意に体からレベルアップの感覚がした。
(……なんで?)
考える暇もなく、女性が机にお茶を置いてくれた。
「ほら、お茶だよ」
「あ、ありがとうございます」
ずず、とお茶を飲む。緑茶だった。
久しぶりのお茶の味。
「名乗り遅れたね。あたしはダリアだよ」
「ダリアさん……よろしくお願いします。あの、ダリアさん。聞いても?」
「なんだい?」
「その、首のそれ……なんですか?」
「これかい? これは庶民全員がつけてるこの国の国民である証さ」
「なるほど……」
ちなみにセツナは今ローブで首元を隠しているため、ダリアからは見えていない。
(私魔物だからな……バレたら針のむしろだ……)
「そうだ、セツナ。しばらくこの村にいないかい? 記憶喪失じゃ不安だろうし、この家の一部屋を貸すよ」
ダリアさんはおおらかに笑った。
それにほっと安心した。よかった、優しい人だ。
「い、いいんですか?」
「ああ、もちろんさ。村の皆にはあたしから説明しておくよ。……あ、でも、ちっとばかし労働力は貸してくれよ?」
にやり、とダリアさんは笑った。
それにセツナと笑い返して、「もちろんです」と言った。
こうしてセツナは小さな村に泊まることになった。しかし永住ではない。
あくまでセツナの目的は魔王になることである。少ししたら記憶が戻ったことにして、しばらくしたら、また旅に出る。
それからはあっという間だった。
ダリアさんからそのボロい服を何とかしようと言われ、服をくれた。
かわいい服だった。ダリアさんは娘がいたのだそう。
黒髪金目のセツナによく似合う服だ。
ちなみにセツナは黒猫だ。
その後は村の皆に紹介だと言って、各家を回った。あまり多くはなかったが、可愛いねえと可愛がられた。
若い人は一人もおらず、皆四十代以降の人達ばかりだった。
左隣の家のカルミア、右隣のホオヅキに、後ろ家のロベリアなど、まだいる。
子供がいた人達の子供は皆都会の方に引っ越してしまったり、病にやられてしまったのだとか。
ダリアの夫である、サーシスとも会った。ダリアと同じく、朗らかな人だった。
そしてダリアとサーシスと共に久しぶりにまともな食事に恵まれ、夜が開けた。
セツナは主に皿洗いや、井戸からの水汲みなどの仕事を請け負った。
それ以外の時間は記憶探しに使いなと言われた。
危ないからあまり遠くへ行っては行けないよと注意までしてくれた。優しい。
そしてはたと、謎のレベルアップをしたことを思い出し、自分のステータスを見てみた。
すると、今まで「名前なし」だった部分が、「セツナ」となっていた。
つまりセツナはダリアに名を呼ばれたことによって名持ちの魔物となったのだ。
名持ちの魔物は名無しの時より格段に強くなる。
同じレベル同士でも、名無しと名持ちでは強さが段違いなのである。博識が言っていた。
その事実に気づき、とても嬉しくなった。
そんなこんなで5日ほど優しい人に囲まれ快適に過ごした。
ちなみにセツナが魔法を使えることはひょんなことからバレたので、村人たちは知っている。
そしてセツナはあることを考えていた。
(恩返し的なことが……したい)
ここまで優しくしてもらっているのだ。
なにか返したくなるのが自然というもの。
セツナは考える。
自分にできる恩返しとはなにか、と。
いや恩返しは大袈裟かもしれない。とにかくお礼がしたいのだ。
そして思い立つ。
とにかく働こう──と。
しかしあの優しい村人たちのことだ。
自分たちの事はいいから、記憶探しに力を入れなさい、と。怪我するといけないから、奥でゆっくりしてなさい、と言う。絶対。というか既に言われた。
(それってよくよく考えたらめちゃくちゃ過保護だよな……!)
しかし、両親と死別したセツナにとって、村人たちの厚意は嬉しかった。
まるで親のようだったのだ。とくにダリアとサーシスは。
見目や声は違えど、優しさは親のそれと似ていた。
そう思ったのは、ここに来て二日目のことだった。
夜。なんだか眠れず、セツナはお茶を飲みに台所へ足を運んでいた。
「……おや、セツナ?」
後ろをむくと、寝巻き姿のダリアがいた。
「ダリアさん……」
「どうしたんだい、こんな時間に」
「……なんだか眠れなくて」
小さく言うと、ダリアは「そうか」と言って、続けて「じゃあ眠れるように、一つの話を聞かせてやろう」と言った。
「記憶喪失のあんたに、丁度いい話だよ。世界に伝わる伝説さ」
セツナは借りた自室に戻り、ベッドに潜る。
その傍にはベッドに腰掛けたダリアがいる。
「むかしむかし、あるところに……」
そんなどこか聞いたことがある始まり方をした話は、こうだ。
昔、この世界の巨悪、魔王がいた。
魔王は魔物を喚び、世界の安寧を脅かした。
数多の家が焼かれ、作物は枯れ、幾人もの命が奪われ、世界中が疲弊しきった。
もうやめてくれ、助けてくれ。
絶望の中に人々はいたのだ。
しかし、あるとき、後に勇者と呼ばれる希望の存在が立ち上がった。
勇者は言った。
「巨悪の魔王を討ち滅ぼし、私がこの世界に再び安寧を齎そう」と。
これには世界中が歓喜した。
勇者は強かった。数多くの魔物を倒し、旅の道中で仲間を見つけ、仲間たちと共に、遂に魔王の討伐に成功したのだ。
魔王が討伐されると、魔物は減り、作物はよく実るようになった。
こうして、勇者とその仲間たちの冒険によって、この世界は安寧に包まれたのだ。
ざっとこんな感じの内容だった。
「これが初代の勇者の話だよ。それからも1000年に一度魔王は復活してるって言われてるけど……あたしはまだその1000年目まで生きてないからね。ピンと来ないよ」
言いながら、ダリアは肩を竦めた。
小声なのはセツナの眠気を奪わないためだろう。
よくわからんねえ、とため息を着くダリアを横目に、セツナは思った。
(すまん、ダリアさん……私はその巨悪の魔王を目指してるんです……)
寝かせるために聞かせてくれたおかげで、少しづつ眠くなってきた。
「初代の勇者は『みんな幸せになれる国に』って理想を持って政治を取り仕切ってたんだってさ」
いかに勇者といった理想だとセツナは思った。
「ねえ、セツナ。もし仮に、あんたが王様になったら……あんたは、どんな国にしたい?」
そういうのを考えてみるのも、楽しいんじゃないかな、とダリアは言った。
「まあ、あたしらが王なんて、夢のまた夢だけどね。あくまで冗談さ」
うとうとして眠そうなセツナを見ると、ダリアは微笑んで、聞いたことがない歌を歌い出した。
それはとても優しい歌声で、愛そのものだった。
徐々に夢に引っ張られ、遂にセツナは夢の世界へと誘われた。
回想終了。
そのあとも、ダリアはよくその歌を口ずさんでいたので、セツナはすっかりその歌を歌えるようになっていたし、その歌が好きだった。
幼い頃、前世の母にも別の歌ではあるがよく歌って貰っていた。
怖い夢を見た、なんとなく眠れない。そんなどうでもいい理由で泣く雪菜に、母は大丈夫よと声をかけ慈愛に満ちた声で歌い、父はセツナの額にキスをして、ゴツゴツした大きな手でよく頭を撫でてくれていた。
そういう記憶とダリアが重なった。
サーシスは前世の父と似ていて、脳筋気味だった。
だから余計に、お礼がしたいのだ。
先程も述べたように、少々過保護気味な二人はこれ以上手伝いを増やすことを良しとしないだろう。
なので、セツナは考えた。
夜になれば良くないか、と。
朝早く起きてやることを、夜のうちにやっておけば、それはもう楽になるのでは、とセツナは考えた。
(私は天才かもしれない……)
と、いうことで、既に今は夜だ。
普段寝ているような時間に、こっそりと台所にきた。
よし、と腕をまくる──と、外から話し声が聞こえた。
「……?」
ダリア、サーシス、カルミア、ロベリアの声も聞こえる。
微かに笑い声が聞こえる。気になって、セツナは聞き耳を立てようとこっそりと外に出た。隠密系のスキルを使ったので多分絶対にバレない。
ダリア達は切り株に座って話していた。
「いやあ、本当によかったなあ。ついに明日だぞ」
サーシスの声だ。どことなく嬉々としている。
なんの話しだろうか。
「ホントねえ。ああ、あの子がバカでよかった。しかも記憶喪失だなんて」
(……え?)
記憶喪失、それはセツナが初日に村人たちに言った事だ。
「ラッキーだったよ。この村のことも知らないし、首の刺青でさえ知らないんだ」
心臓が早鐘を打つ。聞いてはいけないものを聞いているかのような、不安。
意味がわからなくて、博識に首のタトゥーと村について聞いた。
答えは絶望以外の何者でもなかった。
──罪人紋 罪人につけられる魔法陣。一度付けられれば消すことができない。
──罪人村 流罪になった者達が行き着く村。周辺は深い森や山に囲まれている。罪人紋がある者は魔法により罪人村から脱出する事ができない。その他の者は出入り可能だが、許可が必要。
混乱しているセツナをよそに、ダリアたちの会話は進んでいく。
「都合のいいように洗脳できたからなあ。魔法も使えるうえ、見目もいいから高く売れるぞ」
「今まで売ったガキ共の事もバレずに済んだしな。お前のあの誤魔化し方は最高だ。しかも、あれは人間を善だと信じて疑わん阿呆だ」
そういうと、「いえてるな!」と四人ははははと笑った。
(ど……どういう、こと? 村の子供たちを売ったってこと? い、いやでもそんなはず、だって、だってダリアさんたちは……やさしい、から……)
このひとたちは、流罪になった罪人の子供さえ売ったのだ。
だから、村には子供がいなかった。
「それはそうと、魔封じの首輪はあるんだろうな?」
「ちゃんとあるさ。こんなとこでヘマはしないよ。ああ、ここまで大変だった。善人を演じるのって疲れるねえ」
(な……なに、言って……)
「そりゃあなあ。まあ、明日にゃ人売りの馬車がくるからな。善人生活もこれまでだよ」
「ははっ! 最高だ。売った金は山分けだぞ」
「当たり前さ。嘘ついてこんなとこで刺されてたまるか」
「そういや、ダリア。なんて言って馬車までよぶんだい?」
「もう面倒だから、馬車が来たらさっさと気絶させてやろうかと思ってね。睡眠薬盛るのもアリかな」
「たしかにそりゃ楽でいいな。冴えてるじゃねえか、ダリア」
ダリアたちの会話を聞いて、セツナは頭がフラフラとした。
つまり、セツナは優しいと思っていたダリアたちに騙され、売られるところだったのだ。
「あ……ああ……」
頭がおかしくなりそうだ。
(おんがえし、しようと、思って……たのに? わたし、嘘つかれて……でも、ありえない、そんなわけ……)
そんなわけない、そんなわけない。
暗示をかける。
大丈夫、優しいダリアたちは嘘をつかない。
これは悪い夢だ。
セツナはフラフラと自室に戻った。
ベッドに入る。
しかし、全く眠れなかった。
朝。寝たフリをする。
静かな音を立てて、ドアが開いたからだ。ノックは無かった。
「……」
気配からして、ダリアだ。
ダリアは手になにかを持っていた。
ダリアがセツナの方に腕を伸ばすと、ぴた、とセツナの首に冷たい何かがあたる。
そこで、反射的にセツナは起き上がった。
ダリアは少し驚いた顔をして、すぐにいつもの笑みに戻った。ダリアが持っていたのは、首輪だった。
セツナが突然起き上がったので、反射で手を引いたのだろう。
「おや、セツナ。起こしちゃったか。すまんねえ」
「あの……ダリアさん、それは……?」
「……これかい? なんでもないさ。ほら、朝餉ができてるよ」
ダリアはセツナを起こして、先に進むように促してくる。
セツナが背を向けた瞬間に、首輪をつけるのだろうか。
……いやでも、そんなはずはない。
昨夜のあれは悪夢だったのだから。優しいダリアはセツナを売るなんてこと絶対にしない。
そう言い聞かせて、嫌な予感を振り払いつつセツナは立ち上がり、ダリアに背を向けた。
──しかし、悪い予感とは当たるものだ。
ダリアはセツナの予測通りに首輪をつけた。
セツナは振り返って、ダリアを見た。
首輪に触れる。ひんやりしていて、鍵穴がある。
「ダリア、さん……」
信じられないと、セツナはダリアを見た。ダリアは今までの優しい顔が嘘のように冷たい顔をしていた。
「ふん、なにさ、その目は。ほら、来な。早くしないと人売りの馬車がくる」
そこで、セツナの中で何かがプツンと切れた。
勢いよく裏切り者に襲いかかって、首に手をまわして、力を込めた。それは抵抗したが、レベルの差が抵抗を許さない。かひゅ、とか小さな嗚咽が裏切り者の口から零れる。
──暫くすると、裏切り者は動かなくなった。
そこからのことは記憶にない。
けれど気がついたらそこら中に昨日までは信じて、愛していた村人たちが血まみれになって転がっていて。
自分の手は赤く染っていた。
母のようだったそれの服のポケットから首輪の鍵を盗んで首輪を外した。
馬車できた人売りも手にかけた。
人は魔物より経験値がいいのか、レベルが沢山あがった。
カバンに服、お金を家から盗み、殺した人売りから奪った。
ふらふらと歩き始める。
「……子爵領」
【右に曲がり、その後真っ直ぐ】
セツナの目にはクマと涙の跡がある。
足取りが安定しない。
それでもセツナは歩き続けた。
母のようだったあれから教えてもらった愛の歌をかすれた声で歌う。
それは今、セツナにとってはただ虚しいだけの歌だった。
しかし、セツナは歌うのをやめられなかった。