三百ノ十四話 聖獣・・・
ムディナの目の前にいたのは、鹿のような角が二本生えており、突き抜けるような鋭利なツノが額に生えている山羊のような翠色の美しい毛並みをしている動物だった。
ムディナは一瞬であるが、魔物なのかと警戒したが違う。明らかに知能が高く、この草原を護るかのような出立ちをしている。それは魔物とは明らかに違う習性をしており、魔力や気力も桁違いの生物である。
しかし未だ白き一撃は、ムディナに襲いかかってくる。如何に強そうな生物である存在でも、あれは太刀打ち出来る代物ではないのは理解出来るだろう。知能が高いなら、尚更な事だ。
「ホォォォオォ」
その山羊は、角笛でも吹いたかのような籠るような音を響かせていく。それは障壁となり、白き一撃を簡単に防いだ。渾身の一撃があっさりと霧散した事で、白い青年は驚愕する。
ムディナにはもうそのような力は残されていなかった。つまり眼前にいるであろう生物が、それを成し遂げたのだろう。白い青年は、その山羊に心当たりがあるらしく、ため息を吐いた。
「はぁ〜、君のような存在が出張ってきたら、俺はどうしようもないな」
諦めたような表情になり、心底面倒臭そうにしている。さっきまでの敵意や殺意はなく、もう逃げ出したい雰囲気を白き青年は醸し出している。
『ワガセイイキヲオカスオロカモノヨ。シシテバツヲアタエン』
脳内にけたたましい程の声が聞こえた。それは怒号のように、感情が怒りとなって伝わった。住処であるこの草原を荒らそうとした、白き青年に敵意を示していた。
魔力による念話魔法の類いではなく、その山羊に備わっている特殊な力なのだろう。感情そのものも一緒になって、ダイレクトに伝わるのは、普通の念話魔法とは明らかに異なる能力であった。
「フォォォオォォォオ」
その山羊がまた鳴き声を発すると、草木が一気に白き青年へと巻きついていく。存在そのものを吸い取り、栄養にするような貪欲な見た事すらないような特殊な植物である。
しかし青年はそんな状態にも関わらず、冷静であり、顔色一つすら変えていなかった。まるで滅びる事すら、望んでいるようにすらムディナは感じた。まるで自滅願望をずっと抱いているような、破滅的な思考をしている。
「俺が滅びるのは構わねぇけどさ。いいのか? 有限という規格外の、我等がリーダーが全て殲滅せんばかりに暴れるようになるぞ」
青年は別に命乞いしている訳ではない。彼に死の、滅びの恐怖など微塵も無いからだ。それから起こるであろう事象を、淡々と事実として述べているようだった。人として、生物として、思考回路が不明な存在を目の当たりにしていた事に、ようやくムディナは気がつく事だろう。
『キョウハクデハナイナ。タシカニユウゲンガアバレルホウガ、セカイガホロビルカ』
山羊のような獣は、そんな事を呟くと、白き青年の植物による拘束を解いた。青年は自らの体の動きを確かめるように、手を握ったりしている。少しだけ存在そのものを吸い取られたようであるが、あまり影響はない様子だ。
しかしムディナは疑問に感じた。こんなにも暴れていた白き青年の脅威を見逃す程に、その『有限』という存在は危険なのか。こんなにも強い白き力を持つ男を束ねるであろう、その有限というリーダーは一体、何者なのか。
もしまた、同様の存在と対峙した時、そのリーダーの危険性は理解しておかないといけないだろう。そのようにムディナは、消耗した体の中、考え込んでいた。
「今回は、君が出てきた事に免じて、引き下がるよ。あんまりのんびりとしていると、いつの間にか聖域は無くなってしまうよ」
その獣に強く警告するような、険しい声色を発しながら、青年は霧に紛れたように視認すらできなくなって消えていった。
さっきの青年は一体、何だったのはムディナには分からなかった。しかし以前戦ったであろう死の概念を司る転生者と同一の存在である可能性は極めて高いだろう。
そのように考え込むと、ムディナ自身を助けてくれた獣がこちらに近づいてきた。
その獣の表情は、心底落胆したような顔をしていた。ムディナ自身が、何か悪いことでもしたんじゃないかと気が気じゃなかった。
「ヌシが、次代の龍の支配者か」
さっきまで脳内に直接語り掛けていた筈なのに、言葉を普通に口にした。異常なまでに、それも残念な声色を発していた。
「あの程度の転生者に、手こずるようでは先代には、まだ全然届かんぞ。龍王失格だな」
それは自分でも理解していた。俺が初代の龍王にすら、全然手を伸ばしても届かない事を。どれだけ届こうと必死に、闘龍気を使っても今だに実力が天と地程の差があるのだという事を。
そんな事言われなくても分かっている。言われなくても、今更理解している。だからそのように落胆したような眼差しをするんじゃない。烏滸がましいぞ。
「心底落胆した。龍神共は、こんな奴を育てていたなんて程度が知れる」
そんな言葉が、耳に入った。聞き間違いなんだと、思いたかった。俺を育ててくれたであろう尊敬している龍神様達を侮辱されたような気がした。
「今…………………………なんて言った?」
気のせいだと思いたい。そうじゃなきゃ、俺は、俺の何かが切れそうで、弾けそうだ。龍神様達を、俺の親を、俺の目指す先を、俺の理想を、俺の幸せを教えてくれた存在を、否定するような事はあってはならない。
「聞こえなかったのか? 龍神共は、程度の知れる存在を育ててたんだなって言ったのだよ」
ムディナの琴線が切れた。プツンと、脳内の大事な理性の部分が途切れた音が響いた。
一瞬にして、ムディナは獣に近寄り、拳を振り上げた。獣も、それを認識しているようでバリアのようなものを展開する。
それは自身を守るかのように、自身を中心としたドーム上を形成し、獣に傷一つ与えんとしていた。
さっきとはまるで異なる様子を見せているムディナがそこにはいた。さっきまでの様々な色に変化していた特殊な美しい姿とはまるで異なり、オーラや魔力のようなものを一切に感じなかった。
怒りによりリミッターが外れてしまっていた。霊神鬼と戦った時のような、不思議な感覚に襲われていた。まるで自分が数千人、数万、無数にもいるような、そんな変な感じである。
ムディナ・アステーナ個人という自我が侵食されて、別の何かに襲われてしまうようなものである。あらゆる自分という事象、自我、全てを超えて、超越して、俺という新たな個を形成していた。
「獣風情が、俺の視界に映っているんじゃねぇよ」
獣のバリアを振り切り、拳は全てを貫き、拳が向かおうとしていた。獣はその拳に異様な脅威を覚えたのか、力を解放して、自身を守護する結界の力を強くした。
その守護の概念を内包した結界は、獣を完全に護る事を役目としたものであり、今のムディナでさえ、世界の守護を内包したものを突破するのは困難を極めていくだろう。
しかしそれは、霊神鬼との戦闘の時点である。今のムディナはそれを凌駕しており、明らかに異常なまでの成長を遂げている。
ムディナは特殊な眼を持って、結界の概念構築を見破り、拳だった右手で結界を振り払うように掻き消した。進化を超えて、跳躍をしているかのような、その異常なまでの力の成長は、明らかに存在そのものを超越しているものだった。
獣はようやく気がついた。怒りの灯火を灯してはいけない存在だったのだと。獣の力では、どうやっても目の前の存在には勝てないのだと。
終わりを悟り、獣は眼を閉じた。存在を終わらせる拳が、獣を狩ろうとしていた。
――――と思ったが、ムディナは拳は停止した。何かに気がついたかのように、無限の力を解き、眼前に立ち塞がるように、獣の前にムディナはいた。
「お前は……………………」
ムディナは驚愕した表情を浮かべていた。
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