二百ノ五十二話 ムディナの決断と意志・・・
「これが龍王・ムディナ・アステーナの結末です。世界を護り、人を護り、親友を護る。そんな龍という種族の象徴のような存在だった龍王ですが、最後は人に裏切られ、唯一対等だと思っていた親友にさえ、命を失った後に裏切られるような行為をされたんです。龍神達が、貴方に話したくない理由が分かりましたか?」
霊老の人を見定めるような、冷ややかさ選定の目がムディナに向く。覚悟を決めて、話を聞いていた筈なのに、段々と沸々と湧き上がるこの悪意とは一体何なんだろうか。
これが憎しみというものであろうか。ムディナはそう確信めいた事にようやく気づく。人に対する完全な憎しみが、ムディナの心の内側から溢れ出そうになってくる。
ムディナにとっては龍神達は憧れと同時に、親である。何も分からなくて、記憶も、自分の存在さえも、生きる意味さえなかった。ムディナがここまで生きてこられたのは、龍神達が生きる指標であったからだ。
人と龍なんて、そのような些細な事は関係ない。よく龍神達が、口にしていた言葉である。なのに人は過ちを犯した。龍達が信頼していた人という種族が、悪意ある行動によって、悲しみを生み出してしまった。龍王という龍達にとって、大事な存在を殺してしまった。
そんな人という悪意ある種族が、本当に酷いとすら思えるし、滅んでも仕方ないのではないかとすら思えて仕方ない。そしてそんな自分ですら、その悪意の塊である人である事が、本当に辛くなってくる。
ムディナは何も口にする事が出来なくなっていた。龍神達が話したくなかった理由が、ようやく理解出来てしまった。恐らく龍神達と一緒にいた時に、それを話されていたら、自分は人を容易くゴミのように滅していたであろう。そんな未来すら、容易にあり得だだろうという確かな予感が、ムディナの脳裏に過ってしまう。
現在の人との関わりが深いムディナでさえ、唇を噛み締め、拳を強く握り、眼は見開いている。唇と拳からは、静かにまるで憎しみが流れるように、鮮血が滴り落ちていく。恩であり、親であり、憧れである存在を、簡単に裏切り、絶望させた人という存在が、心底、奥底で、煮えたぎるマグマのように人に対する憎しみが増大していく。
「これを聞いた貴方の選択によっては、私は裁きを与えないといけなくなります。しかし人の行いは、無限の可能性を持ちます。だからどうか、間違った選択をしないようにしてください」
霊老はムディナのその憎しみを知った上で、そのように発言した。霊老ですら、この話は本心から言うとしたくはなかった。ムディナはまだ若干十六歳の青年であるという事実は変わりはしない。多感な時期であり、憧れを絶望へと落とし入れた人の所業を聞いたら、憎しみが膨れ上がるのも容易に想像出来た話である。
しかし霊老は個である前に、人の選択を見定める裁量を役割であるとされている。だからこそムディナという個人の決意と意思で示した選択を尊重して、霊老は龍王の話を語ったのだ。
ムディナは龍王の結末を、人の悪しき所業を飲み込むしかないのであろうか。このまま人という悪意が、野放しになっていい理由があるのだろうか。そのような考えが、悩みが、そこにはあった。
「俺はそれを聞いて、どうしたらいいんですか? 人の善性は理解しているつもりです。悪性も理解しているつもりでした。でもその話を聞くと、俺は善性を信じられなくなりそうです…………」
ムディナの悲痛とも取れる質問を、霊老にした。自分では、自分の人生という名の経験が、その答えを出す事が出来ずにいる。ムディナ自身、人は優しい者も多いし、何なら大事な人だって多くなってきた。ムディナを慕ってくれたり、仲良くなってくれたり、心配してくれたり、尊敬してくれたり、その他多数の気持ちで、ムディナは人には相当に感謝している。
しかし同時に悪意はそこにはあるのもよく理解している。学院に来てから、悪意による行いをムディナはよく知っていた。しかし自分にとって大事なものかあるから、それを退けてきた。それがムディナにとって、身勝手な行いであるのはよく分かっていた。
だからこそこの話を聞いて、ムディナは余計に悩む。正義とは、悪意とは、その境目や境界は何なのか。霊老であり、霊界の管理者である存在は、数多の人の行いを見てきた事であろう。だからこそムディナは、霊老である彼女に聞くしかないと思った。
「正直に言いますね。人の『善性』も『悪性』も、正直ではあるが区別なんてないです。霊鬼はあくまで、その者の生きてきた『罪』を区別しているに過ぎないのですから」
それは数多の存在を見てきた霊老ならではの発言であった。善も悪も、結局のところであるが捉え方次第である。そのような指標がある時点で、霊老は霊老では無くなるのである。ある行いを善と決めてしまったら、その時点で霊老という個が勝手に裁定を下したという事になってしまうからだ。逆に悪しき行いと定めた時点で、それも同様である。
だからこそ霊老は、ある一定の罪という形で、人に対して裁定を下しているのである。悪性、善性、問わずに罪という指標がそこには存在している。それを元に人に裁きを与えるのが、霊鬼と呼ばれる霊界の管理者種族の宿命であるのだ。
「ただ先程、私が言っていたように人の選択は無限大です。だから貴方が今まで生きてきた中で、答えを導き出す事が可能である筈です。貴方自身の生きた道を、貴方自身が信用しないでどうするのですか。だから自分を信用してください。その先に選択肢は、自ずと見えてくるのですから」
それを聞き、ムディナは眼が醒めるかのようだった。ムディナはよく知っている。龍神達による親心のような温かさを。ムディナはよく分かっている。ジェイやグレイに慕われている事を。アリテリスやアライに信用されている事を。風紀委員会の人生の先輩としての信頼されている事を。
龍も、人も、そこは関係ない。ムディナがよく知っている大切なものは、善性も、悪性も、正直関係ない。そこにはただムディナという個人を大切にしてくれているという事実に他ならなかった。そんな簡単な選択肢を何で悩んでいたんだろうと、思ってすらいる。
「俺はただ大切なものを護りたい。俺を大切にしてくれている。だからそれを大切にしていきたい。そこに善性も、悪性も、関係ないからだ」
ムディナの選択肢は、勿論であるが身勝手な理由であろう。大切なものを護る為なら、どんなものもそれを許しはしないのだから。大切なものから見たら、善性だろう。大切なもの以外から見たら、悪性に捉えられるだろう。
しかしそんな指標にいちいち悩んだところで関係などない。だって自分を信用しなきゃ、誰が信用するんだよ。自分を信用する事で、その選択肢を持つ事で、ムディナは前に進む事が出来るのだ。
「それが貴方の選択ですか。それは罪深き道かもしれないですよ?」
ムディナ決意ある意志を汲み取るかのように、霊老は裁定者である全の眼をこちらに向けてきた。人である個を剪定する為の、その意志を超えた先にある常人を超えたものがそこにはある。
「そん時は、お世話になりますよ。その選択が罪であるなら、きちんと精算しますから」
ムディナはベッドから立ち上がる。自分の中にある選択肢が見えてきた事で、清々しい思いをしていた。まるで付き物が取れたかのように、背伸びしてしまう。
霊老は微かに微笑みを見せる。ムディナにはそれが見えなかったが、人の選択というのは、本当に素晴らしいものである事を再認識させられた。
「とりあえず、お連れ様の元に案内致します」
サーデクスが心配してしまっているかもしれない。ムディナは霊老に案内される形で、客室へと向かっていった。
(願わくば、その選択が罪深き道へとなりませんように)
霊老は心の内で、そのように祈った。
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