二百ノ八十六話 無限に突き進んでいく・・・
次にムディナが気がついたのは、真っ白い空間だった。純白に彩られている、混じりっけのない本当に色のない白で埋め尽くされていた。果てなどそこにはなく、無限に広がりを見せていく情景がそこには広がっていた事であろう。
何とも不思議な夢のようなものを見た気がする。いや、あれは間違いなくムディナが記憶を失う前の過去の記録というものに他ならないだろうか。しかしそれにしても、変な点がいくつか存在していた。
しかし今はとりあえず、こんな何もない空間が抜け出さないといけないだろう。そのように行動をする事を決めていく。一歩一歩と踏み出していく。手がかりも何もなく、この空間から出れるという確証すらないのにである。
無意味な事であろうか。そのように心の中で、ムディナは自分自身でほくそ笑んだ。立ち止まったり、諦めたりしてもいいのではないだろうか。この先なんて、どうせ碌でもない事が待っているかもしれないのに。
逆に混じりっけのない純白な空間が、ムディナの心を惑わせていく。夢のような世界から抜け出す事を、本心から拒否を示していく。現実に引き戻ったところで、苦しみ、悲しみ、辛い毎日が訪れてしまう。
「もう足を止めてもいいのではないか?」
純白の空間の中、靄がかった人の形を保っている白い何かが語りかけてくる。それが何かが分からないが、何となく勘がそれがムディナ自身の本心だったと理解出来る。
「そうか…………………………」
ムディナは足を止める。踏み出すという行為を怠る。そして純白の空間の中、腰を下ろして座り込んでしまう。靄の人の形をしている何かも同様に座り込む。
ムディナはふと、上を見上げる。果てのない白い世界が、上にも広がっていた。そこには本来、青空という透き通った綺麗な世界が広がっているというのに。
色がある世界というのは美しいと感じていたのに、今は白い世界の方が美しく思ってしまう。色が無く、白色というものがどれだけいいものだろうか。何色も染まっていない純粋な白である。
「それがお前にとっても、最善の選択だと言えるだろうな」
靄の掛かった存在は、そのように本心を見透かしているように話しかけてくる。
ムディナ自身は足を止めた方が、最善だと理解している。もう辛くて、苦しくて、嫌な世界を眺める事をしなくてもいいのだから。人の愚かさ、集団の残酷さ、国の悲惨さ、大陸の理不尽さ、世界そのものが不幸であった。
ムディナが望んでいた理想の世界など、元からどこにも存在しないのだから。世界が美しいなんて、思いもしなかった。本心から想うと、世界が不自由そのものであったからだ。窮屈な空間の中、人々はよくあの世界で生きてやれるなと感心するばかりである。
「しかしお前にとっては、最良の選択ではないのも理解しているだろうな」
あくまでもムディナにとって、足を止めるのは最善の選択に過ぎなかった。でも最良の選択をしているとは言い難かった。
どちらを選べば、自分自身は幸せになれるのだろうか。自分は本心に、本当の中で平穏を勝ち取る事が出来るのか。足を止めろと、ムディナの論理的思考がそのように訴えかけてくる。
だから止めて、この真っ白いな何もない空間を謳歌していた方が、マシである。本当に『マシ』なのだ。だからもうここを動かない。歩みを進める事など、ありはしない。そうした方がいいと決めたんだ。
なのにな……………………どうして立ちあがろうとしているのだろうか。その先には幸せが待っているは限らないし、何なら不幸が待ち受けているかもしれないのに。
過去の情景を見ただろう。何をしようと、日常を、幸せを謳歌しようと、自分は不幸が押し寄せてくるのだから。自分がここにいるという現状が、世界を、周りを不幸にしかねない危険な行為なのだ。自分が幸せを感じてはいけないんだ。自分が誰かと一緒にいてはいけないんだ。自分は世界に、居場所を持ってはいけないんだ。
だから足を止めるんだ。足を止めないと、また大切な人達が、居場所が犠牲になるかもしれないんだ。もう歩みを進み出しただろう。もう終着点がいいだろう。もう終末でいいだろう。
足が小刻みに震えている。膝に置いている手も、微かに震えて出している。バランス感覚を失っており、立ちあがろうとしている行為を停止させていた。
「立ち上がるのか? その先は、不幸だぞ。俺が保障してやるよ」
靄掛かった存在が、そのように問い掛けてくる。それはムディナ自身が、心の奥底で理解している事だ。ムディナが歩みを進めるということは、不幸がこの先訪れる前触れを齎すという事を。
「でもな………………俺は踏み出さなきゃ………………やっていられない奴なようだ」
ムディナはそう靄の存在に対して、笑った。それが例え、どんな先を迎えていくのか分からない。分かりっこしない。でもムディナは踏み出す事を決める。
どのような不幸が、苦痛が、困難が待ち受けていようが、先に進んだ方が好きだからだ。歩みを止めずに、ドンドンと先に、目指す先もないというのに、前に進む事が心底、好きだからだ。
天才でも、凡人でも、何も無くても、特殊でも、進む事を諦めるなとか言う事はない。ただムディナは先に進む事が好きだから、進むだけだ。
「俺はただ生きていく、この先の道を進む事が好きなだけだ」
ムディナは立ち上がっていく。真っ白い空間の中、神々しい輝きを放つ道が示されていく。それがどうやら出口なのだろうと、本能的に理解する。
靄の掛かった存在は、心底楽しそうに笑った。爆笑して、純白の空間にその声が響き渡っていく。
「あはははははははははははははははは!? そうだな!? そうだよな!? 俺はな!? そういう奴だよな!? 久方振りに忘れていたようだ!? 俺は、『進み出していくのが好きなんだよな』!?」
靄の掛かった存在は、久しぶりに忘れていた事を思い出した。元々、ムディナも、その前の人物も、そこの部分は揺るがなかった。
『前に進む』、単純な事のように見えて、その実、最も誰もがそれを一生を掛ける事は難しかった。一生の中で、前に進む事を継続出来たのなら、それは理想的な生き方を言える事であろう。しかし進む中で、後悔だって山ほど存在しているだろう。
しかし俺は知っている。目指す先が。物語の主人公は、立ち止まる事が多いのだ。当たり前だ。人生なんて、立ち止まることの方が多いんだから。それでも、立ち止まっても前に進む、その姿に、生き方に感動した。
だから俺は前に進む事が好きであり、理想的な生き方なのだ。どのような偉人でも、存在でも、あらゆる全てを超えて、前に進んでやる。
「ありがとな。俺。見守ってくれて、感謝する」
靄掛かった存在に対して、ムディナはそのように言う。ムディナはずっと、立ち止まりそうになった時に、それは現れてくれた。背中を押してくれて、前に進む事を後押ししてくれた。
もうムディナは、気付いたのだ。『前に進む』という事が好きな事を。だからもう立ち止まりそうになっても、背中を押さなくても、きちんと歩みを止めない事を約束する。
「本質に気づいちまったか。そうだな…………もう俺は要らなそうだ。どうする? 存在そのものを戻そうか?」
それは靄掛かった存在という名のあらゆる無限を集約したのと、同化するという事である。つまり全ての生き様を思い起こす事であり、自分という存在を思い出す行為だった。
「いやそれは、そのうちまた思い出すよ。今は、ムディナ・アステーナとして生きていたいからな」
「………………そうか」
靄掛かった存在はそのように言うと、ムディナに吸い込まれるように消えていった。
「じゃあな…………いいや……………………こう言おうか!? 行くぞ!?」
そして神々しく光り輝きを放つ道を、ムディナは走り抜けていった。それは光速を超えて、宇宙を、概念を超えて、ただ突き進んでいく。
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