三百ノ六十話 相対するは青年・・・
どれくらい歩いただろうか。そんなに歩いてない筈なのに、途轍もない悠久の時間が流れているような気がする。時間感覚が狂っている。そう認識するのに、ムディナは時間を浪費した。
数秒だけだったような気さえする。数分だったような気がする。もしかしたら数時間、数日、数ヶ月、そんなにも時間が過ぎ去っているようだ。
やはりムディナ達がいるこの場所の時間の理が、ムディナ達のいる世界とは明らかに根本的に異なるようだ。リルナの後をついていきながら、そのような事を思っていた。
「それにしてもリルナがいなかったら、迷子になっていたな」
そこはまるで空中に浮いている入り組んでいる迷宮であった。迷宮であるのに、空間そのものが歪んでいるせいで何処が何処の道なのか、はっきりとはムディナですら分からない。
冒険者の最高ランクであるS級冒険者ともあろうものが、この体たらくである。そう思うと少しばかり自尊心が傷ついていた。
しかしこの場所自体が、ムディナですら初体験の領域。世界の理そのものが異なるという事は、今まで培ってきたムディナの迷宮の知識とは全く別の代物であるとも言える。
それなのにリルナは普通に最初からこの場所を歩いていたかのように、淡々と迷いなく進んでいく。それは情報収集としての領域を超えている。明らかに異能の領域に突入している。これに似た異能の力を、ムディナは知っている。
「時空間把握能力、持っているのか」
リルナはそれを聞き、使い魔の猫の口を借りて開く。その眼は驚いているようであり、警戒を示しているようであった。その反応を見て、ムディナは話してはまずかったと後悔してしまう。
「ムディナ君なら知っているか……………………そんな感じだよ。その異能で正しい道を歩いているだけニャ」
その声は何処か淡々と冷たい物言いは、これ以上に触れたくないという意思表示をしているような気がしていた。その異能には後ろめたい過去を抱えているのだろうか。
それ以上、ムディナが問いかける事はなかった。リルナとシューレナの関係性は姉妹という関係以上に、何かしらの執着を持っているというのは火を見るより明らかだった。
時空間把握能力――――――――異能の力の一種であり、その能力は単純明快で空間認識能力の拡張。ムディナ達が認識しているような視点ではなく、時間、空間を訓練と資質にもよるが範囲的に認識出来るというもの。それは視覚、聴覚などの五感とはまた違い、気配などの感覚とも違い、まるで世界を認識している。その能力を持つ者は言うらしい。
だからこそ世界の理が違う今いるこの場所でも、世界そのものの時空間を認識する事で、正解とするルートを選び取る事が可能である。一説には時空間という理そのものを認識しているとされている。
「そろそろ辿り着くニャ。ここから先は私の出る幕ではいいニャ」
それから暫く歩くと、女性と子供、男の人を模している仲睦まじい家族を模している門に辿り着く。そしてその周囲には森のような草木が生い茂っていた。
先ほどまで無機質な石造りの道を歩いていたのに、この門の周囲だけ空間が裂けているように歪な植物が生えている。それはあたかも世界の方が歪んでいるかのように。世界を否定しているのかようであった。
リルナがそう言った。案内人としての役目はここで終わり、後は二人の役目だとそう告げていた。世界の命運など、二人だけが背負うには重いものであろう。
勿論、二人は正義の味方などでは無い。世界をただ救うなど、傲慢以外の何者でもない。ただ二人はそれぞれ大切なものがあり、ただそれに向かって行動を起こしているに過ぎない。
その決意が固まり、自然と二人の体が動いていた。二人の身長の数倍はある高さと大きさのある門を二人で両手を使い、二人かがりでこじ開ける。ゴゴゴと重苦しい門が徐々に、先の世界を露わにしてくる。
そこには自然豊かな世界が広がっていた。まるで森だけがそこにあり、大地が宙に浮いており、それ以外は宇宙が広がっていた。鳥の囀る声が、耳元に入ってくる。風により、木の葉が揺れ動き、擦れる音が響いている。花弁が舞い、風に乗り彼方へと飛んでいく。
歪な光景ながら、そこに映っているのは綺麗な森の風景だった。そんな森の光景に、一人の若き青年が立っていた。綺麗な宇宙の星々を眺めながら、先の輝かしい未来を見据えているように見えてしまった。
「おや………………神聖な私のこの領域に、異物が混じり込みましたか」
その青年はようやく二人の顔を認識するように、顔をこちらに向けてきた。透き通った銀の髪を靡かせ、白衣のローブを身に纏っている。研究者らしい観察眼のような視線で、二人を見ていた。
「一つだけ、私が創り出した失敗作が混じっているね。ここに君の居場所は無いのに……………………不愉快だね。自らの滅びの運命を受け入れる子なんて要らないのだよ」
その青年の顔は、憤怒で歪んだ。それはエリナスに向けて、話しているのだろう。青年からしてみると、ようやく掴みかけてきた希望だというのに、エリナスはそれを否定した。不老不死という不滅の運命より、運命に寄り添った滅びの運命を受け入れた。それが青年にはどれだけの絶望と怒りだった事だろうか。
悠久の時を、ただひたすらに娘の救いと家族との幸せを願っていただけなのに。たったそれだけのちっぽけな運命すら、この世界は許容する事を許しはしなかった。どれだけ必死に足掻いても、どれだけあらゆる技術を産み落とそうとも、どれだけ世界を危険に晒そうとしても、どれだけの人を不幸にしても、どんな事をしたところで世界は決して『希望』を叶えてはくれなかった。
だからこんな世界を終わりにさせる。幸せを許してはくれない世界を一回壊して、望む世界を再構築する。そこにはきっとただ森の中の、小さな家で三人で幸せに暮らしている自分の姿がある筈だからだ。
「ああ……………………邪魔しないでくれ。私はただ静かに家族との幸せを願っているだけなんだ」
青年はムディナという脅威を見据える。この国で唯一と言っていいほどの、計画を破綻させかねない異物であり、危険人物。青年は嘆願するようにして、ムディナに頭を下げる。やっと掴みかけている幸せなんだと、そうムディナに言っているようだった。
「だから世界を壊すのか? 全てを一度破壊して、自分の望む世界を手に入れようとするのか? 俺はそれを認めないし、否定する。俺にだって大切な人がいるからな。世界を壊すなんて、凶行を許しはしない」
龍剣の鞘に手を掛けながら、青年と相対するように前に出る。青年とムディナにはどちらも譲れないものがあった。片方はこの世界に絶望し、片方は世界に希望を見出している。二人は決して、お互いの意見を受け入れない。根底の部分が、二人では異なっているからだ。
それを聞いた青年は、理解されないと諦める。それと同時に殺意を膨れ上がり、その殺意がムディナとエリナスに向けられる。刺されるような殺意の念が、二人に襲い掛かる。
「やはり…………………………分かってもらえないか。この世界に幸福を見出している時点で、無意味だったな」
「来い…………………マリナ」
そう青年は言うと空間が裂けて、黒い魔宝玉が付いている漆黒の樹木で形作られた杖を手に取る。そしてマリナとは、青年に取っては何よりも大切な人の名前だった。その名はかつて亡き妻だったものの名である。
「我が名はエレル・ガーウィン。かつて大いなる厄災を引き起こした、ただ幸せを願う大賢者である。無限の子よ。滅びよ」
ムディナも龍剣を引き抜く。そこには黄金の闘龍気が渦巻いていた。それは世界が、エレルを脅威と判定したということだ。それはつまり星柱として、エレルの討伐を命じられているという事でもあった。
「龍王ムディナ・アステーナ。真名『エレル・ガーウィン』。世界の脅威と認定し、『龍王』の名に懸けて、戦闘を開始する」




