二百ノ三十三話 兄妹愛・・・
少女だったものが、だんだんと変質していっているように感じる。少女だった肌は紫色に変色し始めており、少女の魂と魔戦神の魂が混在している。だからこそ魔戦神の力を容易に行使出来るのかもしれない。
そのドス黒い剣はドクンドクンと鼓動し始めていた。確実に生きているであろう生物的でありながら、剣である異質な神剣の類いであろうか。
「ふむ…………貴方の力、もっと引き出してみたいな」
その言葉を少女は言った瞬間、殺意と敵意の波動が広がりを見せて辺りに衝撃波を出す。神の力は世界に容易に影響されるようになっている。世界そのものが神を許容しているせいであり、そこに制限は勿論のこと存在しない。
一度神が動けば、そこに何かが起こり、再び動けば、物理世界に何かが起こり、三度動けば、世界に途轍もない影響を及ぼす。そんな存在が神である。
魔戦神である少女は、元々は戦の神であり、魔の神でもある。つまり勝利を約束された神であり、魔を全て支配出来る存在でもあるという事になる。
俺は何かが来ると警戒して、龍剣を構える。少女は軽く神剣を振り下ろした。ただ軽く誰にでも見える速度で、ゆっくりと振り下ろしていた。
莫大な力が、神剣から発せられる。その一撃は世界を滅ぼすには簡単なものであり、回避出来る選択肢は存在しなかった。俺は無限の力を龍剣に籠めて、白い輝きを放つ一撃を行使する。
「龍天百花剣・叢雲・白鷺」
俺は龍剣を光速を超える速度で振るった。白い無限の力は鳥へと変わり、その莫大な力に対抗する。激しくエネルギーそのものがぶつかり合いを見せるかに思えたが、簡単に俺の力は掻き消された。
そのまま莫大な力は俺に向けられており、何とか龍剣で防ごうとする。受け止めたのはいいが、そのまま重い力が全体重に来た。俺は龍剣が壊れない事を知っている。俺は龍剣を、龍神様達を信じている。だから受け止めさせすれば、後は心配などない。そんな事を思っていた。
しかしそれは間違っていたのだろう。龍剣の剣先にピキッという音が鳴る。音のする方に眼を向けると、ヒビが入っていた。ムディナは、それが信じられなかった。絶対壊れないと信じていた龍剣でありながら、龍神達の加護があるからだ。何よりも信じていた存在であり、何よりも変え難いのが龍剣である。
そんな代物に今、確実にヒビが入った。それを認識した時には、龍剣の剣先は折れていた。ムディナは絶望してしまう。何よりも信じていた物が、容易に打ち砕かれたのだ。
「…………どう………………して………………」
そんな言葉を、ムディナは呟く。龍剣がムディナの手を離れ、地面に落ちる。剣だったものが、そこに転がった。見るも無残に剣先は折れており、剣としての機能を消失していた。
ムディナは自責の念に蝕まれる。俺が龍剣を上手く使えなかったからだろうか。上手く受け流したり出来なかったからだろうか。そんな可能性ばかりが、脳裏で後悔という形で出てくる。
龍神達が信用して、認めた形で手渡してくれたのが龍剣であった。だからこそムディナは、その信用を裏切った形になる。だからこそ余計に後悔と責任を感じていた。龍神達の信用と信頼を、真っ向から否定する形になってしまった。龍剣という代物は、それ程に龍という種にとって大切な物なのだ。
「何を剣が折れたくらいで、嘆いておる。龍如きの壊れない剣くらい、私なら簡単に壊す事が出来るに決まっておるであろう。つまらない男よ」
魔戦神は呆れた眼で、ムディナを見ていた。絶望して、膝を降ろしている目の前の仮面の者に落胆してしまう。さっきまで強さをそれなりに認めていたのが、間違っていたのだろうとすら思えるくらいには。
魔戦神にとっては、たかが龍剣という代物である。目の前に戦いを、脅威をしているものがいるというのに、物に執着するのが理解出来なかった。
「本当に残念だ。そのまま消えよ」
魔戦神はムディナの元まで近寄り、神剣が確実に当たる位置にいた。落胆した眼をしたまま、魔戦神の凶刃は掲げる。ムディナは絶望した眼差しのまま、それを見ていた。もう滅びても、何も文句がなかった。
龍剣が壊れたという事象が発生した時点で、ムディナ自身は負けと決めつけていた。それだけ龍剣という代物が、ムディナにとっては大切な物だったからだ。死を持ってしか、償えない程である。
そして魔戦神はムディナに、凶刃が振り下ろされた。莫大な力のドス黒い一撃は、軽く全てを消滅してしまいそうな一撃へとなる。終わりを迎えるのをムディナは認識しながら、その時を待っていた。
しかしその力が、ムディナに当たる事はなかった。何故なら目の前には、男がいたからだ。いやイレス・レパートだった。イレスは闇獄魔法により何とか力を減衰したはいいが、それでも致命傷を確実に負っていた。
「お主は、我を生き返らせた者であろう。何故に我の邪魔をした?」
魔戦神は冷めた眼差しを、イレスに向ける。確実に魂の格そのものが違う存在であるが故に、イレスは目の前の男を虫ケラ程度にしか感じなかった。
イレスも何で、ムディナを守ったのか理解出来なかった。何故か体が勝手に動いてしまっていたからだ。妹だったものの凶行を止めたかった。これ以上に罪を重ねて欲しくなかった。自分のように罪を、妹に強いて欲しくなかった。そんな思いが確かにあった。
そしてもう一つは、ムディナという存在だった。強い筈なのに、強すぎる存在であるのに、それなのに一切合切であるが、自画自賛したりしなかった。それなのに、イレス自身をきちんと素直に認めてくれた。そんな存在は、イレスが生きてきた中でなかったからだ。
だからこそ、そんな良心の芽を摘み取られたくなかった。イレスは理解していた。己の数え切れない罪の数々を。それを誰かになって欲しくないという思いがある事を。
「何で、だろうな」
イレスは苦笑しながら、自笑混じりに笑うしかなかった。自分にまだ良心が残っていた事に、驚きを隠せずにいた。動いてしまったという事が、庇ったという事がその証明にすらなる。
夥しい程の、ドス黒い血が流れ出てくる。もう長くないのを悟るには、充分な程であった。だからこそイレスはトボトボと最後の力を振り絞り、魔戦神になってしまった妹の元まで近寄る。
イレスは、そのまま妹を抱き締める。恐らく大半の意識は魔戦神に飲み込まれており、妹としての意識はそこにない事は理解していた。
しかしそれでも長年、待ち望んでいたのだ。妹を再度でいいから、抱き締めたかった。それだけが男を、イレスをここまで連れて来たのだ。それだけの為に、男はどんな非道すらやり遂げた。それだけイレスは段々と壊れているのだって分かっていた。他者に絶望した、人に絶望した、国に絶望した、世界に絶望した、あらゆる全てに絶望した。
それ以上にそんな自分にすら、絶望した。だからこそ生きたいなんて虫の良い話はないのだって分かっていた。むしろ妹が生き返ったのだから、清々しい思いで死ねるとすら思えている。
「愛している」
恐らく魔戦神をどうにか出来るのも、ムディナなのだろうという予感があった。だからこそその可能性を、摘み取らせない為にも庇ったのかもしれない。
イレスはその一言を、ずっと言いたかった。妹に対してそれが言えたなら、何も思い残す事がない。
そしてイレスはそのまま倒れてしまう。段々と霞んでいく眼に、寒くなっていく体、そろそろ終わりを迎えるのを分かる。
ただ………………そうだな。もしあるのなら、もう少しムディナと会えたなら、何かが変わっていたかもしれない。そんなありもしない未来を想像してしまい、ほのかに微笑む自分がここにはいた。
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